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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム備忘録【5/21】

2019年05月22日 00時25分03秒 | マリーンズ2019
≪2019/5/21≫

ロッテ・井口監督 かけがえのない恩人が急死…未来へつなげる「愛基金」

 5月19日の楽天戦(ZOZOマリン)を終えたロッテ・井口監督は喪服姿で球場を出た。向かったのは、かけがえのない恩人の通夜が行われていた都内の斎場だった。
 「自分の社会貢献活動を手伝ってもらった。いろんな意味でサポートしていただき、世の中のためにどういうことができるのかを教えてもらいました」

 指揮官の社会貢献活動の基礎である「愛基金」をともに運営し、縁の下で支えたアポロメディカルホールディングス・我妻(あづま)照男会長兼社長(享年66)が14日、肝臓がんで急死。1カ月ほど前に体調を崩して入院したまま、帰らぬ人となった。

 プロ入りした97年の3月に故郷・西東京市役所を訪問した際見た古びた車いすが、活動の原点。「支援が行き届いていなと感じた」。プロ入り後、ダイエー球団職員だった青学大時代のチームメート・鈴木伸彦氏(現福岡工大硬式野球部統括)の紹介で出会った我妻さんと00年に「愛基金」を設立。我妻の「A」と井口の「I」を合わせたものが「AI(愛)」基金だった。

 時には本業そっちのけで、ただ献身的にサポートしてくれる我妻さんを井口監督も心底、信頼した。「会長の還暦と自分の2000安打が同じ年で一緒にホノルルマラソンを走りました。家族でホームパーティーもしました」。二人の間にあったのは「友情」だった。その人柄にダイエーのチームメート・星野順治、杉内俊哉、新垣渚、川崎宗則も賛同。他球団も鳥谷敬(阪神)らが加わり、病院慰問、少年野球教室、AEDや車いす寄贈。東日本大震災の被災地支援と輪は広がった。

 私自身もホークス担当時代から面識はある。昨年プロ野球人の社会貢献活動を表彰する「ゴールデンスピリッツ賞」を受賞。2月、石垣島キャンプでの施設訪問でお祝いの言葉を伝えたのが最後だった。「井口君がやってきたことを考えたら(受賞は)遅いくらいだよ」。そう言いながらも、心底、うれしそうな笑顔だった。あまりに突然でまた、施設訪問の現場に行けば穏やかな笑顔で迎えてくれそうだ。

 「やってきたことは続けていければと思います」と井口監督。約20年間、続けた我妻さんの活動への思いは、しっかりと受け継がれていく。(記者コラム・福浦 健太郎)

(スポニチ)

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≪2019/5/21≫

【千葉魂】福浦、26年越しのマウンド 地元「習志野秋津」で始球式

 あの日以来のマウンドに、福浦和也内野手は感慨深げな表情を見せた。5月11日、習志野の第一カッター球場で行われたイースタンリーグ・東京ヤクルト戦。福浦の地元でのゲームということで、試合前に始球式イベントが行われた。このセレモニーに合わせて習志野高校時代のチームメート16人と当時のマネジャーも駆け付けた。久々の再会を懐かしみ、旧友たちが見守る中、ボールを投じた。

 「高校の卒業式以来に会ったメンバーもいた。懐かしかった。ストライクが入って本当に良かったよ」

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 始球式とはいえ、あの日以来のマウンドだった。今季限りでの現役引退を表明している大ベテランにとってこの球場は忘れることが出来ない思い出の球場だ。当時は習志野秋津球場と呼ばれていたここで福浦の高校野球は終わった。1993年7月18日、野田北高校との三回戦。試合は3-3の同点のまま延長戦に突入する。延長十回。ピンチの場面でベンチから伝令が飛び出してきた。「歩かせて次のバッターで勝負」。ベンチから指示するだけではしっかりと伝わらない可能性もあると念には念を押して伝令を使って、マウンドにいた福浦に「外せ」の指示が出た。しかし、だった。魔が差したとしか言いようがないようにボールはストライクゾーンに吸い込まれていった。打球は右前にはじき返される勝ち越し打。これが決勝点となり、試合に敗れた。福浦にとって今も忘れることの出来ない苦い思い出だ。

