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何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

苦労をかけたね‥‥‥祥一郎‥‥‥‥‥

2016年03月26日 | 菩提を弔う
「苦労をかけたね・・・・・・・・」


そう祥一郎に伝えられずに、この世とあの世に隔てられてしまったことが悔しい。

思えばあいつと出逢ってから、私の転職は7~8回、転居が5回。


私の生々流転の人生に付き合わせてしまった。

祥一郎にも多大なストレスを与えてしまったことだろうと思う。


別に好きでそんなに転職したわけではない。

店長をしていた店が人手に渡り、給料がまともに払われなくなったり、酒を飲む商売なので、身体を壊したり。
水商売を辞してからも、新たな事業の店舗に勤めたはいいが、すぐ潰れてしまったり、部署そのものが廃止になったり、わたし個人がリストラに遭ったり。

そんなことの連続だった。好きで辞めた仕事など殆ど無い。

そしてそれに伴って、オーナーから借りていた部屋を出ざるをえなくなるので、転居も多くなってしまった。


それに加えて、なまじ東京にも大阪にも縁があったので、東京から大阪、そしてまた東京に逆戻りという、この20数年間だった。


まあ、幼少期から東京大阪を親の都合で行ったり来たりの人生だったから、成人してからもそれから逃れられなかったわけだ。

祥一郎と出逢う何年も前に、ある占い師に、「貴方、今の職場を辞めたら、もう二度と安定した仕事に出会えないわよ。」
と言われたことがある。妙に引っ掛かっていたその言葉通りの人生になってしまったわけだ。


私はどちらかというと保守的な方だ。

ひとところに落ち着いてずっと過ごしたい性分だ。逆にそういう人生だったからこそそんな性分になったのかもしれないが。

辞める必要の無い安定的な仕事、転居する必要の無いそれなりの住まい。

それらがあったなら生活も安定し、祥一郎と出逢ってからもそれほどストレスを感じさせずに済んだかもしれない。

いや、なにより祥一郎の健康にもっと気を配ってやれたかもしれない。


祥一郎に言われたことがある。

「だって、またいつ引っ越しになるかも知れんし、おっちゃんが仕事変わるかも知れんし、うちだって落ち着いて仕事探されへん。」

確かにそうだと思う。逆の立場でも私はそう思っただろう。


それでも出逢ってから10年くらいは、祥一郎は途切れ途切れでもそれなりのアルバイト等をしてくれていた。

そして東京へ舞い戻る少し前に肝炎で入院、別の病気の発覚。

祥一郎の立場からすれば、それ以降は自分の人生に落胆しても当然と言えば当然だろう。

「あーあ、こんな人についてきたばっかりに・・・・・・」

などと思っても不思議ではないと思う。


それでも祥一郎は着いてきてくれた。

収入は減る一方で、生活は苦しくなるばかり、部屋も粗末な部屋を選ぶしか無く、日々の暮らしに汲々とした後半の10年余りだった。

そんな私に祥一郎は、

「うちはなんだかんだ言うても、おっちゃんの事が好きやで。」

と言ってくれた。

事実、好きでも無ければこんな不安定な甲斐性の無い男については来ないだろう。

こんな私に「好きだ。」と言ってくれた唯一の存在、祥一郎。

・・・・・・・・・・・・・・・・


ごめんね、祥一郎。

おっちゃんもっと暮らしを良くしようとしたけど、駄目だったよ・・・・・・・

お前にろくな事もしてやれなかったね。楽しみの少ないおっちゃんとの暮らしだったろうね。

そして、お前の死が迫っていたことさえ気づかずに、死なせてしまったね・・・・・・・

おっちゃんにもっと余裕があれば、あれもこれもしてやれたのに・・・・・・・・後悔先に立たずと言われても、そう思ってしまうよ・・・・・・


だから、せめてせめておっちゃんの後の人生は、お前の菩提を弔い、お前との想い出だけを生きる糧にして過ごすしかないんだ。

許してくれとは言わない。

そうすることで、後の人生お前の為に何ができるかやるだけやった後で、おっちゃんが死んだとき、お前に報告するよ。

きっとまた「おっちゃん、相変らずやったなあ。」

なんて言われるかもしれないけどね。

できるなら、案外早くそんな日が訪れることを祈っているんだ。

ねえ、祥一郎・・・・・・・・・・

桜の季節・・・・・・・涙で見えない花びら

2016年03月25日 | 菩提を弔う
あちこちで桜の開花宣言が・・・・・・・・・

あっという間に満開になって、ある意味、一年で一番浮かれた時期に入ってくのだろう。

花見だ夜桜だ、そして街には赤い顔した、生きるって素晴らしいというような顔をした人々が増える季節。


私の通勤経路にもかなりな桜並木が有って、去年まではそれを眺めながら、仕事で疲れきった心を慰めていたもjのだ。


そして・・・・・・・・

今年の桜を、私はどんな思いで眺めるんだろう・・・・・・・・・・・・・

季節の移ろいを感じるのだろうか。

ああ、今年も綺麗に咲いたなあと感慨に耽るのだろうか。

散りゆく花に、短い盛りを惜しむのだろうか。


おそらくどれも違う、どの思いも抱けないだろう。


どんなに満開に咲き誇っても、きっと相変らず下を向いて、散った花びらしか目に入らないだろう。


むしろ満開の桜を、憎らしい、疎ましいと思うかもしれない。

あっと言う間に散っていく桜だけれど、おそらく、いや確実にまた来年咲き誇る季節がやってくる。




しかし私のあの20数年間、祥一郎と過ごしたかけがいのない年月はもう二度とやってくることはない・・・
そして祥一郎ももう二度と、命の花を咲かせることは無い・・・・・・・・・・・・


そう思うと、徐々に満開になっていく桜に、恐怖さえ感じるかもしれない。

未曾有の悲しみに打ちひしがれた私を、桜が見下し、嘲笑っているように感じるかもしれない。



祥一郎が元気だったころ何度か

「ねえ、ちょっと弁当でも作って花見に行かない?」

と提案したことがある。

案の定祥一郎からは、「今さら花見?あっちこっちで咲いてるからそれ見て充分やろ。それにうち、あの花見の浮かれた連中嫌いやねん。」

という答え。

まあ私もそれほど本気では無かったのだけれど。祥一郎の反応も予想の範疇だったし。


でも・・・・・今となっては一度くらい二人だけの花見をやっておけば良かったと思っている。

粗末な弁当を作って、近所の小さな公園で、一本しかない桜を見上げて、ふたりっきりの花見をやっておけばよかった。

そうすればこの季節、(嗚呼、祥一郎と一度だけ花見をしたことがあったなあ。)と、涙がこぼれるかも知れないが、ひとしきりの感慨にふけることも有ったかもしれない。

少なくとも、咲き始める桜に妬ましさや恐怖は抱くことは無かったかもしれない。

桜に罪はない。

でも、その美しい生命の輝きを、私はまともに見ることはできないだろう。少なくとも今年は。

いや、今後何年もそうなのかもしれない。


祥一郎・・・・・・・・・

そちらに桜は咲いているのかい?

それとも一年中お花畑のような世界なのかい?

おっちゃんは花の華やかさには無縁の世界に生きているよ。

唯一お前の仏前に供える、楚々とした仏花だけが、お前の居なくなった部屋で咲いているよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・