井上もやしの日常

ほぼ「つぶやきの墓場」となっております。ブログやSNSが多様化して,ついていけないのでございます。

春爛漫

2011-04-25 23:58:48 | Weblog
 福島市には花見山という撮影スポットがあります。四季を通じていろいろな花の写真が撮れるので、県外からも多くのファンが訪れます。

 ただ、桜の時期である4月は例年、交通規制実施期間でマイカーで花見山に入れないようになっています。約4km離れたあぶくま親水公園に車を停め、シャトルバスに乗って花見山に向かうようになります。

 しかしです。今年は震災や放射線の影響が大きく、交通規制や出店などを行わないことになりました。これは地元民にとってチャンスです! いつもは連日沢山の関東ナンバーの車が花見山にやってきて混みに混んでいて、この時期は花見山へ行ったことがありません。今日は一仕事終わって定時で帰れたので、花見山に向かってみました。車も花見山の入り口脇の駐車場にゆうゆうと停めることができました。太陽が西に沈み掛かっていて、今ひとつ桜や桃の花の鮮やかさが出ていませんでしたが、訪れている人がまばらでのんびりと花を愛でることができました。

一時精神的避難

2011-04-25 01:24:42 | Weblog
 政府は「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」「警戒区域」などの、「誰が原因で、誰に対して具体的に何を命令しているのか」が全くもってよく分からない曖昧なネーミングを施しています。その曖昧なネーミングにならって言うと、この週末、私は「一時精神的避難」をしてきました。

 要は、夫婦で、新潟市で学生生活を始めた二男の支援に行ったのです。洗濯やアイロン掛けを手伝ったり、車を持たない二男のために車に乗せて食料品店や家電店巡りをしたりです。

 先の記事に書いてきたように私の住む福島市はいい話題がありません。放射線量のレベルがまだ高く、外出している人はほとんどがマスクをしています。洗濯物を外に干す人はまれです。公園や校庭で遊ぶ子どもの姿が見られません。午前7時から午後7時までしか営業していないコンビニもまだあります。職場の近くには一家で浜通りから避難してきた人もいます。また、毎日のように余震が来ます。そんな福島市にいては息が詰まりそうで、もう二男を放って置いても大丈夫と思いつつも、自分たちのために新潟市へ向かいました。文字通り息抜きです。

 新潟市内は誰もマスクをしていません。雨に濡れながら自転車に乗っている高校生が多数いました(←雨には放射性物質が溶けやすいので、雨の日の自転車乗りは重装備しない限りは止められます。福島ではね)。全く地震を感じませんでした。新潟のテレビはごくごく普通の放送でした。二男は「夕方に1回くらい『こんにちワン』などのACの広告が流れている。」と言っていましたが、土日に見たテレビ番組では全くACの広告は流れませんでした。おまけに、地震関連のテロップが流れていません。福島ではいまだにテレビ画面の下か左側に地震関連の生活情報が流れています。「どこそこの水道が復旧した。」「○○高校の入学式は5月9日に決定した。」「××百貨店の営業時間は×時から×時まで」とかのテロップが絶えず流されています(←あ、CMの時は流されていませんけど)。新潟市には普通の生活があります。福島市で余震と放射線に怯えながら生活しているのがバカみたいに感じます。

 画像は買い物ついでに足を伸ばした新潟県弥彦村にある弥彦神社です。

 福島市に戻ってくると、国道の電光表示板に「原発から20km圏内は立入禁止」と書かれていました。テレビではACの「こんにちワン」や「こころづかい」が繰り返し流れているし、時々余震が来るし、現実に引き戻されました…。
(>_<)

計画的避難区域

2011-04-17 20:07:30 | Weblog
 福島市は桜が満開です。しかし、今年は花見の気分ではありません。進んで外に出たくないのです。

 現在、東電福島第一原発の北西30km強にある飯舘村と川俣町山木屋地区に計画退避が突き付けられています。政府関係者が昨日から訪れ、住民に対して説明を始めました。今日は枝野官房長官が来ました。住民が一番知りたいのは「いつ故郷に戻って来られるのか」です。でも、政府関係者からは明確な時期は告げられません。

 原発が今後も安定化しなければ、放射線の総積算量が高まり、飯舘村・川俣町の延長線上にある我が福島市も避難区域になるかも知れません。福島市内の小中学校は今のところ、屋外の活動が禁止されており、小学校は春の遠足・運動会が中止、中学校は外での部活動が停止となりました。閉塞感はまだまだ続いています…。

(*_*)

自粛の自粛なのだ!

