急行「いなさ」

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鉄道が好きになった訳 5

2022-12-02 20:46:24 | 鉄道模型

第5回 教科書にあった鉄道模型

小学校5年生だったか 「図画・工作」(略して図工)の教科書に おそらくOゲージだと思われるC11の模型が載っていた。

ほれぼれする位 素晴らしかった。

そしてクラスの全員が各自 厚紙などで機関車の模型を作った。もちろん動輪は 牛乳瓶のふたである。

しかし前回書いたNGT君は違っていた。ナイロン・プーリー(滑車)を動輪にしていた。

中心軸の穴の回りに 4-5個の丸い穴が開いていて、D51なんかのボックス動輪に見立ててたのでした。

またしても彼にやられてしまいました。

売ってる店を聞くと 前回書いた なんとか無線だと言うので、今後使う事もないだろうに その真っ青なナイロン・プーリーを私も6個買った。

C11の動輪は6個ですから。

 

そのNGT君が豊富な小遣いを持ってた訳が分かった。

2~300m離れたところに彼の伯母さんが住んでいて、学校から帰った後 近くの魚屋へ猫の餌を買いに行くというアルバイトをしてたのだった。

1日当たり50円だと言う。その時私の小遣いは1日10円。以前の1日5円からは値上げされてはいたが 駄菓子を買ったらおしまい。

ちょっと纏まった金が要る時は 貯めていたお年玉を充ててたのでした。

 

次回へつづく たぶん

 

 

 


鉄道が好きになった訳 4

2022-12-01 11:30:44 | 鉄道模型

第4回 工作に目覚める

小学校4~5年の頃 課外授業があった。正規の教科の他に 体操や音楽などが選択でき、私はすぐ近所に住むNGT君と 工作クラブへ入った。

何を作ろうかと彼と相談すると M42パットンと言う戦車を作ると言う。プラモデルが流行りだした時期だった。そこで私も プラモデルの戦車を作ることにした。お店を聞くと浦上駅の並びにあって歩いて行けた。なんとか無線という名の店だった。

私も シャーマンだったか センチュリオンだったか忘れたが 戦車のプラモを買った。

数週間後 顧問の先生の採点があった。NGT君が電源を入れると戦車は颯爽と走り出した。

次は私だった。先生は採点表を持ちながら 「動くか?」と私に聞いた。

私は「走りません」と、力無く答えた。マブチ・モーターや電池を買うお金は もう無かったのだ。

大人になったら絶対に貧乏にはなりたくないと 心底思った。

 

しかし ひとつ大切なことを教えられた。

私の後に採点を受けたI君。15本くらいの割り箸を組み上げて 素敵なオブジェを作っていた。中には牛乳瓶か何か入っていて 花瓶の様だった。

バランスが取れていて デザイン的にみても素晴らしかった。

ショックだった・・・そうか、お金を掛けなくても アイデア次第では 身近なもので素敵な作品ができるのだと教えられた。

 

後日 I君の家へ遊びに行った。つつじなどの植栽があって 小さな噴水さえある素敵な庭のある家だった。

プラモデルなど簡単に買ってもらえそうなお宅だった。


鉄道が好きになった訳

2022-11-26 09:06:16 | 鉄道模型

第3回 鉄道玩具を買ってもらった

 小学校2年の正月 お年玉の頃と思うが、家族でデパートに行った。

何を思ったのか 母が好きなものを買ってやると言った。私は目を付けていた物を指さした。

それは当時の花形 特急「こだま」でした。

父が高価だとか何とか言ったようだが、母が「この子は 欲しがらないから・・」と言ったのを ハッキリ覚えている。

今まで物をねだったことが無い子・・と言ってる様だった。私の実家は 親におねだり出来る雰囲気は全くなかったのです。

こうして 米澤玩具(その後 セガトイズ)の 特急「こだま」(円形に組み立てるガラレール風の線路とのセット)を買ってもらったのでした。

車体の底蓋を開け 単1乾電池を2個入れて線路に乗せ 車体の裾から出ている棒状のレバーを倒すと発車しました。

窓は透明ではなく白で 乗客の人影が黒くシルエットになってるのが素敵でした。

 

3年生になり 先生がクラスの皆に 電池で動くおもちゃを持って来るように言った。私は前日に試運転をして、意気揚々と学校に持って行った。

ところが皆の耳目を集める中 ウンともスンとも動かなかった。先生は接触が悪いんだろうと言った。私はヒーローには なれなかった。

前日の試運転で電池が放電してしまったのかもしれない。先に書いたように 親に遊ぶための電池を買ってくれと 言えるような雰囲気の家ではなかったので、こっそり懐中電灯の電池を取り出して走らせていたのでした。

ゲージ (レールとレールの間隔)を計ってみると 27mmちょっとでした。

 60年前のブリキの玩具なのに ほとんど錆てないのに驚き。運転士が乗務してます。

 

 

