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心の時代へのパラダイムシフト、ひふみ神示(日月)や古史古伝と共にみろくの世に向かって

[次の世のカタ]について2 2024.10.1 

2024-10-01 18:53:00 | みろくの世 Miroku_F_G

[次の世のカタについて1]では次の世の方(かた)について、そしてみろくの世までの経過的な期間について書きました。

経過的な期間は決まった型に当てはめていくものではなく、今この時代に生きている人々や森羅万象全てが時代の激流の中で見出し、創り出していくものだと思います。ひふみ神示は預言書でもあり、指南書です。そして私はそれを解釈して書いています。激流の中、大峠に向かって一人ひとりの身魂が影響し合い、その発する心が影響し合い進んで型を作っていきます。

 

以前、私はひふみ神示の修行について書いた記事があります

現代の悟りに至る道 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/6ff515cbb8a8aa286d158cadd57052eb

ひふみ神示~悟りに至る道 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/0309b178cef659f8e407070536c41da8

maitreyaとみろくの解毒作用 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/5081fc4d604c77b5a097ef2f8084d855

(ひふみ神示にみろくの解毒作用について書かれていました、【心の梅干し】です)

身魂磨きと神人 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/7df687da214afc7005f09004f996fbd5

身魂磨きと神人2 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/6cfc070e3c47c55cd700b6c435b26e69 

 

もう一つ、【次の世の生活の型】について書きます。日常生活や食生活です。

岡本天明氏の自動書記により書かれた日月神示は1944年6月から、昭和19年という終戦の前の年から始まりました。当時は統制と配給により物資はほとんど無い状態です。また新聞やラジオが主な情報元でした。

このような統制と配給の社会の時の日常生活と現代の日常生活は同じではないでしょう。

日常生活について

身魂を磨くというのは心・口・行(仏教では身・口・意 しんくい)を正し、整えていくことです。

日々、日月神示(ひふみ神示)を読んで自らを振り返り、身魂を清浄に保ち維持する。発する言葉を整え、積極的に良いことをしていく、様々な経験を積んで心を豊かにする、失敗は経験として更に身魂を磨いていく。

 

身-食事について

ひふみ神示は上つ巻から冬の巻迄は戦中、戦後の復興期に降りた神示です。上つ巻~ウミの巻の神示が下りた戦中から戦後の数年は物資が本当に無い時代でした。国常立神は食べ物の無い時代の人々を痛み、書かれたものもあったと思われます。

少し落ち着いてきた昭和24年から黄金の巻が始まります。日本の高度成長期は昭和30年頃からです。昭和33年、高度成長期に入ってから補帖月光の巻があり、間が空いて昭和36年に黙示録となっています。

・上つ巻~ウミの巻  昭和19年~昭和23年 

・子の年       昭和24年

・黄金の巻~冬の巻  昭和24年11月~昭和27年

・補帖 月光の巻   昭和33年

・子の年       昭和35年

・黙示録       昭和36年 

・子の年       昭和47年、昭和59年、平成8年、平成20年、令和2年

現代はどうでしょう。食品においても消費が経済を押し上げるという考えの元、売れるモノを多量に作り、ロスが生じ、廃棄しています。また自然のモノでなく、加工品や添加物が溢れています。

読者の皆様はひふみ神示を読み始めてしばらくすると食べ物に変化がでませんか。自然と食べ無くなったモノがあったり、食べモノが変化したり、食べ方が変わったりしませんか。

ひふみの食べ方について過去、多くの方が研究しているように思え、腹八分が身体に良い、ひふみ祝詞を数えてよく噛んで食べることが大事、四つ足は食べないなど、私からその健康的な食べ方について何か言うことはありません。

しかし、仕事や家のことで時間に追われて日々様々な情報を掴み取る現代、生活に疲弊している方々も多いと思います。時間をかけて食事できること自体が有難いと思う方々も多いのではないでしょうか。

