ケセラ・イズム

~人生の微分理論~
今が大事,先の事なんて知った事か!

友達は選んだ方がいい(仲良くする相手を間違えると破滅する)

2024-04-26 04:02:51 | 歴史浪漫
今週の中3社会では,

「サラエボ事件」とか,

「第一次世界大戦」とか,

「ロシア革命」とかを扱ってるらしい。

隣の教室から聞こえてきた。

いいなー。

そっちの授業をやりたかった。

正直,「酸とアルカリ」など面白くないのよ笑。



まぁ,

無理やり生徒を笑わせてるけど…笑。

ところで,

授業後,Kロダ先生から

 「三国同盟」や「三国協商」をどう捉えておられますか?

などと聞かれたんだよな。

彼からは"世界史マニア"だと思われている笑。

んー,

"どう"と言われても,

「三国協商」って何だよ?

歴史上にそんなもんないやん笑。



って事で,

軽くその辺の歴史に触れたい。

19世紀後半,

"鉄と血"(つまり戦争)によってドイツ統一を成し遂げ,

「ドイツ帝国」の樹立に成功したビスマルクだったんだが,
(プロイセン主導によるドイツの第二帝国)


(僕が最も尊敬する歴史上の人物)

それからは一転して平和外交に努めます。

統一されたとは言え,

もともとは分裂状態だったわけだから,

まずは内政に注力する必要があったってわけ。

外国と敵対する余裕などない。

ただ,

ドイツ統一のラストを飾る「普仏戦争」にて,

フランスを完膚なきまでに叩きのめしていたんで,

メチャクチャ恨まれていた。

その復讐心に燃えるフランスが,

他の大国と手を組んだら最悪。

そこでビスマルクは,

オーストリア,ロシアと「三帝同盟」を,

オーストリア,イタリアと「三国同盟」を結び,

安全保障体制を創り上げます。

要はフランスを孤立化させたんですね。

ん?

イギリスはどうしたって?

世界のトップに君臨する"大英帝国"たるイギリス様は,

"光栄ある孤立"を謳っておられたので,

他国と同盟を結ぶ心配はなかったんよ。

ちなみに,

このビスマルクの安全保障体制が功を奏し,

20年くらいに渡ってヨーロッパから戦争が消えました。

これを「ビスマルク体制」と呼んだりする。

凄くない?

たった1人の男の手腕により,

あの戦闘民族(ヨーロッパ人)どもが戦争を控えたんだぜ?

それまで「ウェストファリア体制」,「ウィーン体制」など,

いくつもの国が協力し,

国際秩序を維持しようとして失敗してきたのに…。


しかし,

この体制には1つだけ欠陥があった。

何かって言うと,

ビスマルクのような天才でないと維持できないって欠陥…笑。

だってさ,

当時のオーストリアって,

ロシアとはバルカン半島を巡って,

イタリアとは"未回収のイタリア"を巡って,

それぞれ対立していたんだぜ?

三帝同盟も三国同盟もドイツが鎹(かすがい)となって,

辛うじて繋ぎとめていたって感じ。

常人には無理やろ。

そんな中,

ビスマルクに全幅の信頼を置いていたドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が崩御し,
(その息子フリードリヒ3世も即位して3ヵ月で崩御)

まだ若い孫のヴィルヘルム2世が皇帝となります。



彼は目の上のたん瘤と言うべきビスマルクを失脚させ,

1890年からは親政を開始。
(親政=君主自ら政治を行う事)


(大事な水先案内人たるビスマルクを船から下ろすヴィルヘルム2世の風刺画)

当然,ドイツの安全保障体制が崩れ始めます。

まずはロシアとの同盟関係が解消される。

これにより外交的に孤立したロシアは,

同じく孤立していたフランスと近づく他ない。

かくして1894年に「露仏協商」が成立。

ビスマルクが最も怖れていた事態!

