巨人監督に江川説!?プロ野球も“古豪復活”フィーバー
全国制覇2回の実績のある習志野(千葉)が24年ぶり、作新学院(栃木)は史上初の春夏連覇を達成した1962年以来49年ぶりの8強進出-。甲子園に巻き起こっている古豪復活フィーバーはプロ球界にも波及、真夏の熱闘が刺激剤となっている。習志野OBのヤクルト・小川淳司監督(53)、ロッテ・福浦和也内野手(35)、作新学院OBの岡田幸文外野手(27)、そして、あの人も…。(宮脇広久)

「きょうは朝から、大松のところに勝ったから気分がよかった。“大松高校”に勝ててよかったですよ」
プロ18年目、35歳のベテランのロッテ・福浦は16日の日本ハム戦(QVCマリン)で、初回2死満塁の絶好機に、左翼線に落ちる走者一掃の先制3点タイムリー二塁打を放って4-1の勝利に貢献。ヒーローとなり、試合後に報道陣の前でおどけた。
福浦の母校、習志野はこの日、夏の甲子園準々決勝第1試合で金沢(石川)を破りベスト8に進出。敗れた金沢は、同僚のスラッガー大松尚逸外野手(29)の母校なのである。
高校時代に野球をやっていなかったプロ野球選手はいない。誰にも母校があり、この季節になるとチームメート内でも母校の戦いぶりに一喜一憂しながら盛り上がるのが常だ。
もっとも福浦が在学していた当時の習志野は、すでに全国制覇2回を誇る名門ではあったが、県内に新興の強豪校が乱立し、13年間甲子園出場なしの“暗黒時代”のまっただ中。「名門、名門とはいわれていましたが、強くはなかったですね。僕がピッチャーをやっていたくらいですから」と自嘲気味に苦い青春時代を振り返る。
くしくも福浦は球団主催のオールドユニホームシリーズにもあたっていたこの日、ルーキーイヤーの1年間だけ着用したロッテ千葉移転当時のピンク色を基調にしたユニホームに袖を通していた。このユニホームは福浦にとって、いわば甲子園出場を果たせなかった高校時代の苦い思いとセットだ。
ドラフト7位で投手としてプロ入りした福浦だが、肩を痛めたこともあって、1年目のうちに打者転向を命じられた。「背番号は70番(現在は9)でしたし、僕自身はピッチャーをやりたかったから、つらかったです。ここまで打者でやってこられるなんて…入団当初の先輩が見たら、まさかあの福浦が、とびっくりするのではないでしょうか」と感慨深げだ。
2001年に首位打者を獲得した好打者で、一塁手としてもゴールデングラブ賞3回を誇る福浦だが、ここ数年は故障がちで、この日もDHでの出場。それでも、「僕がもっと頑張ってみせなければいけないのに、逆に(後輩の習志野ナインに)元気づけられています」と語るように、母校の久しぶりの快進撃は、願ってもない刺激になっている様子だ。
同じ習志野出身でも、ヤクルト・小川監督は3年生だった75年にエースとして春・夏連続出場を果たし、特に夏は全国制覇を成し遂げた。
ただ、独走状態だったヤクルトの勢いに陰りが見え、巨人、阪神の猛追を許している時期とあって、この日は「母校(の話)はもういいでしょう」と言葉少な。それでも「次(準々決勝)がヤマじゃない? 毎回、第1試合で朝4時起きだからかわいそうだね」と気遣っていた。

一方、育成選手からはい上がり、昨年の日本シリーズ第7戦で決勝打、今季も2番センターの定位置を不動のものとし、華麗な守備を連発してブレーク中のロッテ・岡田は作新学院出身。ただし、こちらも甲子園出場経験はない。
主将で1番センターだった3年生のときには、春の県大会を制したが、第1シードで迎えた最後の夏は、4回戦でまさかの敗退を喫した。作新学院の小針崇宏・現監督は、岡田にとって母校の1学年先輩で、主将の座を引き継いだ間柄でもある。
作新学院きっての“出世頭”といえば、巨人の元エース、江川卓氏。今年の作新学院は、その江川氏も成し遂げられなかったベスト8に進出。8強は、かつてロッテ監督として指揮をとったこともある八木沢荘六氏(66)がエースとして史上初の春夏連覇を達成した62年以来49年ぶりの快挙だ。
岡田は「八木沢さんは昨年までヤクルトの2軍コーチをされていたので、ごあいさつしたことはあります。実は今年、くしくも作新学院が県大会決勝に勝って甲子園出場を決めた日、八木沢さんが始球式でQVCマリンに来られて、一緒に喜ぶことができたんですよ」と明かす。
守護神の小林宏と主力の西岡が抜け、今季開幕前は最下位予想がもっぱらだったロッテだが、しぶとく順位を上げ、リーグ3位から日本一にはい上がり、史上最大の下克上を達成した昨年を彷彿させる展開に。一方、小川ヤクルトも予想を超える快進撃で首位を走っている。

