糸あやつり人形芝居「結城座」の歴史は古い。創設が1635年と伝えられているから370年の歴史を誇ることになる。その座の芸のひとつに「写し絵」がある。9代目結城孫三郎の父、両川亭船遊は、当時舶来品だった幻灯機(「風呂」と呼ぶ)を応用した写し絵を考案した。スライド劇と言えばいいのだろうか。だが、このスライドは、手に持って動かす。1台だけではんく、時には数台一緒に。当主・十二代目結城孫三郎は、糸あやつりの人形をあやつるように、絵をあやつると言っている。その写し絵を主体とした芝居「注文の多い料理店」(人形も勿論でる)を盛岡で立ち上げる。
えっ、盛岡で?宮沢賢治の作品だからだ、・・・勿論、そのとおりだが、もうひとつの理由がある。
結城座は、戦時中、盛岡に疎開していたのだ。
江戸時代からずうーと東京が本拠地の結城座にとって、疎開先となる「田舎」はない。巡業先の知り合いが頼りだった。仙台にしようか、盛岡にしようか、選んだ先が盛岡だった。ブランド戦略は「選ばれるまち」になることだ。結城座は盛岡を選んだ。「芸に理解がある」「親切だ」「軍需工場がなく安全そうだ」理由はさまざまだったろう。当主(一糸、後の十代目孫三郎、雪斎)が宮沢賢治に惹かれていたということもあるのだろう。
一年近い租界であったが、結城座一家にとって、盛岡は忘れがたいまちになった。
戦後、結城座と盛岡のつきあいは、平成3年に復活した。戦時中、結城座のために尽力した、故盛内政志さん(元岩手県芸術文化協会長、市勢功労者)の縁で、盛岡劇場第一回の鑑賞事業に招聘した。以来、盛岡劇場やプラザおでってで数度にわたる公演を行い、盛岡と結城座の新しい人脈も増えてきている。
十代目をひきつけて、結局は実現できなかった宮沢賢治の作品の舞台化は、やはり盛岡から始まらなければならなかった。「注文の多い料理店」の発刊の地も盛岡だ。
公演は、プラザおでって3階おでってホールで。
7月28日(金)午後6時30分~
29日(土)午後1時30分~
30日(日)午後1時30分~
前売り・予約 大人2500円 小中学校1500円 親子ペア3500円
当日券 前売りの300円増
全席自由席・日時指定。
チケットは、プラザおでってほか市内プレイガイドで取り扱い中。また電話でも 予約受付(019-604-3300)可。
えっ、盛岡で?宮沢賢治の作品だからだ、・・・勿論、そのとおりだが、もうひとつの理由がある。
結城座は、戦時中、盛岡に疎開していたのだ。
江戸時代からずうーと東京が本拠地の結城座にとって、疎開先となる「田舎」はない。巡業先の知り合いが頼りだった。仙台にしようか、盛岡にしようか、選んだ先が盛岡だった。ブランド戦略は「選ばれるまち」になることだ。結城座は盛岡を選んだ。「芸に理解がある」「親切だ」「軍需工場がなく安全そうだ」理由はさまざまだったろう。当主(一糸、後の十代目孫三郎、雪斎)が宮沢賢治に惹かれていたということもあるのだろう。
一年近い租界であったが、結城座一家にとって、盛岡は忘れがたいまちになった。
戦後、結城座と盛岡のつきあいは、平成3年に復活した。戦時中、結城座のために尽力した、故盛内政志さん(元岩手県芸術文化協会長、市勢功労者)の縁で、盛岡劇場第一回の鑑賞事業に招聘した。以来、盛岡劇場やプラザおでってで数度にわたる公演を行い、盛岡と結城座の新しい人脈も増えてきている。
十代目をひきつけて、結局は実現できなかった宮沢賢治の作品の舞台化は、やはり盛岡から始まらなければならなかった。「注文の多い料理店」の発刊の地も盛岡だ。
公演は、プラザおでって3階おでってホールで。
7月28日(金)午後6時30分~
29日(土)午後1時30分~
30日(日)午後1時30分~
前売り・予約 大人2500円 小中学校1500円 親子ペア3500円
当日券 前売りの300円増
全席自由席・日時指定。
チケットは、プラザおでってほか市内プレイガイドで取り扱い中。また電話でも 予約受付(019-604-3300)可。