また、自宅での食事ならまだしも、この社会で生きていくにはそうそう自分勝手に思い通りに行かないことは多いです。たくさんの人が居る中、自分の食事はこのようにしているので配慮してほしいと言えるのは他の人より立場が上の人とか仲間同士で食事を摂る方、アレルギー体質の方でしょう。

そのように感じる方々や育ち盛りの子どもたちはそれぞれ工夫して社会生活を送れば良いと思います。変則勤務の方は食べ方を工夫して弱くなっている胃腸を労う必要もあります。多様化した食品に身体に悪影響を与えるようなものを避けなければなりません。

ひふみの食べ方として今、私から言えることは食べ物があることに感謝すること、食べるモノに対し感謝することが大事だと思います。健康の思いを込めてひふみ祝詞を唱えながら食べるなど非常に良いことだと思います、その食べモノに感謝すること、それは自分の心の中でしっかりと感謝する、森羅万象に感謝することです。

仏教にもあるのですが人間の尽きない欲望について、欲の強い人は何でも自分のものにしたくなるそうです。身魂磨きで欲望にぶつかって葛藤することがある方は何か一つの欲を抑えることから始めると良いと思います。それが健康的に節制のある食事でも良いと思います。逆に好き放題にしていると人の欲は倍増すると思われます。

食事を身魂磨きの修行として考える方はその人それぞれだと思いますが食事を通してどのような修行目標を立てて行なうかというところが大事だと思います。仏教のことばで中道が大切だと言われますが、中道から外れると食事のことばかり考えてしまって他のことが考えられなくなり、日常がおろそかになりますし、人を責めたりする心が出てきます、そのような心を持つことがないと良いと思います。

また食糧難の時代がやがて来るでしょう。その時あなたはどのように思い、どのようにしますか。時々そのようなことも考えておいたほうが良いと思います。 

私は食事を作ったら一旦神々にお供えしています。また私自身、食事の時になかなか良く嚙んで食べることができません。またゆっくり感謝しながら食べると辛くなってしまいます。同じような方がいたら、食べている最中はあえて考えないことも必要かもしれません。社会的なところではその場を大事にしています。時間制限のある何かが起きたとき、また必要な情報を今すぐ得る為とか食事を食べながら耳ではニュースを聞いて手はPCを動かしていることもあり、二つのことを一度にすることは多いと思います。時間との戦い、優先順位だと思います。

長く普通の社会生活を送ってきた私はまだまだ課題があると思いますがblogの内容上、身体に負荷がかかっているので無理はしていません。これは生活全般にも言えることで私の第一が神と共に有り、発信することだからです。

 

身-生活について

一方で現代はタイムイズマネー、時は金なりの言葉どおり、現代の多くの労働者は心身がすり減るくらい馬車馬のように働いています。それは経済活動として利益をぎりぎりの高水準まで上げるために効率を求めた結果だと思います。時間においても朝起きて夜寝るというような定時の生活を送れる方々ばかりではなく、24時間稼働の職場で1日2交代から4交代で働いている方々も多くおられます。

高度成長時代は日本国民は身を投じて仕事をして会社員、団体職員など給料も高く伸びたと思います。今はどうでしょうか。給料は伸びないが効率を求められぎりぎりに縛られています。どちらも社会生活で苦労の多いことだと思います。その心身がすり減る社会で信仰に満ち溢れた清い心を維持するだけでも相当な心の修行となるでしょう。

多忙な中、[日常生活の中で目標を立てて精進する]ということは毎日が意味あるものにします。

きっちりとした生活が心身を整えることもあって大切ですが、私のblogの中のどこを見て頂いても身魂磨きは心の修行です。生活を整え、生活の中で自身の心の在り方を整えることが良いと思います。

 

私の日常生活は常に神、神々と共にあります。神、神々は24時間稼働していますので現界、3次元で生活をしている表層意識の私を見つめる私がいて神が見つめている私の中の私は無念無想です。そういう私を365日24時間、僅かな心の動きまで神は見ておられます。私には苦痛ではありませんがたぶんこれが苦痛にならない為には神をよく知り、多くの心の鍛錬が必要だと思います。