 車番の モハシ20003と 米澤玩具のトレードマーク MEDE IN JAPAN

しかし モハシ20は存在しなかった。あったのは 中間車のモハシ21だが、もちろん先頭車ではなかった。

でも60年前の玩具だから どうでもいい所。

 


鉄道が好きになった訳

2022-11-23 07:45:55 | 鉄道模型

第2回 鉄道模型との出会い・・それは突然だった

 

実家の近くに 1歳年上のH.H君が住んでいた。彼の父親は高校の生物の先生で 科学には明るかったのだろう。母親も先生の様だった。

まだ私が幼稚園か小1の頃だった。天気が良いある日のこと 彼の家に遊びに行くと、縁側で小判型の線路を敷いて 鉄道模型を模型を走らせていた。車番は覚えていないが EB58だったと思う。

一瞬にして 虜になってしまった。いつか自分も遊んでみたい、そして大きくなったら絶対に手に入れるのだと誓った。

当時の私の小遣いは1日わずか5円、駄菓子を買ったら終わりだった。グリコのおまけつきキャラメルが10円の頃でした。

貧乏は絶対イヤだと思った。

 

彼とは因縁があり 私は就職すると初任地は北九州だったが、福岡市内に新店舗を開設すると言うので、1年4か月で転勤。福岡市内真っただ中 九電本社横の独身寮へ入った。すると彼が居たのである。年齢は1歳年上だが 2浪したようで会社では私が1年先輩になっていた。

ある時私の部屋へ招き入れNゲージを見せながら、あなたが遊んでいたHOに刺激を受け鉄道模型を始めたと言ったが、彼は自分が幼少の頃 鉄道模型で遊んでいたことをすっかり忘れてしまっていた。寂しいけど 世の中 案外こうしたものかもしれない。

彼の家の通りを挟んだお宅は 長崎大学付属中学校のS田教頭先生のお宅だった。先生はエンジン付きの大型の船舶模型などを作っておられた。

古くから鉄道模型趣味(TMS)を読んでる方は知ってると思うが 後に長崎から奈良県へ転居され「京都トンネル模型倶楽部」を作られた 故・山城正一先生は、この方の後任として、付属中学校の教頭になられた。付属中学校の校長は大学の学長だそうで 実質 校長先生になるようです。

H.H君の父親と山城先生とは 何らかの繋がりがあったのかもしれない。

今日は ここまで


鉄道が好きになった訳

2022-11-21 11:00:12 | 鉄道模型

第1回 私が鉄道や 鉄道模型が好きになった訳

私の母は長崎県の島原半島の北に位置する「北目」と言われる地区の出身、一方父は南に位置する「南目」の出身。キタメ、ミナンメと発音する。~目と言うのは 方面の意味である。

 両親とも教師をしていたので 夏休み冬休み春休みには3~4日休みが取れ 主に母の実家に帰省した。国鉄の自宅最寄り駅からディーゼルカーに乗り 諫早駅で島原鉄道に乗り換えた。後年 島鉄が国鉄に乗り入れたので 乗り換えなしで行けるようになった。

比較的大きな家で 裏には納屋があり その隣には便所と風呂(五右衛門風呂)があった。いずれもドアは無く 風呂の横 本来ならドアがあってしかるべきところからは 田圃と200m位先に島原鉄道の線路が見え、その先は広大な干拓地で2~3㎞先の堤防まで田圃や畑が広がっていた。

時折プワーン・プワーンと踏切ごとに威勢よく警笛を鳴らしながら 島鉄のディーゼルカーが走っているのが見え、昼過ぎには C12牽引の貨物列車も走っていた。

これが私の鉄道原風景です。

ついでに母の実家について書いておきます。納屋の右端には井戸があって 夏に母から井戸を覗いてみろと言われ覗き込むと スイカが浮いていた。冷蔵庫の無い時代、こうやって冷やしていた。その横には大きな石臼がありました。ある時母が茶碗に炒った大豆を入れて来て 石臼の穴に入れて、私に臼を回せと言った。臼から黄色い粉が出てきた。

知らなかった、美味しい「黄な粉」は大豆だったのだ。

納屋の左端は 先に書いたように便所と風呂だったが、とんでもない便所だった。幅1m長さ1.5m位の穴が掘ってあり 幅20cm位の板が2枚 少し間隔をあけて渡してあるだけ。外から見えないように竹ひごで編んだ「すだれ」が1枚 上から吊るしてあった。

「小便」は男の特権で庭先に勢いよく飛ばしたが 大の方は決死の覚悟で臨まなければいけなかった。穴には既に相当量の便 良く言えば下肥が溜まっていて、白いウジ虫が這いまわり 時折ペチャとか シムシムとか音を立てていた。

渡された2枚の板にそれぞれ右足左足を乗せ 10cmずつシズシズと前へ進み 中央で しゃがんだ。この穴の深さはどれ位だろう、落ちたらどうしよう、クソまみれになる。などと考えながら 板と板の間に 落下させたのでした。

今日は ここまで。次へつづく、たぶん。