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安保法案:戦争ごっこの自衛隊

2015-06-29 06:08:50 | 戦争法案
陸上自衛隊、モンゴルでのPKO多国間共同訓練の様子を公開(FNNニュース 15/06/27)


「安保法制で変わるPKO、新たな課題も浮上」(TBSニュース 6月27日)
>国会で論戦が続く中、モンゴルで行われているPKOの多国間訓練に自衛隊が参加。新たな課題も見えてきました。
>パトロールをしていた自衛隊が不意に攻撃を受けたという想定の訓練。今の法律でも許される正当防衛に限った武器の使用で対処しています。モンゴルの大平原で行われたPKOの多国間訓練には、世界中から23か国の軍が参加。パトロールや検問、負傷者の救護など、さまざまな科目がありますが、自衛隊はその全てに参加できるわけではありません。
>「現在の法制では、安全確保(治安維持)業務、任務遂行型の武器使用が禁止。『包囲索敵』『暴動対処』には参加していません」(訓練指揮官 関根和久3等陸佐)
>しかし、新たな安保法制が成立すれば、自衛隊もこうした科目に参加することになります。PKO法の改正によって新たに加わる任務は、紛争地での「治安維持」や「駆けつけ警護」。さらに、国連が統括しない有志連合のような枠組みにも自衛隊派遣を広げます。
>アフガニスタンでの国際治安支援部隊のような活動にまで参加する可能性がありますが、自衛隊は実際にどこまでの任務を担うための能力を持つべきなのか、治安維持にあたる際、例えば、検問所への自爆攻撃やパトロール中の仕掛け爆弾などのリスクをどこまで受け入れるのか、そうした現実的な議論には至っていません。そもそも、過去のイラク派遣と同じ要請があった場合、この法案で参加できるのか、その議論すら、法案提出前に自民党と公明党の見解が食い違ったため、棚上げされています。


はっきりしていないのに取り敢えず訓練を行う。これも言わば「既成事実の積み上げ」だろう。
だが、訓練とは言え、実際に行動を行えば矛盾点はいくつも出てくる。


少し話はずれるが、東洋経済オンラインのWeb記事、⇒「安保関連法案は、結局のところ違憲?合憲?」
ここに、「違憲」の立場から小林節・慶応義塾大学名誉教授が、「合憲」の立場から長尾一紘・中央大学名誉教授が意見を寄せている。
小林教授の論旨はもうご承知の通りだと思うが、一方の長尾教授の話は「合憲論」が常にそうであるように、こじつけの屁理屈ばかりで、結局何を言いたいのか解らない。いかに客観的に読み解こうと思っても到底理解が及ぶ論理ではなく、国連憲章に明記されているから集団的自衛権は合憲だとか、世界から見て日本は異質だとか、またぞろ砂川事件を引っ張り出してくるとか、状況が一変したとか、一言一句、安倍政府が今言っていることと何ら変わりなくそこに何の説得力も見出すことはできない。いちいち取り上げて反論するのも憚られるほどで、そして仕舞いには、「比較憲法学会では、半数程度が合憲論者ではないか」「トータルで、100人以下ということはありえない」と豪語する有様だ。

さておき、小林教授は話の一節で以下のように言っている。

>「自衛隊は第2警察で交戦権はない」
>日本国憲法下では、自衛隊が他国の防衛のために海外に出ていくことはできない。憲法9条2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」とある。
>だから、自衛隊は軍隊ではなく、警察予備隊として発足した。自衛隊はわが国の領土内で、警察や海上保安庁で対応できないほどの力が襲ってきた場合に備えるための組織であり、法的には第2警察という位置づけだ。


日本の自衛隊。見てくれは誰が見ても立派な軍隊である。一説には世界第5位の軍事力とさえも言われている。
だが法律上は軍隊ではない。かと言って警察でもなく、非常に中途半端な存在だ。

ここで、自衛隊そのものが合憲か否かという話は置いておくが、その見た目立派な自衛隊。実は戦力がない。
ここで言う「戦力」とは“実質的な”「戦力」という意味である。もとよりそうした「戦力が無い」のは当たり前、とする見方もあるだろうが、何より現状、「戦争をするための軍隊」としてのバックグラウンドが全く整ってはいないのだ。
隊員達は「命を預ける」宣誓をし、訓練に明け暮れているだろう。何十億円、何百億円もする航空機や艦船、戦車を始めとする車両をいくつも保有している。
だが、それを「戦争」において運用する為のシステムが構築されておらず、片手落ちもいいところで、もちろん、法律上ぎりぎり軍隊ではないので、作りようがないのであるが、そのことからも言わば形ばかりだと言える。

