スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

秋季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1999年~2005年)

2020-10-14 08:23:52 | 秋季高校野球関東大会千葉県勢成績
高校野球の秋季関東大会における、千葉県勢の活躍を振り返るシリーズ。
第7弾は1999年~2005年です。



黄色は優勝、銀色は準優勝を表します。

99年から02年までの4年間、千葉県勢は秋関でわずか1勝しかできず…。
当然、この4年間は1度もセンバツに代表校を送れませんでした。もちろんワースト記録です。

特に地元・千葉開催で関東に3校を送り出しながら、すべて初戦敗退となった99年はショックでしたね。
以前も、地元開催時には力を発揮できないケースが多いと書きました。
しかし、拓大紅陵には好投手として注目されていたエース・手嶌智やスラッガーの浜谷正吾がいましたし、
中央学院には和田茂之、押本健彦の投手の二枚看板がいたので期待していたのですが…。

もっとも惜しかったのは3位の習志野。
常総学院に土壇場9回に3点差を追いつかれ、延長11回に勝ち越され惜敗。
マリンで観戦していましたが、ガッカリしましたね。

00年や02年のように、2校揃って完敗というケースもありました。
暗黒時代といっていいでしょう。

そんな厳しい状況を打破して秋関で久しぶりに決勝まで勝ち進んだのが
伊能英孝-中野大地のバッテリーを擁した03年秋の拓大紅陵。
翌春のセンバツ1回戦の一関一戦で伊能が完封し、準優勝した銚子商以来、9年ぶりの県勢白星となりました。
2回戦の福工大城東戦は甲子園で生観戦しましたが、最後までもつれる熱戦でしたね。

翌04年はまたしてもW初戦敗退となりましたが、
05年は15年ぶりの出場を果たした成田が88年の市柏以来、17年ぶりの県勢Vを果たしました。
その原動力は2年生エース・唐川侑己。
翌春のセンバツでも初戦で完封を記録するなど、早くも好投手として注目を集めています。

秋季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1993年~1998年)

2020-10-12 08:30:21 | 秋季高校野球関東大会千葉県勢成績
高校野球の秋季関東大会における、千葉県勢の活躍を振り返るシリーズ。
第6弾は1993年~98年です。



銀色は準優勝、銅色は4強を表します。

1993年は東海大望洋が初出場を果たすと1勝を挙げて、
関東まであと一つというところまで迫っています。

1994年は2位校ながら、5年ぶりの関東進出を果たした銚子商がベスト4まで勝ち上がり、
18年ぶりのセンバツ切符を手に入れました。
この後、主砲の澤井良輔は年末の第1回AAAアジア選手権代表に選出。
翌春には大会屈指の強打者として注目を集め、チームも初戦でPL学園(大阪)を延長戦の末に下すと、
そのまま勢いに乗って勝ち上がり準優勝。“古豪復活”を印象付けました。

1995年はエース・亀井康治を擁する拓大紅陵が準優勝で、
10年ぶりとなるセンバツ出場を勝ち取りました。
甲子園では初戦で東邦(愛知)と打撃戦の末、8-9で敗れています。

1996年は千葉商大付が1勝したのみ。
97年にいたっては8年ぶりとなる2校揃っての初戦敗退と、
厳しい結果に終わりました。

1998年は2年連続の関東大会進出となった柏陵が躍進。
慶応(神奈川)、桐生一(群馬)との接戦を制し、
ベスト4進出を果たしてセンバツに初出場。
甲子園では静岡と延長13回の熱戦も初戦で涙を呑みましたが、
春の悔しい経験を活かし、夏の甲子園にも駒を進めるとベスト8に進出しています。

秋季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1987年~1992年)

2020-10-08 08:30:18 | 秋季高校野球関東大会千葉県勢成績
高校野球の秋季関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズ。
5か月ぶりに復活の第5弾、今回は1987年~92年です。

今年の秋の関東大会は千葉で開催されます。
おそらく無観客で行なわれることになるでしょうね。
まあ、このご時世では開催されるだけでまし、といえるかもしれません。

この企画、関東大会開幕までに2019年度までやれればと思っていますが、
間に合うかどうか…。



1987年は秋の大会で初優勝を果たした市船橋が、
その余勢をかってベスト4に進出しセンバツ切符をゲット。
立石尚行-伏島良平のバッテリーに中心選手の大野和哉らタレント揃いでしたが、
甲子園では初戦で倉吉東に3-10で大敗しています。
千葉県勢が鳥取県勢に敗れたのは、春夏合わせても現時点でこの試合だけです。

