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カエルがヘビを丸のみ! ネットの衝撃写真、撮影秘話

2019-04-14 19:37:20 | 日記

カエルがヘビを丸のみ! ネットの衝撃写真、撮影秘話

 

ナショナルジオグラフィック日本版

これがその写真。2011年に撮影され、のちにソーシャルメディアなどで話題となった。(PHOTOGRAPH BY JULIE-ANNE O'NEILL)

オーストラリア、クイーンズランド州北部を大嵐が直撃する前、外の空気が生命感に満ち始めたとジュリー・アン・オニール氏は振り返る。「すべてが激怒しているようでした。餌と交尾の相手探しに逆上しているような感じです」

2011年のそんな夜に、彼女は散歩に出かける。野生生物たちの反応を観察するため、「ドルフィントーチ」と呼ばれる大きな懐中電灯を携帯していた。彼女がのちに自分の自然写真の「至宝」と呼ぶようになった1枚を撮影したのは、この散歩でのことだ。被写体を見る前に、彼女はある音を聞いた。大きな甲高い鳴き声で、聞き慣れた音だが、同時に異質な感じがしたという。

目の前の地面には、これまで見た中で最も大きいイエアメガエルがいた。「カエルは口を開けていて、『いったい何?』と私は思いました」。カエルの口をのぞくと、小さなヘビが喉の奥へと吸い込まれているところだった。ヘビはまだ諦めておらず、脱出しようともがいている。

■勝ち取った奇跡の1枚

イエアメガエルは自宅の敷地でよく見かけるカエルだったが、虫以外を食べようとしているところを目撃したのは初めてだった。(参考記事:「【動画】ニワトリがコブラに圧勝!なんと丸のみ」

最初はただ驚いていただけだったが、このようなときのためにデジタルカメラを新調していたことを思い出した。別に本格的に写真家になろうとしていたわけではない、と彼女は主張した。ただ、自然界で目にする不思議な光景を記録したかったのだと。

「私が誰かに何かを話すと、彼らは決まって『でたらめだ』と言うんです。だから、カメラを購入し、写真を撮ろうと思いました」。カメラを取りに戻り、再び外に出ると、イエアメガエルは編みかごによじ登り、縁で休んでいた。

「まだキヤノンのカメラに慣れようとしていたところで、シャッターを押そうと構えていた指先の感覚がなくなってきました」。大きな懐中電灯で頭上から照らし、何度もシャッターを押して、ようやくカエルの口の中にはまり込んだヘビを撮影することに成功した。「あの1枚を撮ったときは、何かに勝利したように感じました」

■イエアメガエルの驚異の生命力

彼女はそのとき、カエルが死ぬに違いないと確信していた。カエルの舌は刺し傷だらけで、ヘビは激しく体をくねらせていたため、いつもと違うこの食事が最後の晩さんになるのだろうと思った。

ところが翌朝、カエルはまだ同じ場所にいた。彼女にとって、イエアメガエルはありふれた動物で、自宅のトイレからはい出すところを見たこともある。おそらくパイプの中を泳いできたのだろう。しかし、彼女はその巨大な体を見て、前日と同じカエルだと確信した。持ち上げてみると、左右の手のひらに収まりきらないほど大きかったという。

彼女は2011年、Google+(グーグルプラス)に写真を投稿。人気を呼ぶかもしれないと思っていたが、さまざまなソーシャルメディアでこれほど拡散するとは予想していなかった。なかでもいちばん反響が大きかったメディアはRedditだった。

ナショナル ジオグラフィックが2017年10月にこの写真を取り上げたとき、彼女はこの写真の人気の大きさをあらためて知り、衝撃を受けたという。写真の注目度に圧倒されているとオニール氏は言いながらも、人々が自分と同じように写真を楽しみ、ようやく功績が認められたことを喜んでいる。

(文 Sarah Gibbens、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2017年12月22日付]

 
 

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NASA公式写真家が撮った地球人 宇宙開発の歴史

2019-04-14 19:29:59 | 日記

NASA公式写真家が撮った地球人 宇宙開発の歴史 

 

ナショナルジオグラフィック日本版

2011年7月7日、スペースシャトル計画の最後のフライトを前に待機する「アトランティス号」(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)