2011-04-10 22:40:34 | Weblog
 震災の発生から1ヶ月がたとうとしています。画像は信夫山公園で、桜のつぼみがピンク色を帯び、膨らんできたのが分かります。どうもここ数週間は放射性物質に接したくないので屋内にいることが多く、外の変化に目が向いていません。でも、例年通りに桜の花は開花へ向けて一生懸命に生長しているようです。

 福島市は県内では比較的被害が少なかった方だと思います。しかし、原発事故に収束の兆しが全く見られず、不安な日々を送っています。県では住民の要望に応じて、避難指示が出されている地区以外にある全ての小中学校の校庭で今月5~7日に放射線量を測定し(地上1mと地上1cmの1時間あたりの放射線量です)、それを県のホームページに掲載しました。でも、これでは数字の羅列であって、これなら戸外で運動できるなどの基準が何もありません。何をどうすれば予防になるかも分かりません。保護者の不安を煽るだけです。

 前にも書いたように福島市内は外を歩くときにほとんどの人がマスク着用です。花粉や黄砂対策ではなく、明らかに放射性物質対策です。小学校では、安心して屋外で活動させられないので春の運動会や遠足を中止しようとまで話が進んでいるそうです…。

 放射線量について素人の私はよく分かりませんが、基本的に積算量で考えなければならないようです。マスコミでは今までのところ「1時間あたりのマイクロシーベルト」で放射線量を発表しています。でも、当地に1時間だけいる訳ではなく、毎日24時間ずっとそこに暮らしている訳です。だから、マスコミで発表される数字を掛け算していかなければなりません。原発1号機の水素爆発のときから現在までの数字を計算していくとかなりの数値となります。原子爆弾や医療被曝などのように短時間で多くの放射線を浴びた事象は昔から研究されてるいます。しかし、今回の福島原発のようにだらだらと高いとは言えないくらいの放射線量が出続ける中で生活しているという例が余りないので生体実験をされている気分です。また、汚染水を海に流したことが信じられません。海洋で薄まるはずとか理由を付けていますが、食物連鎖で大きい魚に行くほどに放射性物質が濃縮され蓄積されていくはずです。私が小学生の頃はこれで魚の水銀濃度が問題となりました。全く歴史に学んでいません。

 

最大余震か?

2011-04-08 01:25:44 | Weblog
 今日、震災による空白の2週間に発行された週刊文春とアサヒ芸能が職場に出入りしている本屋さんから届きました。ガソリンも並ばずに給油できるようになりました(←ただし、震災前と比べると、1リットル当たり20円も高くなっています)。大半のコンビニも午前7時に開店し、午後7時に閉店しと営業している時間帯が震災直後と比べるとぐんと延びました。それに、福島市内の小中学校は例年通りに4月6日に入学式を実施しました。普通の生活に一歩一歩近づいていると思っていたのですが…。

 午後11時32分頃、また大きいのがやってきました。当地は震度5弱です。どこまで信じていいのか分からないネット情報では、大地震の26日後に最大余震がくるというのが流れていました。まぁ、近いところです(苦笑! 実際の26日後は4月6日です)。自宅2階でテレビを見ていると突然ゴゴゴゴと音がし、地面から突き上げられるような揺れが来ました。3月11日の地震の時は職場にいて、富士通のパソコンを支えてやることができず、本体が床に落ちました。それで、今回は飛んでいって倒れないように押さえました。ただ、その間、本棚の本はばらばら落ち続け、また足の踏み場がなくなりました。週末にはまた部屋の整理です…。賽の河原の石積みかぁ…。
(T_T)
 幸いなことにこちらは停電にはならず、テレビ等で震源地や震度の確認ができました。長男が住む盛岡市は停電が続き、ガスも止まっているそうです。

 話は変わって、安部礼司友の会会員証のこと。実はこの日、2枚目(!!!)の会員証が届いていました。三千五百五十番台です。先月に届いた番号よりも65番進んでいます。日産を訪れてから、6週間たっても会員証が届かなかったために、TFMの事務局に電話をし、そこの指示に従っただけです。係の人は「トラブルがあったようだから、来店情報や氏名・住所を再送信して欲しい。」と言いました。でも、本当は最初に送信したこちらの情報を基に手続きがのんびりとのんびりと進んでいたのですね。安部礼司を愛する者としては会員証は1枚あれば十分です。何枚もあるのではありがたみが薄れますよ。なんだかなぁ……の事務局です。

 前回会員証が届いたときは東日本大震災の3月11日、今回届いたのが大きな余震が発生した4月7日。どうやらこの震災は、ACのしつこい広告と、安部礼司友の会会員証と共に記憶されることでしょう。

震災から3週間

2011-04-02 03:11:10 | Weblog
 今週は愛読書の文春、週プロ、アサ芸をコンビニで買うことができました。普通の生活が少しずつ近付いているようです。ただ、購入できなかった期間の雑誌も読みたいので、職場に出入りしている書店の方に聞いてみたら、「震災から2週間は完全に物流がストップしていたので、バックナンバーを取り寄せるのが難しいですよ、特に週刊誌は。」と言われてしまいました。
(*'o'*)

 今週後半はガソリン事情もだいぶよくなってきました。ガソリンも通勤・退勤の時間帯だと少々並ばなければなりませんが、真っ昼間ならすぐに給油してもらえます。4月1日の今日から営業を再開したスーパーマーケットも結構ありました。