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井上もやしの日常

ほぼ「つぶやきの墓場」となっております。ブログやSNSが多様化して,ついていけないのでございます。

え、撮影OK? ~大震災から1年~

2012-03-12 23:11:52 | Weblog
 あの大震災から1年経つということで、ここ1週間くらい前からテレビや新聞では震災をしのぶための特集を組んで放送しています。特に今年の3月11日日曜日はほぼ1日中くらい三陸鉄道北リアス線のディーゼル車試運転の様子や福島原発周辺の近況を伝えていました。(日付的には3月11日が1周年という感じがするのでしょうが、私としては今年の3月9日のほうがあの日を思い起こさせました。あの日は金曜日で、朝からどんよりとした曇り空でした。今年の3月9日も金曜日で朝から曇天でした。)

 ただ、震災から1年を伝える各局のレポートは悲惨すぎる内容が多すぎます。肉親や友人が亡くなった悲しさ、仕事や家をなくした苦しさ、家族や仲間と離ればなれになった辛さなどを前面に押し出そうとして見るに堪えないものがほとんどです。あの頃の閉塞感が再び胸によみがえります。もっと明るい話題、楽しい話題、前向きな話題などもありそうなのですがそのようなものはほとんど出てきません。

 それだけに、TFM「あ、安部礼司」が岩手県釜石市で公開収録をすることを知り、是非とも見に行きたいという欲求が日に日に高まりました。そして、先週の土曜日に車で4時間半も掛けて釜石市へ出掛けてしまいました。「安部礼司」は単なるトレンディ情報ラジオ番組のように思われていますが、チームワークと家族愛と人間の成長を笑いで包み込んだ物語です。昨年の3月20日には緊急生番組を放送してくれ、被災地へ勇気と愛を届けてくれました。刈谷さんのしつこいほどの「僕(ボキ)たちはつながっているよ!」メッセージはどれほど被災地のリスナーを勇気づけたか分かりません。今回の釜石での公開収録も大津波で甚大な被害を受けた場所からメッセージを発信したいと場所が決められました。詳しく言うと、3月10日が地元のエフエム岩手主催で午後2時からの公開収録が行われ、11日にはエフエム岩手の釜石支局から全国に向けて午後5時からのレギュラー枠で生放送(非公開)が行われたのでした。

 3月10日のことを書きます。天気予報では雪模様だったので、私は雪降りだったらJRで向かい(東北新幹線→釜石線)、雪が降っていなければ車で(東北道→花巻JCT→東和IC→国道283号線)行くつもりでした。でも、前日に妻が一緒に行ってみたいと言い出したので、2人なら運転を分担できるし、少々雪が降ったとしても車で行くことにしました。午前7時半には自宅を出て、飯坂ICから東北道へ。5時間は掛かるかなと思っていましたが、思ったほどの降雪はなく、正午過ぎには会場の釜石シープラザ遊に到着しました。「早めに着いたから、椅子に誰も座っていないや。」と喜んだのも束の間、よく見ると椅子の上にはペットボトルや傘、手袋などが置いてあり、場所取りはすでに済んでいたのでした…。仕方がないので、椅子のすぐ後ろに立って、開演の午後2時を待ちました。


 2月5日の横浜・日産グローバル本社ギャラリーの「あべ博」では「ラジオドラマという性格上、イメージを壊さないように出演者を撮影しないこと」との注意事項が再三流れていました。ところが、釜石では撮影禁止等の指示が全くなく、多くの人がスチルカメラやビデオカメラに出演者の優ちゃん、飯野くん、安部くん、刈谷さんの姿を収めていました。4人は共に素顔隠しの黒縁メガネを掛けていましたが、これも説明なしでした。内容的には番組の今までの名場面集と観客参加のドラマ収録、安部くん・刈谷さんのいわて文化大使任命、名刺配布会などでした。会場のシープラザ遊は仮設テントで、広さの割に小さなストーブしかなく、冷気が漂い、おまけに釜石線のすぐ脇に位置するために時折電車の通過音が聞こえました。それでも安部ファミリーは熱演し、観客を沸かせました。


 最後の名刺配布は会場に集まった1,500人近くの観客に対して行われたので、何時に終わったのか分かりません。かなり遅くまで掛かったはずです。私は午後4時少し前には刈谷さんと飯野くんの名刺をもらってから(←刈谷さんに平泉バウムクーヘンをプチプチで包装してプレゼントしました! 妻は優ちゃんと安部くんの名刺をもらっていました。)会場を出ました。そうそう、帰り際に、安部礼司ネタをよくブログに載せていらっしゃるFFFさんとお会いできたのも収穫でした。

 早めに会場を後にしたのは、明るいうちに岩手の沿岸部の様子も見たかったからです。会場から釜石駅を抜けると繁華街のようなのですが、1階部分が柱だけを残して空洞になっていたり、入り口に大きなベニヤ板が張られていたりと、海に近い市街地が津波にやられたのがすぐに分かりました。釜石市のもう少し北にある、井上ひさしゆかりの大槌町にも向かいました。釜石から大槌町に入るあたりが本当に何もありません。更地とコンクリート土台と、瓦礫の山だけです。カーナビでは銀行やコンビニ、ガソリンスタンド、鉄道のマークが表示されているのに、周りを見ると何もありません。本当に街が持って行かれたのです。テレビなどで津波の映像を何度も見ていたのですが、カーナビ地図と目に映る景色のギャップには酷くショックを受けました。