白髪頭の独り言パート1

2011年を機会に隠居しようと思ったんですけど、大震災だもの、老け込んでいる場合じゃないよねー。

もう二月も終わりですねー。

2011-02-28 | 日記
二月の締めの今日は朝から霙で寒い日になりました。原稿提出のため郵便局に行きました。相手がアナログ人間の化石みたいな人なので、ネットではダメで、郵送せざるを得ないんですよー。その足で毎月薬を貰いに行ってる病院に行きました。形式的に血圧を測って「132~80で安定してます」って、いつものパターンなんですよ。そんな筈はないんで、家で測ると2割りは高いんですけど、高いのは医者のせいではないので、「ありがとうございます」って言って薬を貰って来るんですけど、待合室にこーんなに健康に注意するための冊子がおいてありましたが、どうせ守れないと思うので、いっさい手に取ることはしませんでしたけど。大通りを曲がった、この一本道が我が町内なんですよー。道幅が狭いので、建築基準法からも大きなマンションは建てられないそうなんですが、昔は長屋もあり、それなりの風情のあったところなんですが、今は新しい一戸建てもたち、アパート、小さなマンションも結構建っているんですよー。昔沢山長屋があったということは、地主さんは何人かの限られた人が持ち主だったんだろうと思います。爺さんは仕事している時は、殆どここに居なかったので、住み着いている奥さんの情報によると、最近はアパート、マンションに外国の方が多く、町内会費の徴収や、ごみ場の捨て方ルールが守られなくて困っているんだそうです。そこで爺さんは張り切って「それは伝達、衆知徹底の仕方に問題があるんだろう」と、「俺が作ってやる!!」って、ルールを守って欲しい場所に、日本語、中国語、韓国語、英語でお願い事項をかいて、サッカーのレッドマークを出しているイラストをつけたポスターを作って奥さんに貼らせました。それなりの効果が出たと喜んでいますが、無法なことをする人の殆どは、そのルールを知らないだけってのが多いんですよねー。例外はどこの国にだっているんで、幸いにも我が町内の住人は善人が多いようです。みんな仲良く暮らしたいものですよねー。いずれ爺さんにとっては、いい暇つぶしにはなりましたよー。

心地よい疲れ~

2011-02-27 | 日記
今日は恒例の合同練習だったんですけど、なんか今まで、ステージに上がるまでは、まだ先があると思って余裕っていうか、締まってない感じだったんですけど、二月が28日しかないのに今更気が付いて、急に慌てだした感じの練習でしたよー。明日で今月は終わりで、三月には三回もステージがあるんですよねー。手始めが3月2日なんだものー。今日は、その日の分と、26日のディナーショウの分と一気にやったので、疲れたっていうより、慌ただしい感じでしたねー。先週、安田先生に細かく指導して頂いたのに、すっかり忘れてた人もいましたし、一寸酷すぎってのもありましたが、個人個人が気がつけばいいんですけど、酷い本人は気が付いて無いようでした。まあーいつもの事ですけどねー。それなりに疲れたので、充実した晩酌をしないと拙いと思って、帰りにベニマルに寄って、仕入れも完了し、帰宅したら、出かけ好きな奥さんはまだ、ご帰宅してはおりませんでした。一人でお膳を準備し、風呂に入って、今日は自分のペースで試合開始します。
>{おまけ}奥さんは、いつ帰って来るか解らないので、一人でを始めてたんですけど、ドドドドーッという音と共に、さも急いで帰ってきたといういつものパターンでご帰宅。他人のお構いなしに、状況説明が始まりましたよー。丸森の蔵の郷土館「斎理屋敷」に行ってきたんだと。昔の豪商の屋敷で有名なところなんですけど、折角ですから、「斉藤理なんとかいう人の屋敷だったところなのー?」って質問をふって上げたんですけど、「知らない、聞いてこなかった」で終わりでした。あんまり疑問って持たないタイプなんですよねー。爺さんも「斎理屋敷」は江戸末期から明治にかけての豪商で、代々の店主が斎藤理助を名乗ったので「斎理」だ程度しか知らないし、丸森町は養蚕が最後まで続いている(今でもあると思いますけど)土地ですから、それと関係あるかも知れないんで、後日調べてみたいと思います。

