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拾い読み★2016-112≪コラム記事≫

2016年04月21日 09時25分21秒 | マリーンズ2016
3年目の初勝利。ドラフト6位を育成した「二木康太プロジェクト」

 別に、二木康太(ふたき・こうた)を見に行ったわけではなかった。もちろん、その頃は二木の「ふ」の字も知らなかったわけで、その日の目当ては鹿児島工業の剛球右腕・江口昌太だった。

 2012年4月1日、三塁側スタンドのはるか向こうに桜島の煙たなびく県営・鴨池球場。春の鹿児島県大会の、たしか1回戦だったと思う。

 別に、二木康太(ふたき・こうた)を見に行ったわけではなかった。もちろん、その頃は二木の「ふ」の字も知らなかったわけで、その日の目当ては鹿児島工業の剛球右腕・江口昌太だった。

 2012年4月1日、三塁側スタンドのはるか向こうに桜島の煙たなびく県営・鴨池球場。春の鹿児島県大会の、たしか1回戦だったと思う。

 話を”鴨池球場”に戻そう。

 気がつくと、江口と投げ合っているもうひとりの右腕に夢中になっていた。それが、鹿児島情報高の二木康太だった。

 身長187センチ。ひょろっとしたユニフォーム姿のオーバーハンドだ。初回のマウンドに上がったときの”ひ弱”な印象が、回を追うごとに変わっていく。テイクバックを小さめにとって、前で大きく腕を振る。その腕の振りの思い切りのよさが、見ているこっちの心を揺さぶってくる。真上から投げ下ろし、右打者の外角低めのストレートが初回からビシビシ決まる。

 球場のアナウンスがよく聞き取れず、二木は「にき」だとばかり思っていたら、後ろの席にいた地元の人の会話から「ふたき」だとわかった頃には、強打の鹿児島工打線のスコアボードに「0」が7つも並んでいた。

 足腰だってまだそれほど強くないはずなのに、左半身から打者に踏み込んで、両肩の線がしっかり打者を向いている。ボールを握る右腕が体の後ろに隠れてリリースが見えにくい上、踏み込んだ際に体を左右に一気に切り返すから、打者は打ちにいくタイミングが一瞬遅れてしまう。

 高校野球界ではあまり聞かない「鹿児島情報高」の投手が、じつに合理的なピッチングフォームで、県下屈指の強力打線に対して堂々と投げ込んでいく。その痛快さに心を打たれてしまった。

 江口のストレートが”剛速球”ならば、二木のそれは”快速球”。たとえるなら、浅尾拓也(中日)のストレートだ。すばらしいスピンとホームベース上での伸び。おそらく打者は、インパクトの瞬間、ボール2つから3つ分差し込まれている。

そして、驚いたのはそのコントロールだ。構えたミットに投げ込まれる確率を示す“コントロール率”は、終盤の7回まで74%をマーク。プロの一軍クラスの制球力があることを証明した。

 メンバー表を見ると、二木は2年生になったばかりで、江口の1つ下だった。これだけ理にかなったピッチングフォームを持ち、球威、制球力も抜群。とんでもない投手を発見したものだと興奮を隠し切れずにいた。

 翌年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから6位指名された二木を見て、「そんなものじゃないだろう!」と秘かに反発を覚えたが、「絶対に二木はものになる」と、2年間ずっと追っかけてきた。

 1年目は、1シーズン投げ続けられるための体力づくりに専念し、“陸上部”のごとく走り続けた二木。そして2年目の夏前あたりから、ファームの主戦格として先発ローテーションに名を連ねた。投げるたびに6~7イニングを1~2点に抑える好投で、試合をつくれることをアピール。

 なかでも8月29日、イースタンリーグでの日本ハム戦は、7イニング投げ、許したヒットは大嶋匠の本塁打だけ。2年間ファームで鍛えた成果を見せつけ、10月5日の一軍昇格につながった。

