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06/19奈良京都への旅-6(明日香村①:飛鳥資料館見物)

2025-06-19 15:14:28 | 旅日記

飛鳥資料館は、日本人の心のふるさと「飛鳥」の歴史と文化を紹介する資料館でした。飛鳥は古代国家誕生の地として広く知られています。592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから、694年に藤原京に遷都するまでの約100年間、飛鳥に天皇の宮殿が継続的に営まれ、政治文化の中心地として栄えました。壮麗な宮殿や異国情緒豊かな寺院、時を告げる水時計(漏刻)、猿石や亀石などの不思議な石造物、石組みの苑池と噴水施設、壁画古墳など…これらは東アジアの緊迫した国際情勢下で、人々や文物の交流によって飛鳥にもたらされたそうです。

飛鳥資料館では、そうした飛鳥の歴史をわかりやすく展示されていました。

○飛鳥資料館見物

●エントランス

●庭園内部(石造物のレプリカが展示されていました)

●亀石

長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られていることからこの名前で呼ばれている。ユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっているそうです。

●猿石

明日香村の梅山古墳(現:欽明天皇陵指定)西に隣接 する吉備姫皇女王墓内にある奇石で、全部で4体ある。ユニークな人面石像であるが、 猿ではなく渡来人を象ったものであるといわれています。

●飛鳥資料館

●石人像

須弥山石(しゅみせんせき)とともに発掘されたもので、同様に古代の噴水施設とされています。盃を口にあてた男性に女性が寄り添う形をしています。

●須弥山石(しゅみせんせき)

●酒船石

亀石と同じく明日香を代表する石造物のひとつ。長方形に近い形の花崗岩でできており、平らに加工された表面には、円、隅丸方形、楕円の窪みが彫られ、それらを直線で溝が結ぶ不思議な模様があります。酒造りに用いたと伝わることからこの名が付きましたが、用途はいまだにわかっていないそうです。

○飛鳥資料館内部の模様(イベント:キトラ特集)以外は撮影可能でした。

●川原寺&橘寺

 飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並ぶ飛鳥の四大寺に数えられ、飛鳥時代を代表する大寺院だった。だが、その川原寺が『日本書紀』に初めて登場するのは、天武天皇2年(673)3月の記事だそうです。

橘寺は「聖徳太子」縁のお寺です。太子が建立した7寺の一つとされるだけではなく、「聖徳太子の生誕の地」(欽明天皇の別宮があった)という、太子信仰の中心地とも言えるようなお寺だそうです。

●二面石

橘寺境内にある、善面と悪面2つの顔をもつ石造物です。その姿形から猿石と同じ場所から掘り出されたと考えられています。無垢な顔つきの善面と、大きくゆがめ られた悪面の対比が目を引きます。

●鴟尾

鴟尾は、建物の大棟の両端を強く反り上がらせるところに起源があると考えられてい ます。中国漢代の墓に副葬されているミニチュアの建物にはすでに鴟尾が表現されているそうです。

●山田寺

山田寺は、古代史の悲劇のヒーローの一人である「蘇我倉山田石川麻呂」によって建立が始まったお寺です。大化の改新の立役者で、新政府の右大臣となった人物ですが、数年後には謀反の罪を着せられて自害に追い込まれました。

●壬申の乱

天智天皇崩御後,天武1 (672) 年 (壬申の年) 6月に皇位継承をめぐって皇族,豪族がそれぞれ2派に分れて争った内乱。大化改新(645) を成功させた中大兄皇子は天智7 (668) 年即位して天智天皇となり,天皇による人民の直接支配を推し進めたが,天皇の実弟皇太子大海人皇子が兄を補佐した。

壬申の年にあたる672年、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と天皇の長子である大友皇子が、皇位継承をめぐって起こした内乱。大友皇子は敗北して自殺し、翌年、大海人皇子は即位して天武天皇となった。

06/19 奈良京都への旅-6(飛鳥資料館、)
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