 

【無念無想の境地】 

禅定に入り無念無想になろうとすると無念無想というものを考えています、これは無念無想ではありません。 

また、禅定に入っている時とは別に通常の社会生活をしている時の無念無想とはどういうものかというと何もせず、何も念ず、何も想わず考えない、何の努力もしない境地ではなく、社会生活をしている表層意識とは別に自身の心を俯瞰している自分が無念無想ことになります。 

私は多くの邪魔が入ると敢えて表層意識で違うものをたくさん取り入れますがこれは皆様にはお勧めしません、もし邪念が多く感じられる時があったら散歩にでかけましょう。 

【無我の境地】 

では無我の境地とは何か。 

仏教用語ですが無念無想の境地から無我の境地へと考える方もおられるでしょう。我が無い状態、自分というものに捉われず考えない状態、これはひふみ神示で言われる身魂磨きと関係が深いと思います。無我を目指すという前に神とは何か、仏とは何かを深く考え知る必要があります。 

 

神への信仰の元、心・口・行を整え、身魂磨きをし、日々生活する、それは安らぎの世界でもあります。

 

 

 

みろくの世 miroku_F_G  蓮みろく

 

 

 

 

 

 

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[次の世のカタ]について1 2024.10.1

2024-10-01 10:03:00 | みろくの世 Miroku_F_G

先日、[幸福の芽blogの内容について2024.9.22]を記載しました。

その中でひふみ神示の岡本天明氏が晩年、妻の三典氏に[次の世のカタが他に出ているようだ]とつぶやいたそうです。私は天明氏がそのように言った頃に生まれていますと書きました。

この[次の世のカタが他に出ているようだ]について書いていきます。

読者の皆様はこの【次の世のカタ】についてどのように捉えますか。

次の世のカタ、次の世の方、次の世の型…。ひふみ神示の中と関係ある【次の世のカタ】と言いますと【人】か【みろくの世の型】だと思われるのではないでしょうか。私はそう思っていました。

次の世の方(かた)としたらそれは誰か、妻の三典氏は岡本天明氏からこの言葉を聞いてそれに該当する人を探したそうです。三典氏はカタ=【人】と捉えていました。私は以前から天之御中主神から教えや導きを頂いていてその後、神から「蓮みろく」という名前を頂いた私だと捉えました。

 

次の世の型としたら世の中のあり方と捉えることができますが【次の世の生活の型】として捉えることもできるのではないでしょうか。日常生活や食生活です。

岡本天明氏の自動書記により書かれた日月神示は1944年6月から、昭和19年という終戦の前の年から始まりました。当時は統制と配給により物資はほとんど無い状態です。また新聞やラジオが主な情報元でした。

このような統制と配給の社会の時の日常生活と現代の日常生活は同じではないでしょう。

後でこのことについて書きます。

 

【次の世の型】としたら、ひふみ神示には【みろくの世】について幾つも書かれています。

ひとことで言えば、まず5次元(善人界)以上の霊界相当の神の国になる、皆が神を信じ、互いに調和して生きている光の世界です。お金や衣類、仕事のことなども書かれていますがそれが実現するのは大峠後になると書かれています。今は大峠前の非常に大変な社会ですから社会的な生活でみろくの世に合わせて生活することはできません。もしそれができるというならほんのわずかな一部の人ではないでしょうか。 

 

以前にも書きましたが現在は玉石混交よりもっと大変な様々な人と関わる終末期の激動の時代ですから、ひふみ神示を読んで後に来る【みろくの世】そのものの生き方をしようとすると苦しんだり、無理があったりしますし、一部の人以外は生活できないかもしれません。今は終末期、大峠後の世界に希望を持ってみろくの世に向かう過程だと捉え、いろんな変化に対応する必要があります。それで一時的に宗教という形を取りますと私はみろく信仰グループ(みろくFG)の宣言をしました。

