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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム記事【3/11~3/12】

2023年03月13日 00時39分15秒 | マリーンズ2023
≪3/11≫


 2023年3月4日。マスクを着用した状態で声を出しての応援が解禁となり、ロッテの本拠地・ZOZOマリンスタジアムに選手たちを後押しするあの大声援が戻ってきた。

 ロッテの美馬学は19年オフに楽天からFAでロッテに加入した際、「今年(2019年)は東京ドームで投げさせていただいたときに、正直あの応援に圧倒されたというのがあったので、その応援を味方にできるというのは嬉しく思います」と、マリーンズファンを味方にして投げることをとても楽しみにしていた。

 しかし、20年3月に世界的に新型コロナウイルスが大流行。オープン戦は無観客で開催したものの、当初3月20日に予定されていたプロ野球の開幕は延期。結局6月19日に無観客でプロ野球が開幕し、人数制限などをして公式戦を開催した。21年、22年は143試合の公式戦を開催し、CS、日本シリーズを戦ったが、応援スタイルはなかなか日常に戻ることがなかった。昨季まで3年間マリンスタジアムでの声を出しての応援ができなかったため、手拍子の応援はあったが、美馬は移籍してからの3年間、マリーンズファンの“声”での後押しを受けたことがない。

 2023年3月5日のヤクルトとのオープン戦。声出し応援が解禁となり、移籍後マリンスタジアムでは初めて『み〜ま、み〜ま』の大コールを受けてマウンドに上がった。

 「応援があるだけで雰囲気が変わるので、いいチームだなと思います」。

 マリーンズの攻撃が終了し、美馬が次のイニングに向けてマウンドへ向かう時も、いつものコールがマリンスタジアムに響き渡った。

 「何もなかったのに慣れていたので、コールがあると頑張ろうという気持ちになります」。ファンの美馬コールは、美馬の気持ちを奮い立たせている。

 今季、移籍4年目にして初めて、マリーンズファンの大声援を受けて戦うことになる。「応援はすごいなと改めて思いました。解禁の日、溜めていたものがという感じの応援だったので、あの応援がシーズンも入って人が増えて応援が大きくなると考えたら力になるなと思います」。

 マリーンズファンの声が選手の力になり、選手たちの活躍、パワーにつながっている。マリーンズの選手たちには熱いファンがついている。この声援を味方に、今季も熱い投球でチームに白星をたくさんもたらし、マリーンズファンを笑顔にさせて欲しい。そして秋には、選手、スタッフ、ファンがZOZOマリンスタジアムで歓喜の瞬間を迎え、大きな声を出して喜びを分かち合いたい。

取材・文=岩下雄太

(ベースボールキング)

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≪3/12≫


 最後は148kmのストレートを外角いっぱいに投げ込んだ。宮城大弥の、これが68球目。代打に立ったチェコ代表のA・デュボビーのバットが空を切ると、左拳を小さく握って表情を崩した。出迎えるチームメートと次々と歓喜のハイタッチを交わす。待っていたのは三日月型に目尻を下げた佐々木朗希。192cmの長身から頭をポンと叩かれた宮城は、少し首を縮めながら満面の笑みで応えた。 

「正直最後まで行くとは思っていなかったですけど、それでも体の方は準備できていたので、いい勢いのままマウンドに上がれたのは本当に良かったと思います」

 8回を投げ終えて、球数は54球。吉井理人投手コーチの問いに頷き、9回のマウンドにも上がった。9回2死からデュボビーを迎えた時点で、球数制限(65球)まであと4球。この打者を抑えられなければ、ブルペンで備えるクローザー・大勢の助けを借りなければいけない。フルカウントまで粘られたが、最後は注文通りの空振り三振。前の回から打者5人連続三振という圧巻投球で5回2安打1失点と試合を締め、セーブを挙げるおまけもついた。

「たぶん(人生で)初めてのセーブだと思うんですけど、先発と違い、いい感覚も味わえました」 

「めちゃめちゃ緊張」した宮城をほぐしたのは…

 160km台の剛球を連発して4回途中1失点に抑えた先発の佐々木から、打者一人を抑えたリリーバーの宇田川優希を挟んで、宮城にバトンが渡った。立ち上がりの5回は先頭から2者連続でヒットを許し、「ストライク先行はできているのに最後の決め球がうまくいかずに甘く入って打たれてしまった」。

 内野ゴロで失点を許したが、見事な牽制でアウトを奪いピンチを切り抜けると、6回からは「割り切って」スタイルチェンジした。最速のストレート150kmに対し、89kmをマークした超スローカーブを有効に使い、実に60km以上の緩急差と抜群の制球力で残り4イニングをパーフェクトに抑えた。

「めちゃめちゃ緊張しましたが、本当に素晴らしいチームメートの皆さんが声をかけてくれて、毎イニング出迎えてくれて、少しずつ緊張がほぐれてきて、いいピッチングできたと思います」

宮城と佐々木の絆が生んだ“同学年リレー”

 宮城と佐々木は同じ2001年生まれ。二人の“同学年リレー”は、実は1カ月近く前から計画されていた。厚澤和幸ブルペン担当コーチが明かす。
「第二先発までのプランは、僕と吉井コーチと監督でだいぶ早くから決めていた。そこをイメージしてくれ、という意味で、第二先発まで宮崎合宿の時点で告げていました」

 1次ラウンド初戦の中国戦(9日)の大谷翔平と戸郷翔征、韓国戦(10日)のダルビッシュ有と今永昇太、チェコ戦(11日)の佐々木と宮城、オーストラリア戦(12日)の山本由伸と高橋奎二――。先発と、第二先発。同じ試合に登板する二人は、どちらかがメーンでどちらかがサブ、という位置付けではなく、「二人で試合を作る」というイメージを共有しながら宮崎合宿から準備してきた。

