[次の世のカタについて1]では次の世の方(かた)について、そしてみろくの世までの経過的な期間について書きました。
経過的な期間は決まった型に当てはめていくものではなく、今この時代に生きている人々や森羅万象全てが時代の激流の中で見出し、創り出していくものだと思います。ひふみ神示は預言書でもあり、指南書です。そして私はそれを解釈して書いています。激流の中、大峠に向かって一人ひとりの身魂が影響し合い、その発する心が影響し合い進んで型を作っていきます。
以前、私はひふみ神示の修行について書いた記事があります
現代の悟りに至る道 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/6ff515cbb8a8aa286d158cadd57052eb
ひふみ神示~悟りに至る道 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/0309b178cef659f8e407070536c41da8
maitreyaとみろくの解毒作用 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/5081fc4d604c77b5a097ef2f8084d855
(ひふみ神示にみろくの解毒作用について書かれていました、【心の梅干し】です)
身魂磨きと神人 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/7df687da214afc7005f09004f996fbd5
身魂磨きと神人2 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/6cfc070e3c47c55cd700b6c435b26e69
もう一つ、【次の世の生活の型】について書きます。日常生活や食生活です。
岡本天明氏の自動書記により書かれた日月神示は1944年6月から、昭和19年という終戦の前の年から始まりました。当時は統制と配給により物資はほとんど無い状態です。また新聞やラジオが主な情報元でした。
このような統制と配給の社会の時の日常生活と現代の日常生活は同じではないでしょう。
日常生活について
身魂を磨くというのは心・口・行(仏教では身・口・意 しんくい)を正し、整えていくことです。
日々、日月神示(ひふみ神示)を読んで自らを振り返り、身魂を清浄に保ち維持する。発する言葉を整え、積極的に良いことをしていく、様々な経験を積んで心を豊かにする、失敗は経験として更に身魂を磨いていく。
身-食事について
ひふみ神示は上つ巻から冬の巻迄は戦中、戦後の復興期に降りた神示です。上つ巻~ウミの巻の神示が下りた戦中から戦後の数年は物資が本当に無い時代でした。国常立神は食べ物の無い時代の人々を痛み、書かれたものもあったと思われます。
少し落ち着いてきた昭和24年から黄金の巻が始まります。日本の高度成長期は昭和30年頃からです。昭和33年、高度成長期に入ってから補帖月光の巻があり、間が空いて昭和36年に黙示録となっています。
・上つ巻~ウミの巻 昭和19年~昭和23年
・子の年 昭和24年
・黄金の巻~冬の巻 昭和24年11月~昭和27年
・補帖 月光の巻 昭和33年
・子の年 昭和35年
・黙示録 昭和36年
・子の年 昭和47年、昭和59年、平成8年、平成20年、令和2年
現代はどうでしょう。食品においても消費が経済を押し上げるという考えの元、売れるモノを多量に作り、ロスが生じ、廃棄しています。また自然のモノでなく、加工品や添加物が溢れています。
読者の皆様はひふみ神示を読み始めてしばらくすると食べ物に変化がでませんか。自然と食べ無くなったモノがあったり、食べモノが変化したり、食べ方が変わったりしませんか。
ひふみの食べ方について過去、多くの方が研究しているように思え、腹八分が身体に良い、ひふみ祝詞を数えてよく噛んで食べることが大事、四つ足は食べないなど、私からその健康的な食べ方について何か言うことはありません。
しかし、仕事や家のことで時間に追われて日々様々な情報を掴み取る現代、生活に疲弊している方々も多いと思います。時間をかけて食事できること自体が有難いと思う方々も多いのではないでしょうか。
また、自宅での食事ならまだしも、この社会で生きていくにはそうそう自分勝手に思い通りに行かないことは多いです。たくさんの人が居る中、自分の食事はこのようにしているので配慮してほしいと言えるのは他の人より立場が上の人とか仲間同士で食事を摂る方、アレルギー体質の方でしょう。
そのように感じる方々や育ち盛りの子どもたちはそれぞれ工夫して社会生活を送れば良いと思います。変則勤務の方は食べ方を工夫して弱くなっている胃腸を労う必要もあります。多様化した食品に身体に悪影響を与えるようなものを避けなければなりません。
