もりおか暮らし物語 盛岡ブランド日誌

盛岡ブランドは市民一人ひとりの暮らしの活動から生まる物語です。ひとりの盛岡大好き人間の盛岡自慢の情報日誌です。

結城座短信1

2006-07-23 09:18:29 | 啄木・賢治
 糸あやつり人形芝居「結城座」の歴史は古い。創設が1635年と伝えられているから370年の歴史を誇ることになる。その座の芸のひとつに「写し絵」がある。9代目結城孫三郎の父、両川亭船遊は、当時舶来品だった幻灯機(「風呂」と呼ぶ)を応用した写し絵を考案した。スライド劇と言えばいいのだろうか。だが、このスライドは、手に持って動かす。1台だけではんく、時には数台一緒に。当主・十二代目結城孫三郎は、糸あやつりの人形をあやつるように、絵をあやつると言っている。その写し絵を主体とした芝居「注文の多い料理店」(人形も勿論でる)を盛岡で立ち上げる。
 えっ、盛岡で?宮沢賢治の作品だからだ、・・・勿論、そのとおりだが、もうひとつの理由がある。
 結城座は、戦時中、盛岡に疎開していたのだ。
 江戸時代からずうーと東京が本拠地の結城座にとって、疎開先となる「田舎」はない。巡業先の知り合いが頼りだった。仙台にしようか、盛岡にしようか、選んだ先が盛岡だった。ブランド戦略は「選ばれるまち」になることだ。結城座は盛岡を選んだ。「芸に理解がある」「親切だ」「軍需工場がなく安全そうだ」理由はさまざまだったろう。当主(一糸、後の十代目孫三郎、雪斎)が宮沢賢治に惹かれていたということもあるのだろう。
 一年近い租界であったが、結城座一家にとって、盛岡は忘れがたいまちになった。
 戦後、結城座と盛岡のつきあいは、平成3年に復活した。戦時中、結城座のために尽力した、故盛内政志さん(元岩手県芸術文化協会長、市勢功労者)の縁で、盛岡劇場第一回の鑑賞事業に招聘した。以来、盛岡劇場やプラザおでってで数度にわたる公演を行い、盛岡と結城座の新しい人脈も増えてきている。
 十代目をひきつけて、結局は実現できなかった宮沢賢治の作品の舞台化は、やはり盛岡から始まらなければならなかった。「注文の多い料理店」の発刊の地も盛岡だ。
 公演は、プラザおでって3階おでってホールで。
     7月28日(金)午後6時30分~ 
       29日(土)午後1時30分~        
       30日(日)午後1時30分~
 前売り・予約 大人2500円 小中学校1500円 親子ペア3500円
 当日券    前売りの300円増
 全席自由席・日時指定。
 チケットは、プラザおでってほか市内プレイガイドで取り扱い中。また電話でも 予約受付(019-604-3300)可。
      
      
 


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