試合後、佐々木と話した「ナイスピッチ」

 佐々木と宮城は揃って「3・11 チェコ戦」から逆算した調整を重ね、相手打者を分析し、試合をイメージしながら、共にそのプレッシャーを分け合ってきた。高校3年時に、高校日本代表として時間を共にして以来、連絡を取り合うなど仲が良い二人。宮崎合宿中は投手練習や移動の際などいつも一緒に行動していたが、その絆は大一番へと挑む“バディ”としても大いにプラスに働いた。

 共にトップチームの国際大会は初体験。試合前はやはり、ガチガチに緊張していたという。宮城は言う。

「(佐々木とは)試合前は『一緒にしっかり頑張ろう』ということをお互い話していましたし、試合後はお互いいいピッチングができたと思うので、『ナイスピッチ』って」

2人が共有する、“悔しい思い出”とは?

 二人が国際大会でバトンを繋ぐのは、これが初めてではない。2019年9月6日、仲を深めたきっかけでもある韓国でのU-18ワールドカップ。スーパーラウンドの韓国戦で、当時大船渡高でプロ注目投手だった佐々木は高校日本代表の先発マウンドに上った。しかし、試合前に右手中指のマメが痛み出し、1回を投げたところで無念の降板となった。

 当時興南高の宮城は、この試合で「6番・レフト」で先発し、途中からはライトに回っていた。佐々木の緊急降板を受け、待機していた投手を総動員するなかで、4番手として2点リードの7回からマウンドへ。3回を投げ打者15人に対して5安打2奪三振と奮闘したが、味方のエラーもあって2−2の同点に追いつかれた。試合は延長タイブレークの末、4-5と逆転負け。チームは翌日のオーストラリア代表戦にも敗れて5位に終わり4大会ぶりにメダルを逃した。JAPANのユニフォームに袖を通して上がったマウンドは、二人にとって悔しい思い出のまま終わっていた。

 あれから3年半。オリックスとロッテから共にドラフト1位指名を受けた両腕は、トップチームの日の丸投手陣を担う存在へと成長した。「3・11」、その特別な日に、自身も東日本大震災の被災者としての思いを背負って投げた佐々木は、侍史上最年少の勝利投手になった。

21歳の二人は、最高の舞台で輝いた

「いろいろありましたけど、今日自分ができることをしっかりやって、今日このマウンドに立てたことに感謝していました」

 お立ち台では万感の思いを口にした。

 宮城はその佐々木よりも長い5回を投げ抜き、渾身の1球で勝利を締めくくった。

「球数制限がある中で5回まで行けて、中継ぎの負担を少しは減らせたと思いますので、その部分は自信を持って次にのぞみたいなと思います」

 はにかみながらも胸を張った。

 3球でピンチを抑えた宇田川先輩の力も借りて最高の舞台で共に結果を残した二人。21歳のJAPANのユニフォームはこの夜、誇りと輝きに満ちていた。

文=佐藤春佳

(Number)

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≪3/12≫


移籍1年目の昨季は移籍直後に勝ち試合に登板も…

 「チームとしてもリーグ優勝と日本一になりたいと思いますし、それに少しでも力になりたいと思います」。

 昨年7月29日に山本大貴とのトレードでヤクルトから加入した坂本光士郎は、移籍2年目の今季、一軍の戦力として活躍を誓う。

 昨季はトレードが発表された翌日の7月30日に一軍登録され、同日のオリックス戦でデビュー。4-6の8回に登板し1イニングを三者凡退に抑える好スタートを切った。8月2日の楽天戦では当時勝ちパターンを務めていた東條大樹が新型コロナウイルス陽性判定で一軍登録抹消中、ゲレーロもベンチ外だったこともあり、6-3の7回に登板し移籍後初ホールドをマークした。

 この勢いで坂本も、前年(21年)の国吉佑樹、20年の澤村拓一のように途中加入から“勝ちパターン”に食い込んでいくかと思われたが、翌3日に新型コロナウイルス陽性判定を受け離脱。8月31日のヤクルトとの二軍戦で実戦復帰し、9月18日に再昇格を果たしたが、ホールドの付く場面での登板はなく、7試合・8回2/3を投げて、1ホールド、6奪三振、防御率4.15という成績で移籍1年目を終えた。

50試合登板を目標

 移籍2年目に向けてこのオフは「体の動きだったりを一から考えてやってみようというので、連動だったりを意識してやってきました」と下半身と上半身の連動を意識したトレーニングを行ってきた。

 2月の練習試合では6試合・8イニングを投げて、イニング数を上回る10奪三振。今季実戦初登板となった2月12日の楽天モンキーズ戦では1イニング全てのアウトを三振に仕留めた。オープン戦を含めても、8試合・10イニングを投げて11奪三振と、昨季に比べて奪三振の割合が増えている。

 坂本は「あんまり三振というのは考えてやっていなかったので、とりあえず1試合1試合抑えることだけを考えて投げていました」と、三振が多いこと、三振に関しては特に意識していない様子。

 ただ、「毎年中継ぎで50試合投げたいというのを掲げているので、今年はそれを達成できるようにしたい」と登板数へのこだわりは持っている。

 50試合以上登板するために必要なことについて「体力が必要だと思うので、1年間戦える体力、回復するためにどうしなければいけないかというのを考えていかないといけないのでやっています」と語った。

 マリーンズのブルペン事情でいえば、近年はサウスポーが手薄。「左なので左バッターを抑えるのが僕たちのいちばんの仕事だと思っている。左バッターを抑えることを意識していきたいです」。まずは開幕一軍を掴み、開幕してからも結果を残し続ければ、目標に掲げる50試合登板も見えてくる。

取材・文=岩下雄太

(ベースボールキング)


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