ビル・インガルズ氏は、NASAの上級契約フォトグラファーだ。世界を飛び回り、30年にわたって宇宙開発の歴史に残る貴重な瞬間を写真に収めてきた。おそらく、日本人の多くもインガルズ氏の作品を見たことがあるはずだ。例えば、若田光一さんが国際宇宙ステーション(ISS)から帰還した際にも、インガルズ氏が元気な姿を撮っている。そんなインガルズ氏の写真で、宇宙開発の歴史を語る様々な瞬間を見ていこう。

 

◇  ◇  ◇

数々の傑作写真をものにしてきたインガルズ氏。しかし彼は、今も実に謙虚だ。「30年もあれば大量の作品を撮ってきたはずですが、実際のところ『ああ、そういえばこの写真はいい出来だった』と思い出すのは、ここ5~10年くらいの作品です」

2011年11月22日、カザフスタンの荒野に着陸する宇宙船ソユーズTMA-02M。現場に到着するロシア人スタッフが見える(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)

始まりは、大学時代のインターンシップ。インガルズ氏は米国ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれ育ち、近隣のウェインズバーグ大学でビジュアルコミュニケーションなどを学んだ。「TVが私の初恋でした」と語る同氏は、NASAでのインターンシップで、ライター、テレビ制作の仕事をするかたわら、写真も撮影していた。

卒業後、しばらく教師の仕事をした後で、インガルズ氏は自分がNASAに戻りたいと願っていることに気がついた。彼はNASAに毎週電話をかけて、なにか仕事はないかと尋ねた。そしてついに、幸運が訪れた。

着陸したソユーズTMA-02M。国際宇宙ステーションでの5カ月半のミッションを終えた乗組員たちが地上に降り立つのを、スタッフが手助けする(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)

「彼らはきっと私の電話に嫌気が差して、いいから机をやっておこう、隅の方に座らせておけばいい、とでも思ったんでしょう」と彼は言う。

インガルズ氏は、二つの仕事のどちらかを選ぶよう言われた。フォトリサーチャー、またはフォトグラファーだ。フォトグラファーのポジションは、アポロ計画の時代にこの仕事を独占していたビル・タウブ氏が去った後、影が薄くなっていたという。フォトグラファーを選んだインガルズ氏は、カメラ用品のキャビネットへ案内された。そこには、タウブ氏が使っていた装備がたくさん残されていた。

 

 

2019/3/10

米ユナイテッド・ローンチ・アライアンス社のロケット「デルタIVヘビー」の打ち上げを長時間露光で撮影した1枚。太陽観測ミッションに向かうNASAの探査機「パーカー・ソーラー・プローブ」が積まれている。2018年8月12日撮影(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)

「わたしは道具をため込むたちで、そのキャビネットにあったものは今もすべて持っています。あの道具にはそれぞれ、逸話がありますから」。インガルズ氏秘蔵のお宝の中には、「アポロの着水と回収の際に、潜水夫たちが使ったもの」だとタウブ氏に教えられた、2台の「ニコノス」(ニコン製の水中カメラ)もあるという。

インガルズ氏は、アポロの月面着陸20周年を取材し、アラスカの火山で火口を探索するロボットを撮り、上空3000メートルを飛ぶヘリコプターから身を乗り出してロシアの宇宙船着陸を撮影し、スペースシャトルの打ち上げを記録してきた。しかし宇宙開発のあらゆる側面を記録する彼の仕事では、華やかな瞬間が、一転して重苦しいものになることもある。

宇宙飛行士の格好をした少年が、ロサンゼルスに向かうスペースシャトル「エンデバー号」を見つめる。2012年10月13日撮影(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)

2003年、スペースシャトル「コロンビア号」が地球に帰還する際に空中分解し、7人の乗組員全員が死亡したとき、インガルズ氏はワシントンDCのNASA本部にいた。彼は当時の副長官フレッド・グレゴリー氏が電話をかける姿を撮影した後、副長官にこう言ったという。「自分がしていることが嫌になります。こんなことをすべきではないと感じます」

インガルズ氏は、そのときのグレゴリー氏の返答を思い出すと、今でも胸が詰まると語る。「いちばん大切なのは、人々がこの日を決して忘れないことだ。この日の場面は人々に見られる必要がある。覚えておいてもらう必要がある。ごくささやかなことまで、そのすべてをだ」