 「なんであんな事になってしまったのか。その時の心理状態は思い出せない。スッと投げてしまった。その失敗した思い出が自分には深く残っている。3年間やってきて最後の夏。悔しかった。応援をしてくれた人もたくさんいて申し訳がなかった。みんなに泣きながら謝ったのは、今も忘れられない」。

 人は成功体験よりも失敗した悔しい経験の方が心にいつまでも残るものだ。43歳になった福浦はその時、ベンチの指示を徹底できずに敗れた事を忘れていない。まさかの失投を悔やんだ。

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 26年の月日が流れた。福浦は今もユニフォームを着てプレーをしている。昨年は史上52人目となる2000本安打も達成した。そして悔しさを残したマウンドに戻ってきた。バックには懐かしのチームメートたちが守った。あの場面で伝令を務めてくれた仲間の姿もあった。打席にも友が立った。キャッチャーは夏の大会の前に右ひじをけがしてマスクを被れずに悔し涙を流した気心知れた友が務めてくれた。みんなの前で今度は狙い通りにストライクゾーンにボールを投じた。スタンドから自然と拍手が湧き起こった。ずっと胸の中にあった苦い思い出がすっと溶けていく感じがした。

 「球場が小さく感じた。高校の時は広く感じた球場が小さく感じた。あんなに広いと思っていたのにね。月日の流れがそう感じさせるのかな。それともプロに入って広い球場をたくさん見てきたからかな」

 ベンチに戻ってきた福浦は少し感傷に浸りながらそう口にした。この試合で福浦は同点で迎えた六回1死二、三塁の場面、代打で出場すると中前に2点適時打を放ち、これが決勝点となった。勝ち投手は習志野高校の後輩でプロ1年目の古谷拓郎。ウイニングボールを手渡すと「次は1軍だぞ。近いうちに必ず行ける。1軍で勝てよ」とねぎらった。

 福浦にとってのあの日以来の習志野でのゲームは忘れられない形で幕を閉じた。野球の神様が本当にいるのではないかと思ってしまうほど出来過ぎのシナリオだった。プロ26年間で努力を積み重ねて、ここまで来た男へのご褒美のような幸せな一日。やはり野球の神様はいるのだ。ずっと、見てくれていたのだ。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

(千葉日報)

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≪2019/5/21≫

【令和スポーツ新時代】
ロッテ流アーチ量産革命


 スポーツ界の最新トレンド、話題の事象を深掘りする「スポーツ新時代」(不定期掲載)。第3回はプロ野球の大幅な本塁打数のアップに焦点を当てる。シーズン開幕から約2カ月が経過し、劇的な変化を見せているのが、パ・リーグ3位のロッテ。昨季は12球団最少の78本塁打に終わった打線が41試合を終えた時点で、すでに49本塁打をマーク。ハイペースでアーチを量産している“ロッテ流打撃革命”の裏側に迫った。 (取材構成・浜浦日向)

 野球の醍醐味(だいごみ)でもある本塁打が増えている。セ・パ12球団で第8節終了時(5月19日現在)の本塁打数は計517本。昨季の同時期(410本)と比べて、100本以上も増えた。今季は雨天中止が少なく、13試合多いが、1試合平均で1・70本→2・04本と確実に増加している。

 中でも顕著に増えているのが、パ3位のロッテだ。開幕から10試合で20本塁打に到達するなど、ここまで41試合で49本塁打。2016年の本塁打王、レアードの加入も大きいが、昨季まで3年連続で12球団最少のチーム本塁打数で、2010年を最後に8年連続で2桁本塁打に終わった打線が、変貌を遂げている。

 「昨年、12球団最少の78本塁打に終わったことが一番(の理由)。秋から意識を改革してきました」と話すのは今季から1軍を指導している大村打撃コーチだ。

 2017年にワールドシリーズを制覇したアストロズが導入し、飛球で長打を狙う「フライボール革命」が話題を呼び、日本でもソフトバンク・柳田らチャレンジしている選手もいるが、日本ハムで糸井や中田、DeNAでは筒香を指導した同コーチは「もう一度強く、大きく、飛距離の出るようなスイングを意識的に取り組んできた」と“ロッテ流の打撃革命”に乗り出した。

