急行「いなさ」

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四十九日が済みました

2023-05-25 07:26:59 | 母の介護

昨日5月24日 亡くなった母の四十九日と納骨式が終わりました。

4時頃 墓地から帰ってきたら どっと疲れが出ました。お天気が良く気温が高かったせいもあって 夕食時に飲んだビールが とても美味しかった。

今日は 母の共済組合の年金の手続きをしなくっちゃ。

妹たちがやってくれてるとは言え 実家の片づけが未だ終わってない。それが終わると 家を解体して更地にして地主に返さなければならない。

そうだ 未だピアノを引き取ってもらう手続きをしなけりゃならない。私が中学の頃に買ったと記憶する。

2階の窓から運び込んだと お手伝いの小母さんが言ってた。今回の搬出も窓からになるでしょうね。

ヤマハのピアノは ヤマハに返そう・・のキャッチフレーズ。うちもヤマハに返すことで妹たちと合意した。


母の死去

2023-04-11 05:51:03 | 母の介護

4月6日 母が無くなりました。満100歳の大往生。

できれば 6月の101歳の誕生日を迎えさせてあげたかった。

 

朝10時過ぎ上の妹から、「呼吸が止まりそうだ」と病院から知らせがあったとの電話が入った。

途中妹を拾って病院へ駆けつけた。しかし呼吸は止まりモニターの心臓の脈拍の波形も動いてなかった。

手を握ったり額に手を当てると 未だ生きている時と同じように暖かった。細胞死には間に合ったようだ。

兄弟3人集まると医者が来て時計を確認。死亡時刻は 10:55となった。以前読んだ本に 死亡時刻は極めて曖昧だと書いてあったが、私達兄弟3人が揃った時刻にしてくれたようです。

死亡診断書にある死因は「老衰」。これも残された家族が一番納得する死因。

死亡診断書に誤嚥性肺炎などと書かれたら 世話していた家族が周りから 介護の仕方が悪いなどと責められることがあるらしい。

母の場合も死に至る引き金となった原因があるはずだが、2週間前位から 食事が摂れなくなったり、とろとろと眠るようになったので、母の場合は 本当に老衰だと思う。

年齢が年齢だけに 無用な延命措置は断っており、胃漏もしなかった。

 

「人は 残される人の都合の良いときに亡くなる」と何かの本に書いてあったが、正しくその通りであった。

亡くなった日は 木曜日であったが、本来のスケジュールであれば 翌金曜日が私の抗がん剤の点滴の日だった。病院で点滴し 帰る際にさらに50時間ほどかかる点滴を首からぶら下げて帰る。副作用も出るので とても葬儀やら三日参りなどできなくなる。

ところがである。一か月前に決まる点滴のスケジュールが 大学の学会が開かれるため、翌週10日の月曜になっていたのです。

それに2番目の妹は 次男が結婚するため 先様との顔合わせが、今週末15日に予定されていたのです。死が近づいてる母を置いて妹は県外に出ること躊躇してたようです。母には悪いけど 「仏事の後の お祝い事は予定通りにやれ」と昔から言われているので もう気にせずに行けます。

 

亡くなった当日の午後 お寺さんに来ていただき 枕経と同時に通夜のお経をあげて頂き、翌7日告別式と火葬、8日はお寺で三日参りと初七日の法要。9日は近しい親戚への連絡。

そして10日は朝から病院へ行って抗がん剤点滴。やっと慌ただしい日々が終わりました。

これから四十九日の法要やら 借地なので建物を解体し更地にして地主に返す段取り、預金の相続は勤め先で8年携わっていたのでお手の物だが、いろいろとやるべきことが沢山ある。


母の入院と、笑い話

2022-08-03 10:25:58 | 母の介護

2~3週間前から 母が熱を出してなかなか下がらなかった。

かかりつけの医者が往診に来てくれるが、レントゲンなど撮れないので大きな病院に行った方が良いと言う。

もはや歩けないので かかりつけ医から入院の段取りをつけて 救急車で搬送してもらった。

一通りの検査が終わって、看護師が「コロナ感染防止のため 病室に入ると面会できなくなります。最後に会われますか?」と聞いてきた。

「最後に」・・と言う言葉にドキドキしてしまった。

ストレッチャーに横になってる母の顔を 私達兄弟3人が代わる代わる覗き込んだ。

母が大きな声で「もう(私は)死ぬのか?」・・・と、言った。

笑いそうになった。子供たちが顔を覗き込んでくるので、きっとドラマの臨終シーンを思い出したのだろう。

それにしても100歳超えてるのに よくまぁ頭が働くものだ。まだまだアンタは長生きするよ!

 

原因は 高カリウム血症だった。翌日には病院から連絡があり お母様は元気になられました・・だとさ。


母 100歳の誕生日

2022-06-11 07:14:19 | 母の介護

昨日 6月10日は、母の100歳の誕生日でした。

ゆっくりではあるが 歩行器を使いながら未だ自力で歩けるし、私達子供の顔を見て「どちら様ですか?」なんて聞くこともなく、ちゃんと自分の子であることを認識している。

私は男なので料理などできず、妹が作った食事を温めてテーブルの上に出したり トイレへ行くのを手伝ったりで、見守りが関の山です。

先月 夏日だと言うのにベッドの電気毛布の電源を入れろと言う。「もうすぐ6月、今日は暖かいので電源は入れなくてよい」と言って、「お母さんの誕生日は何月何日?」と聞いたら、「6月さ・・ なんで(電気毛布と)関係があるのか」と えらく怒り出した。おっ まだ脳はしっかりしてるじゃん!と思ったが、後で考えると100歳にもなると体の代謝が弱ってきて産熱も少なくなってたんだね、きっと。素直にスイッチ入れてあげればよかった。

 

と言うことで今日のお昼は 兄妹3人とその連れ合いで母を囲んで誕生祝をします。本当は昨日したかったんだけど ショートステイから帰る日だったので一日遅れ。

最後に一言、父は癌で亡くなり 私もその遺伝子を引き継ぎ癌になりましたが、母の長寿遺伝子を引き継いでいれば あと数年は生きて、大好きな鉄道模型を作りたい。