神道は教えが無い、宗教じゃないと言う方がおられますがどうでしょうか。何かこれ自体が洗脳の文言のようにも聞こえます。教えが無いがどのようなものでしょうか。宗教じゃないけれどどのようなものなのでしょうか。日本には八百万の神々がおられ、三貴神という神が存在し、天照大神が日本の神と言われています。また神社があり、習わしがあります。気高く和を大切にする、また日常では先に行く者の背中を見て覚えよというものでしょうか。

これは日本以外から見ると宗教だと思います。神道が宗教ではないと言うのは万教帰一が教えだからではないでしょうか。万教帰一を主に説いたのは大本教から出た生長の家の谷口雅春氏だと思います。根本なる神は厳然として在り、元は一つであるから宗教としてカテゴリするのは違う、だから宗教では無い、しかし他の宗教から見ると神の名は違い一神教だがこの世の成り立ちのその考え方は一緒だと言うでしょう。神道は教えが無いと言ったのは何故でしょうか。神道が宗教でないという考え方は日本の国民全員が根源なる神を信じていなければ成り立ちません。

また現代社会では宗教自体が神話のようになった無神論というものもあります。

このことについてひふみ神示には神道の神、国常立神によりこれは【道】であると書かれています。【道】とは何でしょうか。【道】とは人の生きる道ですからそこには教えが存在します。【道】と言えば道教がありますが道教による道ではなく、日本本来の人として生きる道、神の存在を信じ、信仰を持って日々身魂磨きをして正しく生きようとする【道】だと思います。

 

教会や集いを作るなと言う人がいます。ひふみ神示が自動書記で下りていた時代です。初期の当時ひふみ神示を読んで神がかりとなって岡本天明氏を蔑ろにしたり、自分が神人だと言って教会を作ったり集いを行ったりすることはよくみられたのではないでしょうか。ひふみ神示に初期の段階で教会や集いを作るなと書かれているのは国常立神がひふみ神示の【ふで】、すなわち法がねじ曲がってしまうことを防ぎたかったからだと思います。

現社会はどうでしょう。日月神示は既に多くの方が解釈して多くの書籍を書いています。小さな教会や集いがたくさんあり、神道系の団体でも日月神示を信じるという方々も存在すると思います。一部に熱心にひふみ神示に書かれていることを実践している方々はおられるでしょうが、むしろ教会や集いを作るなと言い続ける方々は自分たちが他の教会や集いを行っている方々ではないでしょうか。

 

現時点で【次の世の型】は決まった型に当てはめていくものではなく、この時代に生きている人々や森羅万象全てが時代の激流の中で見出し、創り出していくものだと思います。その変化によってまた変化が生まれます。

ひふみ神示は預言書でもあり、指南書です。そして私はそれを解釈して書いています。激流の中と書きましたが大峠に向かって一人ひとりの身魂が影響し合い、その発する心が影響し合い進んでいきます。

 

以前、私はひふみ神示の修行について書いた記事があります

現代の悟りに至る道 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/6ff515cbb8a8aa286d158cadd57052eb

ひふみ神示~悟りに至る道 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/0309b178cef659f8e407070536c41da8

maitreyaとみろくの解毒作用 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/5081fc4d604c77b5a097ef2f8084d855

(ひふみ神示にみろくの解毒作用について書かれていました、【心の梅干し】です)

身魂磨きと神人 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/7df687da214afc7005f09004f996fbd5

身魂磨きと神人2 https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/6cfc070e3c47c55cd700b6c435b26e69 

 

続きは次の記事にします。

私のことですが省みて20歳前後のことは悔やまれることは多いです。私は24歳の頃、霊的な渦の中で[正しさとは何か]と神の言葉を聞き、前後裁断して神理探究の道に入って35年程経ちました。一時はあまりの厳しさに逃げ出したいと思い結婚に逃れようとしましたがそれから30年余り月日が経ちました。この35年程の期間、私は正しさと神理探究を行いずっと神と共にあります。そして随分前ですがひふみ神示にあるように厳しくも温かい神と結婚し家族となりました。私はその時に指輪を頂き、ずっと左手薬指にしています。 

 

 

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