白髪頭の独り言パート1

2011年を機会に隠居しようと思ったんですけど、大震災だもの、老け込んでいる場合じゃないよねー。

{ C会 }について

2011-02-06 | 日記
3月2日(木)に、あらまち町民大学シルバーセミナーというイベントに爺さんバンドが演奏依頼をいただきましたので、会場となる「荒町市民センター」の現場確認と詳細打ち合わせをお聞きするため、お伺いしてきました。こちらは会場の広さと電源、マイク、メンバー駐車場、ステージ持ち時間等の確認ですが、先方にはプログラム作成のための資料、演奏予定曲、メンバーと車両の数等連絡しなければなりません。「荒町市民センター」は昨年二月に完成したばかりの新しい会館で、立派でしたが、街中にあるので、駐車スペースは狭いようです。それより今日は日曜日なのに、職員の皆さんはお仕事で気の毒ですねー。休日皆さんが利用する場所には、必ず働いている人がいるんですものねー。
今日は午後から「C 会」の総会(まあ新年会みたいなものですけど)に出席のため、日本三景の松島の大観荘」に行くんですが、そもそもこの「c会」なんですが、簡単に言えば応援団吹奏楽部のOB会なんですよー。ドレミファソラシをドイツ読みでC「つぇー」D「でー」E「えー」F「えふ」G「げー」A「あー」B「べー」と日常使っているんですけど、英語読みと紛らわしいというか勘違いしないため爺さんバンドではEは「いー」Bは「びー」と英語読みでつかってます。「C会」は「つぇー会」と言ってまあ、音階の最初の「ド」のつもりですね。爺さんが1962年に大学に入学した時は、学内に管楽器を使用するバンドは応援団吹奏楽部しかなかったので、迷わず入部したんですよ。当時の応援団にはリーダー部と吹奏楽部があったんでけすど、応援のための吹奏楽部ですから、演奏する曲は「校歌」「応援歌」「マーチ」が殆どで、爺さんは一年のペーペーでしたから、首を突っ込んだことはないですけど、リーダー部と吹奏楽部には代々確執があったようで、入部間も無く、吹奏楽部のメンバーが応援団を脱退して新しい吹奏楽部を作ることになったんですよ。当時は大事件でした。爺さんはラッパの先輩を慕って入部したので、迷わずその先輩にくっついて、退部届を出して、新しい方に参加したんですけど、5~6人は応援団に残って吹奏楽を存続させていたんですけど、一年後には爺さんたちの方に合併統合となり、応援団吹奏楽部は消滅したという歴史があるんですよねー。ですから爺さんは最後の応援団吹奏楽部OBっていうことになるんですよー。たまたま爺さんが一年の時の4年生が決断実行したんですけど、それ以前からも吹奏楽部には、いろんなジャンルの曲をやりたいという願望があったらしいんですけど、リーダー部の圧力で断念していたようなんですねー。そういった昔の応援団吹奏楽部のOBの音頭で、随分前に「C会」がスタートしたんですが、新しい後輩が加わってこないOB会なんで、年々減少傾向にある寂しい現実があるんですよー。爺さんたちの吹奏楽部SWEのOB会と合体させないと前途は厳しいんですけど、この会は毎年二月の第一日曜開催、月曜朝解散なんで、爺さんは昨年の三月までは仕事をしてたんで、月曜朝に会議が有ったりで、何年か欠席してたんで、久々の参加なんで、SWEの先輩がその気にならないうちは、継続のためのどうのこうのの意見は下っ端が口出しする訳にも行かないんですよねー。お酌をしながら末席でおとなしく、ひたすら飲むことにするつもりなんですよー。