どうやら今年は、習志野と作新学院、およびそのOBにツキがあるようだ。とすれば、江川氏にも、念願の巨人監督就任のチャンスが巡ってくるのかもしれない!?
全国制覇2回の実績のある習志野(千葉)が24年ぶり、作新学院(栃木)は史上初の春夏連覇を達成した1962年以来49年ぶりの8強進出-。甲子園に巻き起こっている古豪復活フィーバーはプロ球界にも波及、真夏の熱闘が刺激剤となっている。習志野OBのヤクルト・小川淳司監督(53)、ロッテ・福浦和也内野手(35)、作新学院OBの岡田幸文外野手(27)、そして、あの人も…。(宮脇広久)


「きょうは朝から、大松のところに勝ったから気分がよかった。“大松高校”に勝ててよかったですよ」
プロ18年目、35歳のベテランのロッテ・福浦は16日の日本ハム戦(QVCマリン)で、初回2死満塁の絶好機に、左翼線に落ちる走者一掃の先制3点タイムリー二塁打を放って4-1の勝利に貢献。ヒーローとなり、試合後に報道陣の前でおどけた。
福浦の母校、習志野はこの日、夏の甲子園準々決勝第1試合で金沢(石川)を破りベスト8に進出。敗れた金沢は、同僚のスラッガー大松尚逸外野手(29)の母校なのである。
高校時代に野球をやっていなかったプロ野球選手はいない。誰にも母校があり、この季節になるとチームメート内でも母校の戦いぶりに一喜一憂しながら盛り上がるのが常だ。
もっとも福浦が在学していた当時の習志野は、すでに全国制覇2回を誇る名門ではあったが、県内に新興の強豪校が乱立し、13年間甲子園出場なしの“暗黒時代”のまっただ中。「名門、名門とはいわれていましたが、強くはなかったですね。僕がピッチャーをやっていたくらいですから」と自嘲気味に苦い青春時代を振り返る。
くしくも福浦は球団主催のオールドユニホームシリーズにもあたっていたこの日、ルーキーイヤーの1年間だけ着用したロッテ千葉移転当時のピンク色を基調にしたユニホームに袖を通していた。このユニホームは福浦にとって、いわば甲子園出場を果たせなかった高校時代の苦い思いとセットだ。
ドラフト7位で投手としてプロ入りした福浦だが、肩を痛めたこともあって、1年目のうちに打者転向を命じられた。「背番号は70番(現在は9)でしたし、僕自身はピッチャーをやりたかったから、つらかったです。ここまで打者でやってこられるなんて…入団当初の先輩が見たら、まさかあの福浦が、とびっくりするのではないでしょうか」と感慨深げだ。
2001年に首位打者を獲得した好打者で、一塁手としてもゴールデングラブ賞3回を誇る福浦だが、ここ数年は故障がちで、この日もDHでの出場。それでも、「僕がもっと頑張ってみせなければいけないのに、逆に(後輩の習志野ナインに)元気づけられています」と語るように、母校の久しぶりの快進撃は、願ってもない刺激になっている様子だ。
同じ習志野出身でも、ヤクルト・小川監督は3年生だった75年にエースとして春・夏連続出場を果たし、特に夏は全国制覇を成し遂げた。
ただ、独走状態だったヤクルトの勢いに陰りが見え、巨人、阪神の猛追を許している時期とあって、この日は「母校(の話)はもういいでしょう」と言葉少な。それでも「次(準々決勝)がヤマじゃない? 毎回、第1試合で朝4時起きだからかわいそうだね」と気遣っていた。


一方、育成選手からはい上がり、昨年の日本シリーズ第7戦で決勝打、今季も2番センターの定位置を不動のものとし、華麗な守備を連発してブレーク中のロッテ・岡田は作新学院出身。ただし、こちらも甲子園出場経験はない。
主将で1番センターだった3年生のときには、春の県大会を制したが、第1シードで迎えた最後の夏は、4回戦でまさかの敗退を喫した。作新学院の小針崇宏・現監督は、岡田にとって母校の1学年先輩で、主将の座を引き継いだ間柄でもある。
作新学院きっての“出世頭”といえば、巨人の元エース、江川卓氏。今年の作新学院は、その江川氏も成し遂げられなかったベスト8に進出。8強は、かつてロッテ監督として指揮をとったこともある八木沢荘六氏(66)がエースとして史上初の春夏連覇を達成した62年以来49年ぶりの快挙だ。
岡田は「八木沢さんは昨年までヤクルトの2軍コーチをされていたので、ごあいさつしたことはあります。実は今年、くしくも作新学院が県大会決勝に勝って甲子園出場を決めた日、八木沢さんが始球式でQVCマリンに来られて、一緒に喜ぶことができたんですよ」と明かす。
守護神の小林宏と主力の西岡が抜け、今季開幕前は最下位予想がもっぱらだったロッテだが、しぶとく順位を上げ、リーグ3位から日本一にはい上がり、史上最大の下克上を達成した昨年を彷彿させる展開に。一方、小川ヤクルトも予想を超える快進撃で首位を走っている。

どうやら今年は、習志野と作新学院、およびそのOBにツキがあるようだ。とすれば、江川氏にも、念願の巨人監督就任のチャンスが巡ってくるのかもしれない!?
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