カリフォルニア州のドーナツ店「ランディーズ・ドーナツ」のそばを通過するスペースシャトル「エンデバー号」。2012年10月12日、グッドイヤー社の飛行船から撮影した(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)

インガルズ氏は、少年時代から宇宙に憧れていたわけではない。「ポスターを集めたり、本を読んだりといったことはまったくしませんでした」。しかし、NASAでのインターンを経て、やがて上級フォトグラファーとして働くようになった後では、宇宙はすばらしいと認めざるを得なかったそうだ。

「周りに感化されてしまったわけです。今では宇宙が大好きですよ」

次ページでも、人類の宇宙開発の歴史を思い返しながら、インガルズ氏の写真10点を紹介しよう。

 

2019/3/10

2018年2月28日、国際宇宙ステーションから帰還する3人の宇宙飛行士を乗せてカザフスタン、ジェスカスガン付近に着陸するソユーズMS-06(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)
2018年10月、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から発射されたソユーズMS-10を赤外線で撮影した1枚。搭乗しているのは、NASAのニック・ヘイグ宇宙飛行士とロシアのアレクセイ・オフチニン宇宙飛行士(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)
発射台に載ったソユーズ宇宙船の脇で、報道陣に祝福を与える正教会の司祭。2012年10月22日、バイコヌール宇宙基地にて(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)

2012年5月13日、列車でカザフスタンのバイコヌール宇宙基地の発射台へと運ばれる宇宙船ソユーズTMA-04M(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)

2010年4月5日、スペースシャトル「ディスカバリー号」の発射後、フロリダ州ケープカナベラルの発射コントロールセンターを離れる作業員(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)
2011年3月19日、ワシントンDCのリンカーン記念堂の近くにのぼるスーパームーン(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)
2012年4月20日、ワシントン・ダレス国際空港にて、747型シャトル輸送機の上に載せられたスペースシャトル「エンタープライズ号」(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)
カリフォルニア州ロンポックのヴァンデンバーグ空軍基地にあるNASAのオフィスビル周辺の景色。疑似カラーの赤外線画像のため、青く見えている(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)
自由の女神とスペースシャトル。2012年6月6日、はしけ船に載せられたスペースシャトル「エンタープライズ号」が、ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館に向かう。エンタープライズ号は現在、同博物館に永久展示されている(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)
フロリダ州ケネディ宇宙センターの発射台に据えられたスペースシャトル「ディスカバリー号」。満月に近い月が後ろに見える(PHOTOGRAPH BY NASA/BILL INGALLS)

(文 SARAH GIBBENS、写真 CORENTIN FOHLEN、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2019年2月20日付記事を再構成]


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新元号「令和」 専門家を驚かせた3つの理由 平成の「先」の時代を考える

2019-04-14 19:24:17 | 日記

新元号「令和」 専門家を驚かせた3つの理由 平成の「先」の時代を考える

 

2019/4/11

4月1日に発表された新元号「令和」。改元は5月1日

新元号は「令和」(れいわ)に決まった。出典は「万葉集」で「非常に美しい、きれいな元号という最初の印象を持った」という山中伸弥・京大教授(有識者懇談会メンバー)のコメントと同じ感想を持った読者の方も少なくないだろう。一方、初めて「令」の文字を採用するなど、元号史を専門とする研究者を驚かせる新機軸も少なくない。久礼旦雄・京都産業大准教授と京都府教育庁の吉野健一・文化財保護課副主査に聞いた。

■「令」は元号未採用候補に1つだけ

「正直かなり驚かされた」と、吉野氏は新元号が発表された瞬間を振り返る。まず「令」の文字が、これまで日本の元号に使用された「72字」の中になかった。昭和の「昭」、平成の「成」に続いて、元号の文字にニューフェースが加わった。さらに、中国の漢から清までの元号354に使われた148字の中にも入っていないという。「『令』には良い、素晴らしいという意味がある」と吉野氏。