まず、
>中谷元防衛相は、新たな安全保障法制で検討中の在外邦人救出のための法整備に意欲を示している。自衛隊がテロ攻撃への対処など特殊な訓練を積んでいることを挙げ、自衛隊は邦人救出に対応できる能力をもっていると主張。自衛隊による邦人救出は能力面からも難しいとする見方に反論している。
>だが、結論から言えば、自衛隊にそのような能力はない。それは自衛隊が実戦を想定した戦力の整備を怠ってきたからだ。外からは軍隊のように見えるが、実戦を行う能力はほとんど無い。無理をして実戦を行えば、死体の山を築くことになる。


こう述べるのは軍事ジャーナリストの清谷信一氏である。
「自衛官の「命の値段」は、米軍用犬以下なのか」(東洋経済オンライン 2015年03月19日)
そして
>戦傷を想定しない「戦争ごっこ」
と切り捨てる。
その訳は記事を読めばわかるが、実戦を想定していない自衛隊の装備があまりに貧弱であることをあげ、それは装備だけではなく、運用面からも言えるとする。
同様なことをこちら ⇒「戦傷者は「想定外」という、自衛隊の平和ボケ」(東洋経済オンライン 2014年09月17日)でも述べている。
また、同氏の最近の記事 ⇒「自衛隊員の命は、ここまで軽視されている」(東洋経済オンライン 2015年06月17日)でも繰り返し述べられているが、実戦経験が無い、装備が整っていない、野戦病院が無い。あるいは軍法会議すら無いとなれば(憲法の76条2項で軍法会議を禁止している)軍隊でありようがないばかりか、戦争そのものができないということにもなる。

それを今、安倍内閣は集団的自衛権だ、海外派兵だなどと言っている。
だが、「戦争法案」は、このような点から見ても実態を全く見据えない空想論であることが尚一層はっきりとわかるだろう。



さて、日本の今年度の防衛費は過去最高の約5兆円である。
「15年度防衛費は過去最高の4.98兆円に、3年連続増」(ロイター 2015年 01月 14日)
万一、法案が通ったとすれば、「防衛整備」等の名目で更に金額が増えることは確実だ。それはまた、国民一人ひとりに税金として重く圧し掛かってくるものでもある。

一方、「財政から見た自衛隊の「本当の姿」」としてこのような記事もある。
「日本は「戦争をできる国」にはなれない」(東洋経済オンライン/土居丈朗:慶應義塾大学経済学部教授 2015年03月09日)
ここでは、
>財政面からみて、少なくともわが国は「戦争のできる国」にはなれないことは明らかである。
と述べた上、
>わが国の政府債務は、いまや対GDP比で約230%に達している。これほどの債務残高に達した国は、ナポレオン戦争直後のイギリスと、第2次世界大戦直後の日本とイギリスである。
>戦争を始める前からこれほどの債務を負っていた国はない。戦費を賄うためにこれ以上債務を負おうにも、わが国にその余力は残されていない。

として、以下記事内でその理由を述べている。

こうしたことからも、現実問題として、改めて「戦争法案」はまるでリアリティのないデタラメ法案だということができるだろう。
仮に無理を押し通したとして、道理が引っ込むどころか、いずれにしても破滅の道を歩むほかはない。

安保法案に関する国会の質疑では、リスク論が高まっている。だが、リスク以前にそこにあるのはもっと根本的な問題だ。
そして今のまま、自衛隊員が武器を携えて出掛けて行けば、そこにあるのは「ごっこ」では済まされない文字通りの「デッドエンド」だ。

物理的に出来もしないことをやろうとする。やればやったで死人ばかりが増える。一方で際限なく金が掛かり、国民の生活は圧し潰される。
こんな滅茶苦茶なことがあって良いものなのだろうか。とにかくどう考えても論外だと言わざるを得ない。
そんな「戦争法案」は即刻無条件に廃案! そして国民を奈落の底に突き落とすような安倍政権も退陣に追い込まなければならない。



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