ひふみの食べ方として今、私から言えることは食べ物があることに感謝すること、食べるモノに対し感謝することが大事だと思います。健康の思いを込めてひふみ祝詞を唱えながら食べるなど非常に良いことだと思います、その食べモノに感謝すること、それは自分の心の中でしっかりと感謝する、森羅万象に感謝することです。
仏教にもあるのですが人間の尽きない欲望について、欲の強い人は何でも自分のものにしたくなるそうです。身魂磨きで欲望にぶつかって葛藤することがある方は何か一つの欲を抑えることから始めると良いと思います。それが健康的に節制のある食事でも良いと思います。逆に好き放題にしていると人の欲は倍増すると思われます。
食事を身魂磨きの修行として考える方はその人それぞれだと思いますが食事を通してどのような修行目標を立てて行なうかというところが大事だと思います。仏教のことばで中道が大切だと言われますが、中道から外れると食事のことばかり考えてしまって他のことが考えられなくなり、日常がおろそかになりますし、人を責めたりする心が出てきます、そのような心を持つことがないと良いと思います。
また食糧難の時代がやがて来るでしょう。その時あなたはどのように思い、どのようにしますか。時々そのようなことも考えておいたほうが良いと思います。
私は食事を作ったら一旦神々にお供えしています。また私自身、食事の時になかなか良く嚙んで食べることができません。またゆっくり感謝しながら食べると辛くなってしまいます。同じような方がいたら、食べている最中はあえて考えないことも必要かもしれません。社会的なところではその場を大事にしています。時間制限のある何かが起きたとき、また必要な情報を今すぐ得る為とか食事を食べながら耳ではニュースを聞いて手はPCを動かしていることもあり、二つのことを一度にすることは多いと思います。時間との戦い、優先順位だと思います。
長く普通の社会生活を送ってきた私はまだまだ課題があると思いますがblogの内容上、身体に負荷がかかっているので無理はしていません。これは生活全般にも言えることで私の第一が神と共に有り、発信することだからです。
身-生活について
一方で現代はタイムイズマネー、時は金なりの言葉どおり、現代の多くの労働者は心身がすり減るくらい馬車馬のように働いています。それは経済活動として利益をぎりぎりの高水準まで上げるために効率を求めた結果だと思います。時間においても朝起きて夜寝るというような定時の生活を送れる方々ばかりではなく、24時間稼働の職場で1日2交代から4交代で働いている方々も多くおられます。
高度成長時代は日本国民は身を投じて仕事をして会社員、団体職員など給料も高く伸びたと思います。今はどうでしょうか。給料は伸びないが効率を求められぎりぎりに縛られています。どちらも社会生活で苦労の多いことだと思います。その心身がすり減る社会で信仰に満ち溢れた清い心を維持するだけでも相当な心の修行となるでしょう。
多忙な中、[日常生活の中で目標を立てて精進する]ということは毎日が意味あるものにします。
きっちりとした生活が心身を整えることもあって大切ですが、私のblogの中のどこを見て頂いても身魂磨きは心の修行です。生活を整え、生活の中で自身の心の在り方を整えることが良いと思います。
私の日常生活は常に神、神々と共にあります。神、神々は24時間稼働していますので現界、3次元で生活をしている表層意識の私を見つめる私がいて神が見つめている私の中の私は無念無想です。そういう私を365日24時間、僅かな心の動きまで神は見ておられます。私には苦痛ではありませんがたぶんこれが苦痛にならない為には神をよく知り、多くの心の鍛錬が必要だと思います。
【無念無想の境地】
禅定に入り無念無想になろうとすると無念無想というものを考えています、これは無念無想ではありません。
また、禅定に入っている時とは別に通常の社会生活をしている時の無念無想とはどういうものかというと何もせず、何も念ず、何も想わず考えない、何の努力もしない境地ではなく、社会生活をしている表層意識とは別に自身の心を俯瞰している自分が無念無想ことになります。
私は多くの邪魔が入ると敢えて表層意識で違うものをたくさん取り入れますがこれは皆様にはお勧めしません、もし邪念が多く感じられる時があったら散歩にでかけましょう。
【無我の境地】
では無我の境地とは何か。
仏教用語ですが無念無想の境地から無我の境地へと考える方もおられるでしょう。我が無い状態、自分というものに捉われず考えない状態、これはひふみ神示で言われる身魂磨きと関係が深いと思います。無我を目指すという前に神とは何か、仏とは何かを深く考え知る必要があります。
神への信仰の元、心・口・行を整え、身魂磨きをし、日々生活する、それは安らぎの世界でもあります。
みろくの世 miroku_F_G 蓮みろく