1988年は県大会で準優勝を果たし、
初の関東大会出場を果たした市柏が旋風を起こし、
初戦で接戦を制すとあれよあれよという間に勝ち上がって甲子園へ。
しかし、センバツでは初戦で準優勝した上宮に3-8で完敗でした。

1989年~91年の3年間は、1勝するのがやっと。
90年の成田が補欠校に何とか入り込めた、というありさま。
3年連続でセンバツに代表校を送り込めませんでしたが、これは68年以降ではワースト
(この間、2年続けて出場校ゼロはありませんでした)という寂しい結果に。

しかし、地元開催の92年は県大会準優勝の市船橋が意地を見せ、
ベスト4に残って5年ぶりのセンバツ出場を決めています。
藤井浩一、須永忠勝、長尾健一、岩下昌史ら打線はなかなかの粒ぞろい。
2年生エースの小笠原孝も安定していました。

甲子園では初戦の川西明峰に4-1で快勝。
3回戦の国士舘戦では延長14回の熱闘の末、7-8で惜敗するも、
さらに成長したナインは夏の甲子園で4強入りを果たします。

次回は1993年~98年についてご紹介します。

秋季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1982年~1986年)

2020-10-03 08:40:50 | 秋季高校野球関東大会千葉県勢成績
高校野球の秋季関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズ。
5か月ぶりに復活の第5弾、今回は1982年~86年です。

今年の秋の関東大会は千葉で開催されます。おそらく無観客で行なわれることになるでしょうね。
開幕は10月24日。それまでに、2019年の分までご紹介できれば、と考えています。



82年は両校とも準々決勝で敗退。4年ぶりにセンバツに代表校を送り込めませんでした。
しかし地元・千葉開催の翌年、エース・古橋富洋、強打の捕手・鈴木隆、センス抜群の小川博文など
タレントを擁する新興の拓大紅陵がスーパーシードを活用して1勝で甲子園をゲット。センバツでも8強入りを果たしました。

84年は東の佐久間・西の清原(PL学園)とうたわれたスラッガー・佐久間浩一率いる東海大浦安が
県大会~関東大会と相次ぐ打撃戦を制して印旛以来の関東Vを達成。初のセンバツへと駒を進めています。
関東王者として乗り込んだ甲子園でしたが、初戦で優勝した伊野商のエース・渡辺智男に抑え込まれました。

85年は名将・小枝守監督の指導により、2年前よりさらに強力なチームとなった拓大紅陵が初の秋関Vを達成。
スラッガー・佐藤幸彦、強肩捕手・飯田哲也、好投手・木村英郎ら強力な布陣で
センバツでも優勝候補に挙げられるほどでした。しかし2回戦で“シンキロウ旋風”新湊にまさかの逆転負け。

86年は東海大浦安がベスト4進出を果たし、2年ぶりのセンバツ切符を手中に。
しかし、部員の不祥事(確か関係ない3年生の暴力沙汰だったと思います)でまさかの出場辞退…。
夏も甲子園には手が届かず。当時は当該の部員に関係ないトラブルでも、こうして辞退するケースがあったのです。

秋季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1978年~1981年)

2020-05-12 08:40:59 | 秋季高校野球関東大会千葉県勢成績
高校野球の秋季関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズの第4弾。
今回は1978年~81年です。



金色が優勝、銀色が準優勝、銅色がベスト4を表します。

78年は地元開催ということで、3校が関東大会に進出。
しかし、揃って初戦敗退、しかも完敗という屈辱を味わいます。

以前も書きましたが、過去に59年、65年とホスト県となったときも全校0勝に終わっています。
地元での戦いのため、良いところを見せようというプレッシャーからか、
力を出し切れない感じですね。

79年は創部2年目の八千代松陰が快進撃。
県大会を制すると、関東でも一気に決勝へと駒を進めます。

かつて習志野の校長時代にスポーツを強化して
野球、サッカー、バレー部を全国区の強豪にした実績を持つ山口久太校長兼理事長が
「甲子園が先か東大合格が先か」と関係者にはっぱをかけていたようで、
その成果が早くも表れた形となりました。

80年には、印旛が3年ぶりの関東制覇を果たしました。
強打者・月山栄珠を中心とした強打のチームで、県大会に続き関東でも危なげなく勝ち進み、
翌年のセンバツ準優勝へとつながっていくことになります。

81年は、東海大浦安と千葉商大付の千葉県代表2校が揃ってベスト4に進出。
これは秋季関東大会が1県から2代表を出せるようになってからでは初となり、
現在(2020年)に至るまで、この年が唯一の事例です。

今なら両校ともセンバツに選ばれることになりますが、当時の関東の出場枠は「3」。
好投手・平沼定晴を擁し、優勝した上尾と接戦を演じた千葉商大付が
センバツ出場を勝ち取ることになりました。