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新元号「令和」 専門家を驚かせた3つの理由 平成の「先」の時代を考える

2019-04-14 19:24:17 | 日記

新元号「令和」 専門家を驚かせた3つの理由 平成の「先」の時代を考える

 

2019/4/11

4月1日に発表された新元号「令和」。改元は5月1日

新元号は「令和」(れいわ)に決まった。出典は「万葉集」で「非常に美しい、きれいな元号という最初の印象を持った」という山中伸弥・京大教授(有識者懇談会メンバー)のコメントと同じ感想を持った読者の方も少なくないだろう。一方、初めて「令」の文字を採用するなど、元号史を専門とする研究者を驚かせる新機軸も少なくない。久礼旦雄・京都産業大准教授と京都府教育庁の吉野健一・文化財保護課副主査に聞いた。

■「令」は元号未採用候補に1つだけ

「正直かなり驚かされた」と、吉野氏は新元号が発表された瞬間を振り返る。まず「令」の文字が、これまで日本の元号に使用された「72字」の中になかった。昭和の「昭」、平成の「成」に続いて、元号の文字にニューフェースが加わった。さらに、中国の漢から清までの元号354に使われた148字の中にも入っていないという。「『令』には良い、素晴らしいという意味がある」と吉野氏。

専門の研究者が注目するのは、「令」が過去の改元論議で提案された、元号未採用案の中ですらも、ほとんど見られない点だ。1回の改元時に、学識者らから提案される元号案は、10を超えることも少なくない。その中から1つが選ばれ、あとは有力な元号候補として温存されてきた。江戸時代以降では、こうした未採用案の中から正式な元号に登用されるケースが約8割を占めるという。これまでに約500の元号候補が確認されているものの、「令を使ったケースは、幕末に論議された『令徳』だけだった」と久礼氏は指摘する。

初登場は14代将軍・徳川家茂の「文久」(1861年)で、京都の朝廷は「文久、令徳、明治、建正、万保、永明、大政」の候補を江戸幕府に送り、幕府からの返答で「文久」が内定した。2度目は尊皇攘夷の動きが全国に広がっていた「元治」改元(64年)。朝廷は令徳・元治を候補として示した上で、特に令徳が孝明天皇のお気持ちに沿う、と伝えた。3年前に比べ、政治情勢の変化を背景に、朝廷が幕府に対して強気に出ていることが読み取れる。

■国家理念ではなく永遠の自然との調和うたう

しかし幕府は「令徳は、徳川に命令すると読める」として徹底して嫌った。100年前ならば正面切って反論しただろうが、当時の幕府にそれだけの力はなかった。さまざまなルートで朝廷への政治工作をはかり、結局「元治」に落ち着いた。久礼氏は「朝廷と幕府が対立した過去のエピソードよりも、『令』の持つ意味や読みやすさ・書きやすさに重点を置いた形だ」としている。

新元号「令和」 専門家を驚かせた3つの理由 平成の「先」の時代を考える

 

2019/4/11

京都府教育庁の吉野健一・文化財保護課副主査

「『和』の採用も驚きだった」と吉野氏。「和」は丸く収まる、といった意味だから、これまでに19回使われ(上で使うのは『和銅』のみ)、元号では「永」(29回)「元」(27回)「天」(27回)「治」(21回)「応」(20回)……に続いて6番目に多い漢字だ。中国でも「元」(46回)「永」(34回)「建」(26回)のベスト3に続いて「和」(21回)が多い。しかし吉野氏は「『昭和』で長期間使われていたので、平成の後にすぐ再登用されるとは思い浮かばなかった」としている。

近世で元号の字が重なるケースは、「元治」(1864年)と「明治」(68年)がある。ただ元治は1年1カ月で慶応へ再改元したから、印象は薄い。それ以前は、「寛保」(1741)から「延享」を挟んで「寛延」(48年)、「文化」(1804年)から続けて「文政」(18年)としたケースが目に付くくらいだ。ただ久礼氏は「長く親しまれてきた『和』が戻ってきたというとらえ方もできる」としている。享和、明和、天和、元和……「『和』を後ろに持ってくると、落ち着きのある元号になる」と久礼氏。

■日本の古典からの採用は以前からのアイデア

第3のサプライズで、研究者らが一番驚いたのは、「万葉集から採用されたこと」(久礼氏)。日本の古典から採用される場合は、日本書紀などが有力で、万葉集のような歌集からの引用は難しいとされていたからだ。政府案は国書・漢籍からそれぞれ3候補ずつ挙げたとされる。何が何でも日本の古典から、というわけではなさそうだ。

久礼旦雄・京都産業大准教授

日本の古典からの採用というアイデアは以前から一部で考えられており、1960年代初めの国学者の坂本太郎・東大教授を中心とした「日本書紀研究会」では、聖徳太子の十七条憲法や嵯峨天皇の漢詩などが具体的に挙げられたという。万葉集や古事記を推すメンバーもいたという。

新元号の出典となった「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」は漢文による歌の序文。久礼氏は「書聖・王羲之の代表作『蘭亭序』を基にしており、漢籍を日本の古典に取り入れた」と指摘する。これまで漢籍から採用してた元号の伝統も、新元号の中に引き継ぐ形となった。

久礼氏は「『令和』に国家理念や政治スローガンを感じさせないのも斬新な試みのひとつだ」と指摘する。これまでの元号は国のあるべき姿を、漢字2文字で表象することが求められてきた。「『令和』は、自然との永遠の調和といった意味合いで、具体的な思想や事物は指していない。今後の元号の新しい流れとなるかもしれない」としている。

(松本治人)

 

 

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