農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

「五年生」を読み解く

2006年05月27日 23時03分15秒 | げんしけん以前
「げんしけん」最終回の感想を書く前に、「五年生」の分析をする必要があると思った。てゆうか、芳乃が長谷川さんに一目惚れをした理由がやっとわかった。まぁどこから語ろうか。

きっかけは「げんしけん」本スレで、オギーと芳乃似てない?という発言に「・自律神経失調症・微乳・男と別れた経験あり」というレスをすっとこさんがした事による。余談だがその直後のレスに「オギーって自律神経失調症だっけ?コミフェスの気持ち悪くなっちゃった場面だけでそうと決めてしまうのはちょっと違わない?」というレスがあったが、雨に濡れて着ていた服をそのままにしていた人が、咳をしてだるいとか言い始めたら「風邪をひいた」と判断して医者に連れて行くのが人類の英知という奴です。本人が「風邪だ」と言うまで医者に連れてかなかったら死にます。んでも、風邪を今までに一度も見たこと無い人だったら風邪だとわからないかもしれません。よって、自律神経失調症だと気づかなくても仕方ないです。俺はやった事あるんでわかってしまいますが。てゆうか、未だ耳鳴りします。

閑話休題。芳乃さんが男と別れた経験があると書いてハタと気づいた。一目惚れの理由は抑圧された過去の経験によるというのは前に書いたが、その理由は当時まだわかってなかった。気づいたのは4巻で、アキオと芳乃の大学入学時からの過去話の中で、芳乃が男と別れた話をしている。相手は河合くん。姿形は作中に出てこない。1巻に名前だけ出てくるけど。芳乃さんの河合くんに対する態度を見ていると、アキオには河合くんの悪口を言いまくっているが、アキオが芳乃さんの無防備な所を見ると、芳乃さんは明らかに放心している。また、「四年生」84ページのアキオのセリフ「結構気にしてんだよアイツ」「今までつきあった男みんなダメにしてっから」というセリフもある。事実1巻で大学やめてるし(これが伏線のための伏線か)。また「五年生」3巻173ページの芳乃さんの河合くんに対するコメントを読むと、「自分が河合くんのハンドリングに失敗した」と言っている。つまり総合すると、河合くんをダメにしたのは自分だという自覚があるわけだ。そこをアキオに茶化されたら泣くほど落ち込んでるし(1巻)

その自分が育て間違えた河合くんが、夜中にプロポーズしに来て、大学やめるほど「ダメ」になってしまった罪悪感が、芳乃さんの一目惚れの原因かと。

河合くんは作中に出てこないのは、この辺の事情を隠蔽するためで、多分長谷川さんは、河合くんと共通する何かを持っていたんだろう。外見か、よどみないタイピングか、もしくは無意識でしか知覚できない何かか。

この先、下世話な深読みになる事を承知で書くと、作者の分身として作中に登場しているキャラは、芳乃さんか河合くんか、どっちかじゃないかなぁ。芳乃さんが木尾士目だとすると、自律神経失調症の表現のリアルさ加減がしっくり来るし、芳乃さんの癒しの物語である「五年生」で、木尾自身が癒されるという解釈もできる。また、河合くんが木尾士目だとすると、ほんとーに「やっちまった」可能性もあるし(ああ、俺の心にも心当たりが)、芳乃さんがその相手だとすると、復讐と謝罪を行っているという解釈も可能。もちろん以上が下世話な邪推という可能性はもっと大きい。しかしあの、作品の表現を壊してまでする、必要以上の隠蔽感が木尾士目の警戒心を感じさせるのである。「五年生」が娯楽作品なら、もーちょいバラして物語の辻褄を読者に提示してもいいんじゃねー? それをしない理由はなんだ?

しかしこう考えると、「五年生」にムダな部分が無い事に気づく。2ちゃんねるの過去ログや、Webに現存している感想を読んでも、以上のような解釈は存在していないようだ。あーでも、AV借りに行って悩むのはムダだ。あそこだけは木尾士目の趣味全開やね。しっかしナンパものはたまに面白いとか、AV借りに行って悩むのが嫌とか、まるですっとこさん自身を見ているよォだ(苦笑)。そのうち書くけど、「げんしけん」の作者投影キャラが笹原だとして、なんかスゲーすっとこさんに似てると思っているが、ひょっとしたらすっとこさんと木尾士目って似ているのかもしんねー。オタという共通点があるせいかもしれんが。一度会ってみたいもンだ。「自分が恥をかかずに自己満足できるなら自分だけ苦労するのも厭わないタイプの人間」か、俺は、イヤだねえ、この前の軽井沢とかよ。

あと精神分析的に言えば、吉村さんが超自我当たるとか無理やりな解釈もできるねぇ。あそこでアキオをどん底に突き落とさなかったら、芳乃と復縁してなかったんだし。あと、これはオギーと芳乃さん両方見るとわかるけど、人間を最も狂わせる感情は「罪悪感」なんだねぇ。もちろん多少の罪悪感は、同じ失敗を2度しないという戒めになるけど、大きすぎる罪悪感は下手すると人生を縛ってしまうのだなぁ。そりゃ悪いことしたら罪悪感ないよりある方が正常だけど、この先の一生を棒に振ってまで謝らなければならない事態もそうそう無いし、棒に振った所で相手への謝罪にはならないんだから、そこそこの所で切り上げる勇気を持つべきなんだよなぁ。その際に厚顔無恥と言われても仕方ないが、罪悪感は罪悪感として心に秘め、罪悪感に飲み込まれないようにしないといかんよ。本当にな。