さて、もうすぐで平成が終わりますニャ。
みニャさんは「平成」で印象に残ったことはニャンでしょうか?
まず、僕のプライベートニャことだと、大学に入ったことですニャ。
大学に入るまでは、本当に「勉強一筋」みたいで、自分がやりたいことができニャかった感じだったので、
大学に入ってから、特に一匹暮らしを始めて、自分がやりたいことができるようにニャったと思いますニャ。
(ブログとかをやり始めたのも大学入学がきっかけ)
そして逆に、パブリックニャことだと、東日本大震災ですニャ。
当時、僕は春休みに入ったばかりで、地元の大阪にいましたニャ。
家でゴロゴロしている時に結構大きニャ揺れがきて、物が落ちたりはしませんでしたが、情報を得るためにテレビをつけましたニャ。
震源地が宮城県沖で遠かったことに驚きで、津波の心配が出ていたものの中継では晴れていて穏やかでしたニャ。
そして、その数分後、、、、、、
中継(ほぼリアルタイム)で、津波で多くの家が流れていくのを見ましたニャ。
不謹慎かもしれませんが、この時、
「家、動くんだ、、、、、」
と思いましたニャ。
その後、テレビは地震や津波の被害に関することばかりで、
翌日の新聞の1面はもちろん、中も東日本大震災のことしか書かれていませんでしたニャ。
(この新聞は残すべきだと思い、今も大事に保管していますニャ)
さらに福島第一原発事故もあり、東北だけではニャく日本全体が悲しみと不安に包まれたと思いますニャ。
言い過ぎかもしれませんが、僕がこの時悟ったのが、
「どんニャに科学が発達しても、自然災害に勝てニャいニャ。」
当時多くのお偉いさんが「想定外だ」と言い、
さらに「曖昧ニャ解答」で国民を余計不安にした人もいましたニャ。
しかし、そんニャ彼らの本音は「分からない」としか言えニャかったのではニャいだろうか。
決して彼らの肩を持つわけではニャいが、専門家でも分からニャいぐらいの状況だったのでは。
福島第一原発事故の放射能の人体への影響等も厳密に予測はできニャい、そもそも日本は1945年の原爆の被害の認識が強すぎて「放射能」に対してピリピリしているニャ。
さらに後に「岩手県にあった全国最大規模の津波防潮堤が、簡単に壊れて、多くの家が流された 」ことを知りましたニャ。
東日本大震災の津波自身の高さは一番被害の高い福島では、21メートルあったと言われていますニャ。
もしこれを教訓に30メートルの津波の高さに耐える津波防潮堤を作っても、40メートルの津波が来れば簡単に壊れますし、だからといって40メートルに耐えるものを作っても、50メートルが来れば壊れますニャ。
これから科学がどんニャに発達するとはいえ、それ以上の自然災害が来れば手の打ちようがニャいですニャ。
「地震であれ津波であれ、台風であれ火山噴火であれ、自分の身は自分で守らニャければニャらニャい」
と「東日本大震災」で、考えさせられましたニャー。
さて、話を暗くさせて申し訳ございませんが、
「平成最後の動画」
ですニャー!
平成最後の投稿ですニャ。
平成が終わるということで、『平成』の名前が付いた「平成タイムボカンの歌」を歌ってみましたニャー。
バックコーラスは「JOYSOUND f1」の『ボイスエフェクト』を、いくつかの種類を混ぜて作りましたニャ。(つまり元は自分の声)
映像も「タイムボカン」から「怪盗きらめきマン」までのタイムボカンシリーズで構成されていますニャ。
『昭和』が終わり、『平成』も終わり、『令和』に入る訳ですが、(ファンが納得のいく)「令和タイムボカン」が製作されて欲しいと思っていますニャ。
(平成に入って、「平成版」としてリメイクされた昭和のアニメがある訳ですから)