 この試合、序盤から5イニングのロングリリーフ。いきなり難しい仕事が回ってきたが、なんとか1失点でしのぎ、今年の春季キャンプでの一軍スタートにつなげた。

 もともと、<数字>でおどかすタイプじゃない。187センチの長身と長いリーチを合わせた3メートル近い高さから投げ下ろされる“角度”と、地上30センチほどの低いゾーンにすべての球種を集められるコントロール。それが、高校時代からの二木の持ち味だ。

そして今年、4月12日の楽天戦。ストレートのアベレージは135キロ前後。それでも、スライダー、チェンジアップ、スプリットに、100キロちょっとのスローカーブまで、両サイド低めにきっちりコントロールして、楽天打線を翻弄。7点リードの最終回にボールが高くなり、2本のヒットと犠牲フライで1点を失ったが、堂々のプロ初完投・初勝利。

「二木康太プロジェクト」――以前、彼のプロ入りに関わったスカウトの方から、そんなネーミングで二木を土台からしっかりつくり上げていこうという試みがなされていると聞いたことがある。

 高校時代の大会プログラムを見てみると、当時の二木の体重は72キロ。絵に描いたような“ひょろなが”の投手だったが、今ではエース涌井秀章が小さく見えるほどの雄大なユニフォーム姿となって、一軍のマウンドに上がっている。

 この2年間、球団の期待に応えるべく、懸命に走り、投げ、食べ、トレーニングを積み重ねてきた。二木の努力は当然のことながら、育成プログラムを組み、合理的かつ計画的に選手を育ててきた球団の勝利ともいえる。

 新鋭右腕・二木のプロ初勝利は、そういう意味でもかけがえのない“1勝”になったのではないだろうか。

安倍昌彦●文

(Sportiva)



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4月に入り打撃好調のロッテ・平沢 糸井を育てた大村コーチが“トップクラス”と評価

 仙台育英高からドラフト1位でロッテに入団したルーキーの平沢大河が、一軍昇格を目指し二軍で奮闘中だ。19日は二軍降格後初めて、一軍の本拠地QVCマリンでプレーし、4打数0安打、2三振という内容だった。

 当初は開幕スタメンを期待され、キャンプ、オープン戦中盤まで一軍に帯同していたが、オープン戦6試合に出場して、打率.083(12打数1安打)。失策数は1つだが、3月7日の日本ハム戦ではアウトにできる打球を安打にして失点に繋げるなど、記録に残らないミスもあり、3月13日のオリックス戦を最後に二軍落ちした。

 降格後は二軍戦にスタメン出場するも、キャンプで見せたような打撃を披露できず、3月が終了した時点の打率は.222と苦しんでいた。

 しかし、4月に入ると当たりが出はじめる。2日と3日の楽天戦では、2試合連続でマルチ安打を記録。特に3日の試合では、本塁打を含む2安打2打点の活躍を見せた。2日の楽天戦を境に調子を上げた平沢は、16日のヤクルト戦まで7試合連続安打を記録。この間、5試合で複数安打と、一時は打率を.339まで上昇させた。

 平沢の状態が上がってきた理由について、大村巌二軍打撃コーチは、「(開幕してから)一カ月が経って、二軍の球に慣れ、対応してきた」と分析。「今はひとつずつ階段を上がってきている段階で勉強中」と話す。中でも、大村コーチは平沢に「バッティング、練習、試合前、試合に100%入れる準備」など、“準備の重要さ”を説いているようだ。

 非凡な才能を感じさせる平沢について、大村コーチは「筒香、中田とかは高卒1年目に(二軍で)20発くらい打っていますが、対応のスピード、吸収力が早い平沢もトップクラスになるでしょうね。ここまでは順調ですね」と話してくれた。

 日本ハム時代に糸井嘉男、DeNA時代には筒香嘉智を成長させた打撃コーチが、現時点で“トップクラス”と話す逸材。近い将来、一軍での活躍が期待される平沢が、課題の守備面を含めてどんな成長曲線を描いていくのか。今から楽しみだ。

(ベースボールキング)
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