別宮山 金剛院 南光坊
このところ三島に夢のさめぬれば
別宮とても同じ垂迹
南光坊の見どころ
・大通智勝如来
『法華経』の化城喩品第七に説かれている仏で、大山祇大明神の本地とされて河野水軍に信仰された。
・川村驥山の菅笠
書道界初めて芸術院賞を受けた書家で、昭和29年娘を伴い遍路の途中に南光坊の住職と出会い、奉納した菅笠。あまりの達筆に驚いた住職の望みに応えた。
・今治城
納経所の方がとても親切で、今治城にも立ち寄ってみることを進められました。
手書きハガキもくださいました。
別宮山 金剛院 南光坊
このところ三島に夢のさめぬれば
別宮とても同じ垂迹
・大通智勝如来
『法華経』の化城喩品第七に説かれている仏で、大山祇大明神の本地とされて河野水軍に信仰された。
・川村驥山の菅笠
書道界初めて芸術院賞を受けた書家で、昭和29年娘を伴い遍路の途中に南光坊の住職と出会い、奉納した菅笠。あまりの達筆に驚いた住職の望みに応えた。
・今治城
納経所の方がとても親切で、今治城にも立ち寄ってみることを進められました。
手書きハガキもくださいました。
近見山 宝鐘院 延命寺
くもりなき鏡の縁とながむれば
残さず影をうつすものかな
・山門
もと今治城の城門の一つで、総けやき造り。明治初期に今治城取り壊しの際に譲り受けた。
・火伏せ不動尊
本尊。宝冠をかぶった珍しい不動明王像で、再三の火災から逃れているのでこの尊名が。
・越智孫兵衛の墓(阿方の庄屋であった越智孫兵衛は、農民の窮乏を救い、享保年間の大飢饉でも餓死者を出さなかったと伝えられる。)
延命寺では今回最初の交通安全ステッカーを入手しました。
須賀山 正智院 円明寺
来迎の弥陀の光の圓明寺
照りそふ影は夜な夜なの月
・キリシタン石塔
・左甚五郎作の龍
・観音堂(十一面観音像を安置。慶長5年の台座銘。)
第52番 瀧雲山 護持院 太山寺
太山へのぼれば汗のいでけれど
後の世思へば何の苦もなし
・本堂
・仁王門
・聖徳太子堂(伊予を訪れた太子が、この寺と縁を結んだ。法隆寺夢殿と同じ太子像を祀る。)
・摩尼車
熊野山 虚空蔵院 石手寺
西方をよそとは見まじ安養の
寺に詣りて受くる十楽
日本最古といわれる道後温泉の近く。参道が回廊形式となり仲見世のみやげ店が並ぶ。境内は、巡礼者よりも地元のお大師さん信者や観光客が多い霊場である。
そのもう一つの要因は、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されている壮観さで、それに寺宝を常時展示している宝物館を備えており、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院である。
仁王門
鎌倉末期に建てられた全国屈指の楼門で、国宝に指定されています。
門にかかる約3メートルの大ワラジを触って自分の足を触るとご利益があるのだとか
境内裏手の山上からお遍路さんを見守る高さ約16メートルの「やる気大師像」
三重塔
高さ25メートルの三重塔は鎌倉末期に建てられた重要文化財
88の札所と高野山の砂が詰められた「八十八カ所霊場お砂撫で」があります。
本堂
鎌倉末期に建てられた風格漂う本堂は国の重要文化財
本堂横の「七転八起衛門三郎の再生石」は、元気が得られる石といわれ、1個持ち帰り、1年後に7個足して8個返すという願掛けスポットです。
訶梨帝母天堂
鬼子母神を祀っており、子授け安産石を持ち帰ると子宝に恵まれると言われています。
恵まれたら2個足して3個返すのが習わし。
マントラ洞窟
本堂北側の洞窟
入口からまっすぐ進むと金剛曼荼羅の世界、右手方向に進めばミニ八十八カ所霊場と弘法大師修行場があります。
奥の院
マントラ洞窟を抜け、道なりに進んだ先に、マントラ塔とよばれる黄金に輝くパゴダがあります。
その横にはやせ細った釈迦苦行像と五百羅漢像。
もう一つ、清浄洞窟という奥の院ができていました。
お釈迦様の体内を体験できるのだとか。
朝7時過ぎに誰もおらず、ただ一人で狭くて真っ暗な洞窟に入ったので清浄心より恐怖心の方が強かったです。
洞窟を抜けると「みんな一緒大仏」がありました。
11月14日(木)から22日(金)まで四国の旅に出かけます。
旅の目的は二つあります。
三度目のお遍路と塩飽諸島(本島)訪問です。
石鎚神社(本社)と金刀比羅宮も訪問予定です。
今回のお遍路のために、仏前勤行次第(開経偈・懺悔文・三帰・三鏡・十善戒・発菩提心真言・三摩耶戒真言・般若心経・十三仏真言・光明真言・大師宝号・廻向)をすべて暗記しました。
これでやっと冊子を見ないで勤行ができるようになりました。
今回のお遍路は各寺の見どころをじっくりと味わうつもりです。
晩秋の紅葉も楽しみです。
塩飽諸島は、海賊の子孫の島であり、「船乗りのメッカ」「北前船のふるさと」と呼ばれています。
徳川幕府は島を領知させる朱印状を与え、人名による自治が続いたとのこと。
お遍路の途中、半日ほど立ち寄るつもりです。