熟睡したいねー。

2011-02-26 | 日記
どう言う訳か解んないんですけど、40歳前半から、眠れなくなったんですよねー。当時はバリバリ仕事してたんで、何とか眠らないとと思って、日赤病院のお医者さんが小学校の一つ先輩だったんで、相談に行ったことがあるんですよー。そん時は「大丈夫だー。人間はこれ以上眠らないと死ぬーって言う時は、嫌でも眠るように出来てんだからー」って言われて、そんなもんかなーと思って、少し気楽には成ったんですけど、以来ずーっと寝るのは4時間ぐらいっていうのが続いてて、そのせいかどうかは解らないんですけど、4年ぐらい前に具合悪くして入院してから、睡眠剤だか安定剤だかを貰って飲み続けているんですけどねー。飲んで眠くなる訳でも無いんですけど、確かに眠りは深いようなんですよねー。今は別に焦って寝る必要もないんですけど、とにかく眠くならないんですよー。仕方がないんで、深夜もテレビを観てるんですけど、テレビショッピングではねー。前は、ぶら下がり健康機だとか、腹筋の器械だとかって買ってしまったこともあるんですけど、大概、画面でモデルさんが楽々やってるんですけど、実際は、物凄くきつくて、結局、物掛けになってますけどねー。BSの深夜のマックイーン特集だとか、アカデミー賞受賞作品特集なんて殆ど観てるんですけど、アカデミー賞なんて、選定基準がどこにあるんだか解らない作品もありますねー。観て損したなんて思う時もあるんですよー。昨日も「朝まで生テレビ」を見てましたので、さすがに今日は少しぼーっとしてますけどねー。病院から貰ってる薬を飲まないと、とにかくぼーっとなるんですよー。まあ、焦っては居ないんですけど「寝ないなら、寝るまで待とうほととぎす」の心境なんですよねー。でも、たまには誰かさんみたいに、グォーグォーいびきかいて寝てみたいですよー

ちょっと後悔してるんです

2011-02-26 | 日記
ことの発端は、飼っているインコの餌を交換する時に、古い餌を庭に捨てると、びっくりする程、雀が集まって来たんで、面白がって定期的に餌を撒くようになり、現在、雀が約30匹ぐらいの集団を作っているんですよー。結果的に、マイカーの上に糞が落ちる様になったんですよねー。まあ、仕方ないかと思ってたら、最近、車に落とされる糞が大きくなったんで、注意して見てたら、ヒヨドリなんですよー。最初は一羽だったんで、まあ、ヒヨドリも北海道あたりから遠いところ渡って来たんだから、「ご苦労さん」って言う気もあって、雀と餌の取り合いの喧嘩してる様子も無いんで、ただ見てたんですけど、どうもヒヨドリも、仲間に喋ったようで、昨日から3羽来るように成ってしまったんですよねー。それでなくても、奥さんに「2階のベランダの糞、どうしてくれんのー。」って文句言われてるんで、この調子で増えられると大変なことに成りそうなんですよー。でもねー、ヒヨドリさんだけ追い払うのも、なんか差別の様だし、ただ、ヒヨドリさんの糞はデカすぎるんですよねー。少し悩んでるんですよー。

楢山節考

2011-02-25 | 日記
今月6日に、松島で、昔の応援団吹奏楽部のOB会「C会」があったんですけど、その時の写真を先輩から送って頂きました。当日は横浜から毎年駆けつけて下さる76歳の先輩を最長老に一番下が64歳というメンバー20名が集まって、宴会をやったんですけど、呼ばれて接客してくれたコンパニオンさん達も、部屋を間違えたんではと、ビックリしたことでしょうねー。日常自分たちでは全く気が付いてないんですけど、こうして写真を見てみると、全員、間違いなく、深沢七郎さんの小説「楢山節考」の世界の集まりなんだよなー。時代が代わっていてよかたっなー。でも「姥捨て山」はあるけど「爺捨て山」は聞いたことないので、大丈夫でしょうか?ひょっとしてどっかにあったりしてー。先輩よりの、写真と同封の書状に「来年会えなくなるので、健康にだけは注意」って添えてありました。実際そうなんですよねー。還暦過ぎたら、一年以上、あまり先の計画は組めなくなるんですよねー。

同居人?