専門の研究者が注目するのは、「令」が過去の改元論議で提案された、元号未採用案の中ですらも、ほとんど見られない点だ。1回の改元時に、学識者らから提案される元号案は、10を超えることも少なくない。その中から1つが選ばれ、あとは有力な元号候補として温存されてきた。江戸時代以降では、こうした未採用案の中から正式な元号に登用されるケースが約8割を占めるという。これまでに約500の元号候補が確認されているものの、「令を使ったケースは、幕末に論議された『令徳』だけだった」と久礼氏は指摘する。

初登場は14代将軍・徳川家茂の「文久」(1861年)で、京都の朝廷は「文久、令徳、明治、建正、万保、永明、大政」の候補を江戸幕府に送り、幕府からの返答で「文久」が内定した。2度目は尊皇攘夷の動きが全国に広がっていた「元治」改元(64年)。朝廷は令徳・元治を候補として示した上で、特に令徳が孝明天皇のお気持ちに沿う、と伝えた。3年前に比べ、政治情勢の変化を背景に、朝廷が幕府に対して強気に出ていることが読み取れる。

■国家理念ではなく永遠の自然との調和うたう

しかし幕府は「令徳は、徳川に命令すると読める」として徹底して嫌った。100年前ならば正面切って反論しただろうが、当時の幕府にそれだけの力はなかった。さまざまなルートで朝廷への政治工作をはかり、結局「元治」に落ち着いた。久礼氏は「朝廷と幕府が対立した過去のエピソードよりも、『令』の持つ意味や読みやすさ・書きやすさに重点を置いた形だ」としている。

新元号「令和」 専門家を驚かせた3つの理由 平成の「先」の時代を考える

 

2019/4/11

京都府教育庁の吉野健一・文化財保護課副主査

「『和』の採用も驚きだった」と吉野氏。「和」は丸く収まる、といった意味だから、これまでに19回使われ(上で使うのは『和銅』のみ)、元号では「永」(29回)「元」(27回)「天」(27回)「治」(21回)「応」(20回)……に続いて6番目に多い漢字だ。中国でも「元」(46回)「永」(34回)「建」(26回)のベスト3に続いて「和」(21回)が多い。しかし吉野氏は「『昭和』で長期間使われていたので、平成の後にすぐ再登用されるとは思い浮かばなかった」としている。

近世で元号の字が重なるケースは、「元治」(1864年)と「明治」(68年)がある。ただ元治は1年1カ月で慶応へ再改元したから、印象は薄い。それ以前は、「寛保」(1741)から「延享」を挟んで「寛延」(48年)、「文化」(1804年)から続けて「文政」(18年)としたケースが目に付くくらいだ。ただ久礼氏は「長く親しまれてきた『和』が戻ってきたというとらえ方もできる」としている。享和、明和、天和、元和……「『和』を後ろに持ってくると、落ち着きのある元号になる」と久礼氏。

■日本の古典からの採用は以前からのアイデア

第3のサプライズで、研究者らが一番驚いたのは、「万葉集から採用されたこと」(久礼氏)。日本の古典から採用される場合は、日本書紀などが有力で、万葉集のような歌集からの引用は難しいとされていたからだ。政府案は国書・漢籍からそれぞれ3候補ずつ挙げたとされる。何が何でも日本の古典から、というわけではなさそうだ。

久礼旦雄・京都産業大准教授

日本の古典からの採用というアイデアは以前から一部で考えられており、1960年代初めの国学者の坂本太郎・東大教授を中心とした「日本書紀研究会」では、聖徳太子の十七条憲法や嵯峨天皇の漢詩などが具体的に挙げられたという。万葉集や古事記を推すメンバーもいたという。

新元号の出典となった「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」は漢文による歌の序文。久礼氏は「書聖・王羲之の代表作『蘭亭序』を基にしており、漢籍を日本の古典に取り入れた」と指摘する。これまで漢籍から採用してた元号の伝統も、新元号の中に引き継ぐ形となった。

久礼氏は「『令和』に国家理念や政治スローガンを感じさせないのも斬新な試みのひとつだ」と指摘する。これまでの元号は国のあるべき姿を、漢字2文字で表象することが求められてきた。「『令和』は、自然との永遠の調和といった意味合いで、具体的な思想や事物は指していない。今後の元号の新しい流れとなるかもしれない」としている。

(松本治人)

 

 


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