「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

学芸会

2006-07-20 22:55:37 | Weblog
何時か若い女の子の隣の席で見ていたら、誰か私の手を握った。よく見ると、男の手で、次隣の青年が女の子の手と思って、握ったのだった。
 ここには、現地人の学校華僑の学校があった。現地人の学校は屋根は椰子の葉(アタップ)で葺いた粗末なもので、教室の外には、学校に行かせて貰えない子供が、パンツ一枚、裸足で背伸びして中を覗いていた。
 華僑の学校は、日本の小学校みたいな校舎で、白いサッパリした服装をした7、8歳から15,6歳までの子供が運動場に20人位整列していたのを見たことがある。
 どちらの学校も日本でいう学芸会があった。現地人の学校のに招待されたので、分隊長と3人位で出かけた。場所は映画館で午後からあったようだ。客席には父兄がこざっぱりした服装で腰掛け、満席だった。
 定刻になると、日本の学芸会のように、主催者の挨拶、その他があって、発表会となる。音楽の伴奏をやる者のボックスは舞台の直ぐ下にあって、そこには父兄たちが10名位、各々楽器を手にして、控えていた。
 その時が来ると、サッと立ち上がり、指揮者と見える第一バイオリン奏者の弓が、頭上から振り下ろされるのを合図に、実に見事に伴奏をやった。ボックスを見ると、病院の助手さん、警察の署長さん、会社の事務員さんと、顔見知りの人達が一生懸命やっていた。子供達も一装用のものを着て、平常とはうって変わった華やかさで、喜喜溌剌としたものであった。
 華僑の学校のにも分隊長と見に行った。その日には、白い洋服を着た中国人がバイオリンなどを片手に会場に急いでいだ。ここも現地人のと同じ形で開演されたのだが、中国人の踊りを見ていると、日本人の子供と同じような顔ばかりで、何となく郷愁に誘われた。又、15,6歳の女の子は現地人には見られぬ美しさがあった。

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