2011-02-24 | 日記
我が家の同居人です。最初にセキセイインコを飼ったのは、かれこれ30年ぐらい前の、子供らが小さい頃だったと思うんですけど、表向きの理由は、子供らに命の大切さを教えるため。本音は爺さん自体が子供の頃から飼いたかったんだけど、親が許して呉れなかったってのがあるんですけどー。2ツガイ(2カップル)を2つの籠で飼って、雛が生まれたら子供らに、それぞれ分担で餌付けをさせて、手乗りインコにしようっていう単純な発想だったんですよー。ところが大変な事になってしまったんですよー。インコは一回に5~7個の卵を孵化するんですけど、2組いるんで、最初のお産で、それぞれの担当が5匹ぐらいづつに成って、それなりにやってたんですけど、孵化した雛は8ケ月で成長(人間でいえば18~20歳ぐらいらしいです)当然住まいも狭くなったので、庭に大きな鶏舎を作って、飼ったりしてたんですが、ネズミ算じゃないですけど、みるみる増えて60羽ぐらいになってしまい、これは拙いって慌てて、会う人ごとに「インコ貰って下さい」と頼み込んで、一時は町内の殆どにインコが渡る結果になってしまったんですよねー。一ツガイだけ残したんですけど、これが又増えるもんで10年程まえから、これ以上増えたら拙いんで娘の提案で、雄は雄だけ、雌は雌だけと小屋を分けて飼うことにしたんです。チョット残酷かなあとは思ったんですけど、娘がこれ以上増えたらどうすんのー」って強く言うもんですから、従ったんですけど、それとは関係ないとは思いますが、娘は未だ独身で、インコの世話係です。今いる2羽は娘の証言によると2001年1月の誕生の雄なそうです。普通セキセイインコの年齢っていうのは、孵化して8ケ月で成人となり、1~5年までは一年に人間年齢で5歳づつ、6年目からは8歳づつ、トータルで人間の7倍の速さで時間が過ぎるそうなんです。っていうと家のインコは80歳超えた後期高齢者じゃないですかー。我が家に先輩が同居してたんだと気が付き、大切にしてやろうと、しみじみ思いますよー。

トランペット吹きの休日

2011-02-23 | 日記
昨日のニュージーランドの地震にはびっくりしましたよー。現地の昼飯時だったようですねー。クライストチャーチが被害甚大なようですが、爺さんの友人のいるところは、オークランドなんで、影響なかったようです。前にも書きましたけど、現場にいないと、被害状況や恐怖感ていうのはピンと来ないんですよねー。日本も明日は我が身だもんねー。爺さんは癌に成ろうが、ぽっくり行こうが怖くも何ともないんですけど、地震と火事爆発の類は本当に怖いねー。日本からの救助隊も出発したようです。頑張って救出活動お願いします。仙台はここ数日天気が良くて、温かいので、庭にシートを敷いて、ラッパ磨きをしようと思います。爺さんのラッパは年代物(恰好良く言えば、アンティーク)なんで時々、研磨剤で磨くんですけど、あんまり磨くと管が薄くなって行くんで好ましくは無いようです。トランペットの歴史って3000年も前の発掘品からも見つかっているそうなんですよねー。現代の物とは違うと思いますけど。初期のトランペットはバルブ(ピストン)の無い、管の出口を広くした、メガフォンとか、サッカーの南アフリカのワールドカップの時、鳴らしてたような(ブブゼラって言うんでしたっけ)形のものらしいですけど、トランペットはバルブを使わなくてもかなりの音程を出すことが出来るんですよねー。昔の軍隊ラッパとか、今でも消防隊で使ってるラッパで、いろんなメロディーを吹いてますよねーこれは倍音って言って、唇の動きや息の速さをかえて、パルプ無しで、出ることになっている音です。みんながみんな高いところまで出せる訳ではありませんけどねー。五線紙のズーッと上のほうの音をハイトーンって言うんですけど、かなり難しいです。音を解って、掴んで吹かないと違う音が出てしまいますからねー。亡くなられましたけど、メイナードファーガソンというトランペッターが、非常に高い音域を正確に演奏するプレイヤーとして有名ですが「ハイノートヒッター」と呼ばれています。高音を正確に捕まえて打つ人ってことですよねー。爺さんはとてもとても無理なんで、せめてラッパぐらい光らせようと磨くんですけどねー。「トランペット吹きの休日」っていうところですかねー。オッと、爺さんは毎日が休日でしたよー。