彼が失脚してからわずか4年で…。

これがドイツ第二帝国の"終わりの始まり"となります。


その上,

ヴィルヘルム2世は海軍増強に奔走。

これに刺激されたのがイギリスです。

当時のイギリスが世界の覇権を握っていたのは,

他を圧倒する海軍力のおかげでした。

だけど,

ドイツが追い上げてきたので,

イギリスも増強せざるを得ない。

ただ,

財政は逼迫している。

そこで極東艦隊の一部をヨーロッパに呼び戻す事に…。

そうなると,

極東の守りが手薄になってしまう。
(極東=中国,朝鮮,日本の周辺)

極東で圧力を強めるロシアに対抗する手立てを失ってしまう。

もはや背には代えられない。

イギリスは"光栄ある孤立"をかなぐり捨てて,

他国と軍事同盟を結びます。

しかも,

相手は"イエローモンキー"と蔑んでいた日本人。

1902年の「日英同盟」ですね。

んー,

本当に優れた奴は,

安いプライドなど捨てられるんだよな。

まぁ,

そんなイギリスも,

2つの世界大戦を経ると一気に衰退。

自分のケツも自分で拭けない国家に転落していくんだが…。
(現在のイスラエルの戦争が好例)

おっと,

その辺はいずれ。


それはそうと,

日英同盟に気を強くした日本は,

1904年,ついに「日露戦争」に踏み切ります。



これにより地球の裏側では,

イギリスとフランスの関係が冷え込む事に…。

日本とロシアが戦争となれば,

日本の同盟国イギリスと,

ロシアの同盟国フランスが対立するのは必至。

下手をすると交戦状態に陥るかも…。

んー,

もともとイギリスとフランスって仲が悪かったのよ。

中世以来,何かにつけて戦争している。

それが19世紀の終わり頃から,

急速に関係が改善されていた。

その和解ムードを壊したくなかった両国は,

日露戦争勃発の2か月後に「英仏協商」で友好を誓います。

んー,

ビスマルクはフランスを孤立させようと躍起になっていたのに,

ヴィルヘルム2世の政策により,

ドイツの方が孤立させられているって言う体たらく笑。


その後,

日露戦争では奇跡的に日本が勝利。

超大国が貧乏島国に負けたんだから,

ロシア帝国の威信は失墜しますよね。

そして,

莫大な戦費を賠償金で回収できなかったため,

財政も破綻し,

革命騒ぎまで起こる始末。


(いわゆる「血の日曜日事件」など)

なんとか立て直しを図ろうと,

ロシアはイギリスへ接近し,

1907年に「英露協商」が生まれます。

こうして,

ロシアーフランス,

イギリスーフランス,

イギリスーロシア

がそれぞれ結ばれ,

これを世間では「三国協商」と呼んでいるんですね。
(3つの国が同時に協商を結んでいるわけではない)


それはそうと,

先ほど"ドイツは孤立した"と書いたが,

ちゃんと仲間がいました。

衰退著しいオーストリアです笑。

かつてはドイツを牽引してたオーストリアも,

その統一から締め出された後は力を弱める一方。

この頃にはドイツの弟分的な存在でした笑。

そして,

オーストリアがセルビアに喧嘩を吹っ掛けたため,
(「サラエボ事件」をちょうどいい口実として使った)

兄貴分のドイツも戦争に引きずり込まれます。

しかも,

セルビアの保護者的な存在でありながら,

 内政がズタズタだから出てこられないだろう

と目されていたロシアが予想に反して総動員令をかける。
(外敵に目を向ける事で国民を団結させる手法)

当然,その友達たるイギリス,フランスも参戦。

かくして「第一次世界大戦」が勃発したんですね。

あー,

盤面を見渡すと,



ビスマルクが絶対に避けたかった

フランスとロシアによる挟撃体制

が完成してます。

ドイツは敗けるべくして敗けたと言ってよい。

否,

まだシュリーフェン計画が機能していれば…。

フランスとの西部戦線に戦力を集中させる計画。

これが実行できていれば,

もしかしたら…。

だけど,

後任の小モルトケが兵法を理解できていなかった。

ロシアとの東部戦線が不安で,

そちらにも兵を送り,

戦力を分散させちゃったんだよな。

こうして敗け確と相成りました。

まぁ,

それでも4年ほど耐えたんだから,

やはりドイツは強かった?笑

んー,

その辺はいずれ。
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3 コメント

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Unknown (りょてんてんてんてんてんんてんてん)
2024-04-26 08:33:15
KOHでこーってw、ww
Unknown (きょーたろう)
2024-04-27 03:25:46
>りょてんてんてんてんてんんてんてん
SS1では結構ウケたんよ笑。
Unknown (りょてんてんてんてんてんんてんてん)
2024-04-27 10:19:57
あーねw
てか、おれのブログ寺田がいつも見てる笑

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