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ミセスローゼンの道後日記

お涅槃の終点へ来て引き返す

Rain or Shineという店へこうもり傘を直しに行く先生を隣に乗せてミッドタウンまで運転する。先生は助手席に座ると、一人で喋り続ける。
「娘のシビルが、友達の出ているオペラに誘ってくれたよ。最近は電話しても無視か、気のない声しか聞けなかったのに、パーティーの夜いらい、僕に優しいんだ。たぶんあなたのせいだろう。主役のソプラノがシビルの友達で、見事な赤毛でね、彼女は僕をファーストネームで呼ぶんだよ、その声といったらもう、彼女の存在感でオペラが成功したようなもんさ。」
運転中は英語に集中できない。電池切れみたいになって、気を抜くと何も聞こえない。上の空の私に気づいた先生は、黙ってCDをかける。ハイフェッツ・コレクションVOL28。先生の先生ピアティゴルスキーがチェロを弾き、先生の友人ミルトン・トーマスが素晴らしいビオラソロを聞かせる、ブラームスのクインテットが最初に入ってるやつだ。これが想定の範囲を超えて、もう恐ろしく速い。ハイフェッツと一緒に、一秒も遅れずバイオリンを弾きまくってる先生を乗せてこのままドライブして、どこかへ行ってしまいたくなる。
だがどこにも行かず、ところどころ大きな水たまりを避けながら、無事に傘屋さんに着く。
それから私はバレエへ行く。初めて持ち道具の紐を使い、花のワルツを練習する。ソロのかたがどんどん練習してうまくなっていく。私ももっと踊りたい。踊れるようになりたい。今度の休みはスキーに行かずバレエに来よう。バレエの帰り、お友だちと一緒に地下鉄の終点まで乗って喋る。私はそこで車に乗り換え、彼女はその車両で引き返す。終点の風景を見たかったの、と彼女は言った。私も専業主婦だった頃は時々そんなことやった。気持ちがわかる。下宿に帰ってそのことを話すと、「なぜそのかたをディナーにお誘いしなかったのですか? 今夜の献立はホタテとオイスターマッシュルームのソテーにサラダ、デザートには干し葡萄と胡桃入りのキャロットケーキもあるのですよ。」と朗善先生が言った。
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