青い山脈♪♪

2011-02-22 | 日記
毎年一回開催して来た我がバンドのディナーショウも、いよいよ3月26日と日数が近づいて来て、仕上げの、追い込みに入っているんですけど、例年ですと28曲ぐらい演奏してたんですけど、やる方も大変なんですけど、聴いて下さるお客さんも慌ただし過ぎるんでないかって意見が出て、曲数を少し減らしました。選曲についてはバンマスが頭を痛めて考えるんですが、(何に頭を痛めるかっていうと、お客さんに喜んでもらえる曲っていうのは勿論ですけどバンドのレベルにあったというか、バンドの実力で熟せる曲ってことですねー)今回も随分考えて選曲してくれたようです。バンドのお客様は圧倒的に年配の方が多いのが、うちのバンドの特徴なんで、今回選曲の目玉のひとつに「服部良一・不滅のヒットメドレー」って言うのがあるんですよー。戦前、戦後の青春期の方々にとって、心を躍らせたっていうか光明を見た感じにさせてくれた曲だと思います。流石に爺さんは、その頃は未だ子供でしたから、メロディーは知っていますが、心躍るっていう歳ではありませんでしたけどねー。爺さんは、その頃は、「笛吹童子」だの「紅孔雀」だったかなー。取り敢えず、曲想をみんなで理解するため調べて見ました。銀座カンカン娘」~「湖畔の宿」~「一杯のコーヒーから」~[蘇州夜曲]~「青い山脈」の五曲がメドレーになっているんですよー。これらを調べていたら、中に(カラオケで蘇州夜曲を歌っていたら、同行していた中国人の若者が、怒ったんだかなんかでスイッチを抜いてしまった)って言うのがあったんですよー。つづけて(良く調べて見ると中国侵略の頃の曲なんで、気分を悪くさせたんだろう。認識不足で済まないことをした)なんて書いているんですよねー。確かに「蘇州夜曲」は当時、国策映画として作られた「支那の夜」っていう映画の挿入曲ではあるんですけど、日本でですよ。中国で唄ったって言うんだったら気を悪くする人がいるかもしれないですけどねー。何か可笑しくないですかねー。適当な例えかどうか解りませんが「ローマにいてはローマに従え」じゃないんですかねーそんなんじゃ、とてもよその国にいったら拙いんじゃないすかねー。反省されている日本人の方も、折角ですから、もう少し歴史認識やら、時代の紛争実態を勉強してみるといいんじゃないでしょうか?どこの国も、それぞれの国の指導体制によって国民は動かされるんで、当然、情報もコントロールされている状況ですから、何国人がどうこうではなく、その国のその時の指導体制が問題なんですよねー。いまネットによって情報がオープンになったので、本来なら知ることなくいた人たちが、知ることができるようになり、各地で起きているのが、民主化運動という、反国家体制、反独裁運動なんですよねー。国家間の戦争以前に、まだまだ、いろんな国の国内騒乱が連鎖拡大し続くんでしょうねー。成功したグループは、そよの国にまで、支援と称して、出かけて行きますからねー。

