半ドン(はんどん)‥‥学校や役所(一部の民間)が土曜日に午前中に終わる事。
私が二十代前半の頃迄は日本中がこんな感じでしたね。週休二日制ではなかった。
なので、母親が働いていた私の家庭の場合、土曜日の昼食は自炊でした。朝食の残りを主に食べていましたが、小学生のある時にインスタントラーメン(袋麺ですよ。カップ麺ではないです。)が発売された時は嬉しかったです。
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母子寮での生活も歳月が流れ、私は小学4年になっていました。
すると寮内での噂で、母子寮を解散するらしいという情報が流れました。経営という観点からすれば赤字だった気がします。家賃はほぼタダ同然だし、建っている場所が市街地の、それも好条件の場所ですから固定資産税も安くはないと思います。もしかしたら借地だったのかもしれません。それで、期限が来たのかも。今はもう建物はなくて、舗装した有料 . . . 本文を読む
私が小学四年生まで住んでいた母子寮には入所資格があり、金融資産・不動産・多額の預金等があれば資格を満たしません。給料などの収入も一定額以下であることが条件となります。
当時の母親は離婚した際に土地建物を売却してまとまったお金を持っていました。以前住んでいた場所をたたんで無借金で購入したようですから、マイナスという事はないようです。でもそのままでは入所できないのでそのお金はある親戚 . . . 本文を読む
命の危険があった事について(I)‥‥
① 母からの伝聞ですが、私は初産だった所為なのか難産に近かったそうです。当時は時代がら自宅にてお産婆さんが取り上げてくれたのですが、なかなか産声を上げない私に手を尽くしてやっとの事で「オギャー」となったそうで、まあ、仮死状態に近い感じでしょう。
② 私はその出生した家に数年いたのですが、当時、滞在期間は不明ですが伯母が同居し . . . 本文を読む
親1人子1人で生活していて一番困ったのは母親が入院した時です。
母子寮時代だけでも覚えているのは5回あります。
その時の気持ちといったら、「もし母親が死んでしまったら、養護施設行きだ。嫌だなぁ」ということが頭の中に浮かんでは消え浮かんでは消えの繰り返しでした。
*養護施設については回顧録 2の最後の方を参照
※リンクは今はできません。すみません。
とにかく心細い . . . 本文を読む
今のご時世では母子家庭はごく普通に見受けられ、「シングルマザー」とも称され、かなり一般的に受け入れられるようになってきていてその世帯数も増加してるようです。
母子家庭になる理由は様々ですが、
・DV等身体的・精神的な被害が明らかな場合
・父親が収入を全くと言っていい程家庭に入れず、愛人を囲ったりギャンブル等に消費してしまうケース。
・父親が仕事中心すぎて家庭内を全く考慮しない . . . 本文を読む
昭和30年代後半の社会現象に「蒸発」というのがありました。
ある日、家族・知人が突然いなくなり音信不通になってしまうのです。
朝、「行ってきまーす」と言って家を出たきり夜になっても帰って来ないのです。
事故か事件に巻き込まれたのか、どこかで元気に暮らしているのか、皆目見当がつかないので不安になった家族の方も全国的にはいらっしゃったみたい。
今では「特定失踪者」とか「行方不 . . . 本文を読む
先回お伝えした母子寮生活での出来事の中で覚えている事を幾つか‥‥ ① 当時寮母が犬を飼っていたのですが、私がまだ小学生低学年の頃だったと思います。その犬は私をばかにしていて、いつも吠えるので困っていました。今でいうところの「犬勢症候群」かも。 ある日学校から帰るとなんとその犬が解き放されていたのです。多分、鎖か紐が切れてたのかもしれません。 その犬は私を見つけるなり吠えながら私に向かっ . . . 本文を読む
「回顧録 1」で少し触れましたが、結婚するまで私の家族構成は親1人子1人の母子家庭でした。
正直なところ、あまり良い思い出はありません。
私が2~3歳の頃に両親は離別したので父親の顔や声は全く記憶にはなく、たとえバスで隣に座ったとしても誰だかわからないでしょう。尤も今では鬼籍に入っていますが。
周囲の子供たちには自分の家があり、両親が揃っており、兄弟がいるのが普通の状況での私の置かれた . . . 本文を読む
振り返ってみると高校時代迄はあまりいい思い出はないなぁ。
家庭の事情が影響していたのかもしれない。
両親兄弟揃って家があり、ホームドラマで見るようなごく普通の家庭ではなかったからなのか。
だからアニメのサザエさんの事を考える時は不快になる。あれが日本の標準だと思われるのは嫌だ。
何で自分だけこんな思いをしなければならないんだろうと考える事も多かった。
物心ついた頃から気がつけば . . . 本文を読む