「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

リババレー演芸 1

2006-10-11 10:26:15 | Weblog
 栗田まさみ著、リババレー演芸史【思い出は星の如くに】によれば、昭和21年4月25日、演芸部が設置され、5月9日、演芸場が完成し、5月11日、第1回公演が行われたとなっている。
 この中で、作業隊本部付の北島少佐の話として
 「内地帰還の船を待つこの作業隊も、いろいろの都合でここに待機する期間が長引くらしい。ややもすれば、男同士のキャンプなので、殺伐に流れがちである。ついてはこれら作業隊員の無聊(むりょう=退屈)を慰め、苦しい作業の連続の日常に1滴の涼を与えたいと思う」とある。
 この前の、昭和21年3月10日に作業隊の有志による演芸会があり、
 1、 喜劇  あきれた夫婦
 2、 時代劇 国定忠治
 3、 時代劇 血煙り荒神山
 4、 歌と踊りのバラエティ が、上演されて非常に好評であったので、これを集合発展させて総合演劇隊をつくりたいという発想であったらしい。
 演芸場を造るということで、会報が回されたようである。作業に行った先から木や板、トタン、テントの切れ端とか持ち帰って作業隊員の中の大工経験者が奉仕してやったようである。
 絵のうまい人がいて、ヴィーナス像などをトタン板にペンキで本当に上手に書き上げ、舞台の背景など見事なものであった。役者の着物など近くで見るとただペンキを塗りたくったようであったが、舞台で見ると本物のように見えた。  
 私は2回程見に行った。上演日の夕暮れともなれば、敷物を手にぞろぞろと広場に集まって、何もかも忘れて舞台に見入ったものだった。炊事の西村君は毎回熱心に欠かさず見物に行っていた。
 公演のある日は2,3日前に広報があったから、その日は作業に出てもなるべく早く切り上げて急いで帰り、マンデーを済ませ、食事もそこそこに場所取りに出かけた。チョッと遅くなるとずーっと後ろの方で立ち見を余儀なくされた。私はそれが煩わしくて後では見に行かなかった。
 また、舞台の女形を見て監視のインド兵が「女を出せ」と言って幕舎内を捜し回ったこともあったそうだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