 「空振りでも強く、積極的なスイングならOKという雰囲気をつくってきた。思い切りがなければ、本塁打は打てない」とナインの意識を変え、平均飛距離が1・1メートル伸び、平均打球速度は前年比で3・5キロアップ。行木チーフスコアラーは「メジャーでも打球速度が上がって本塁打が増えた。3・5キロはけっこう大きい」と説明した。

 昨季8本塁打の中村奨はすでに7発。同8本塁打の鈴木が4発、本塁打0だった加藤も4発を放つなど、多くの選手が本塁打数を増やしている。

 球団は今季から2億円規模の投資で「チーム戦略部」を新設した。打撃投手らとの兼任も含めた計11人のスコアラーに加え、今季から新たにアナリストを6人体制で整備。1、2軍全選手にiPadを支給し、昨季から本拠地に設置したトラックマンのデータをフル活用している。対戦投手のデータや映像を共有し、いつでもタブレット画面で確認できるようになった。両打ちの加藤は「あいまいではなく、狙い球を絞って打ちにいけるようになった」と証言。データ分析に基づく積極的な打撃も、本塁打増に一役買っている。

 そして最も大きく変化したのが、本拠地・ZOZOマリンスタジアムだ。オフの改修で外野フェンスが最大で4メートル前にせり出す「ホームランラグーン」が完成。ただ、ここまで同球場で出た48本塁打のうち、ラグーンに飛び込んだのは9本だけ。ラグーン完成に伴い、外野フェンスの金網部分が2・5メートルから1・2メートルと低くなり、しっかりと振り抜けば、スタンドインするという心理的な部分も影響しているようだ。

 今季は対戦相手も含めて、同球場での本塁打が倍増。リーグ2位の16本塁打をマークしているレアードについて、行木チーフスコアラーは「札幌ドームだと空振りのリスクも背負って思い切り振らないと入らないけど、狭くなった分、大振りしなくなったのではないか」と分析した。

 打撃指導、データ戦略、そして球場改修で飛躍的に本塁打を量産。破壊力を増したロッテ打線が、首位から5位・西武まで4ゲーム差にひしめく混パを演出している。

ロッテ・レアード
「自分でもびっくりするほどいい状態で入れている」

ロッテ・中村奨
「今までマリンは広くてフェンスも高かったけど、今はしっかり振れば入るという意識を持つことができている」

★投手は苦戦

 観客にとって見応えがある本塁打増加が、一方で投手にとっては辛い現実でもある。4月25日のヤクルト-巨人(神宮)では信じられないような光景が広がった。

 2017、18年に沢村賞に輝いた巨人・菅野が青木、山田哲、バレンティンに3者連続本塁打を浴びた。今月15日の巨人-阪神(東京ドーム)でも自己ワーストの1試合4発を浴びるなど、8試合の登板で被本塁打13。昨季はシーズン(28試合)で被本塁打14だった右腕が苦戦している。

 その原因について、エースは「分からないですね。打者の技術が上がっているのでは」と試行錯誤を繰り返している。バッテリーを組む小林は「打者の変化があるからこそ(本塁打数が)増えていると思います。技術の向上とか、データとか」と説明した。

 技術以外の理由も挙げたのは先発、救援をこなす野上だ。「打者の技術が上がっています。いろいろなデータもある。(映像で)変化球を投げるフォームと真っすぐを投げるフォームを重ねることもできますし、変化球の軌道もわかりますし」とトラックマンなどのデータをもとに、打者は映像などで、より詳細に投球フォームの変化や癖を解析しているという。

 投手対打者の駆け引きはグラウンド上だけではない。令和の新時代に入り、より高度な戦いが繰り広げられている。

★西武も増加

 昨季のパ・リーグ覇者、西武も本塁打数が増加している。山川がリーグ1位の19本塁打。昨季は18本塁打だった外崎もここまで7本塁打を放っている。内外野をこなす外崎は「練習では飛んでいる気はするけど、試合では全然感じない」と語っていたが、19日のオリックス戦(京セラ)では「ライトフライだと思った」という打球がスタンドイン。「追い込まれながら三振をしないように引きつけて打とうとした結果。今年初めて『飛ぶなあ』と思いました」と目を丸くしていた。

(サンスポ)
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