「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

チャンギー保養所 2

2006-10-03 18:08:10 | Weblog
 1週間ほどしたら大分よくなって、体の自由もきくようになってきたので、自活作業の農場に出たが、農場と言っても十アール位の畑で、出来た野菜は自家用にするほか、チャンギー刑務所の死刑囚に持って行って食べさせるのだそうだ。自家用といっても炊事場に出すほか、自分達で適当に鰯や鰹の缶詰で副食物を作るとき、カンコン(空心采)やその他の野菜を使っていた。
 ここからはチャンギーの刑務所が見えた。
 「あそこに明かりがついている階があるだろう。あそこの階が日本軍の死刑囚が入れられている所だ。刑務所から野菜の請求があってから、2日位後、窓の明かりが1つ消えているんだ。死刑が執行されたんだねえー。次、次と次第に消えて行った暗い窓を見るとたまらないねえー。それで俺達は、最後に内地の野菜の味をと思って、一生懸命に栽培しているんだよ」
 しみじみと宿舎の人は語った。それで野菜はいろいろの種類が栽培されていたが、どれも良く出来ていた。
 死刑になる戦犯にも、本当に悪いことをした者もいたろうけれども、人違いされて、現地人から
 「アイツだ」なんて指さされて捕まれば、弁護なんか聞かれず軍法会議に廻されて、死刑の宣告を受けた者もいるという噂があった。実際、作業に行って捕まった者もいたそうで、本当に悪いことをしたのは終戦前にどこか外の所に移動して行って、私達の部隊のように戦闘なんかしたことのない部隊が残されてしまったのだとも言っていた。

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