御菓子放浪記

2011-02-21 | 日記
午前中に奥さんがそそくさと出掛けて行ったので、どこに行ったのかなーなんて思って居たら、何と映画の試写会に行ってきたんだとー。エクレールお菓子放浪記」ですけど、ニュースでも紹介されていたんですけど、宮城県の石巻でロケーションされた映画で、小説家、西村滋さんの自伝的作品の映画化なんですよねー。試写会のチケットが当たった人に誘って貰ったらしいんですけど、本によると、物語は昭和18年に始まる、お菓子への憧れを平和への希望にまで昇華したという、時代背景は、経験した御菓子なんて無かった時代の爺さん世代に、完全にハマる作品なんですよねー。あらすじばっかり追いかける人には、ちょっと高尚な映画の気がするんですけどねーなんて、置いて行かれたひがみで、おおいに気を悪くしているんですよー。「場面に知り合いの石巻市長が審査員役で出てきた」とかって感激してんだものー。しかも撮影したのが、「地元なのに言葉が東北弁でないのはおかしい」だのって東北弁プロとしての突っ込み入れてますよー。何とかしてー。それでも、当時の孤児の存在や、それでも生き抜いた人たちの背景を少しぐらいは感じたと思うので、「鐘の鳴る丘」の話も、少しは真面目に聞いてくれるんではないかと、僅かですけど、期待するんですけどねー。まあ、そんな深いこと考えるタイプではないなー。無理だなー。

用心したほうが?

2011-02-21 | 日記
家に居ると迷惑というか、厄介なのが、家の電話に掛かってくる奴ですねー。留守電設定にしておいて、殆ど出ないことにしてるんですけどねー。ナンバーディスプレーをみると、0120からが多いし、大概、何かの売り込みの類なんですよねー。いずれにしろ大切な用事があるんだったら、留守録に何か喋ると思うんで、放っとくんですけど、世の中には、留守録に伝言を喋るのは苦手っていう人も結構多いんですよねー。かく言う爺さんも実は大の苦手です。緊張してしまって、うまく伝言を喋れないんですよー。ですから、結構、我が家の知人からの電話にも居留守を決め込んでいるのかもしれません。「なんでいつも出かけてんだー、この家は!」なんて思われてたりしてねー。我が家では奥さんは飛び歩いてますけど、爺さんは殆ど、ひっそりと在宅なんですけどねー。親しい人なら、夫々携帯を持ってるんだから、そっちにして貰えばいいんですよねー。もう一つは玄関がピンポンって鳴って、宅急便かと思って出て見ると、なんか訳の分かんない営業と言うのか、インターネットだかケーブルテレビの云々、中にはお宅の壁は寿命だから、塗り替えろとかって、余計なお世話なんですよねー。こっちだって寿命すれすれなんだからー。宗教の普及活動なんて人も結構来るんですよねー。あんまり幸せでは無いような雰囲気を醸し出してねー。ちょっとどうかなーって思うのが「壊れた時計とか買い取ります」「なんでも不要のもの有りませんかー」とかいう人も時々くるんですけど、うちで不要なものは爺さんだけなんですけど。その人たちは社員だかアルバイトだか解りませんが、まともな感じの人たちも結構いるんで、それぞれ企業の仕事で動いてるんでしょうけど、その人達の日当と、商談成立の可能性を考えると、どう見ても商売として成り立たないと思うんですよねー。一軒一軒回って、その家の状況を調べて、情報を集め、独居老人宅を確認の上、新たな企みでもしてるんじゃないかーとか、留守だったら空き巣に早変わりだとかって、こう世の中が世知辛いと、勘ぐってしまうんですよねー。中にはほんとに独居老人の人にとっては、話し相手になってくれる親切な人なんて感じたりしてる場合も結構あるようですよー。そういう人たちにつけ込む様なことはやめて欲しいんですよねー。今の世の中だから、独居老人宅を専門に回って、日用品だとか、その日の食品を届けてくれる、八百屋さんだとか、魚屋さんの御用聞きみたいな人がいたら助かるんじゃないかなー。昔はいましたよねー。只これも近所のお店で信用があってのことだからなー。個人商店って爺さんの管内でも殆どシャッター閉まってるもんなー。