もりおか暮らし物語 盛岡ブランド日誌

盛岡ブランドは市民一人ひとりの暮らしの活動から生まる物語です。ひとりの盛岡大好き人間の盛岡自慢の情報日誌です。

盛岡ブランドフォーラム

2007-01-26 07:04:46 | その他
 ブランド宣言から1年、1月28日に1周年を記念してブランドフォーラムが開催される。午後1時から盛岡市中の橋そばの「プラザおでって」3階のホール。あわせて、隣の大会議室では午前11時から盛岡特産品ブランドフェアが行われ、多くの特産品ブランドが紹介・販売される。
 フォーラムの目玉は3つ。
 ひとつは、ブランド発信の市民活動をしている団体のリーダーによるブランドセッション。「もりおか暮らし物語」について語り合う。
 二つ目は、特産品ブランドの紹介と大抽選会。認証されているブランド商品づくりに励む方々と司会の畑中美耶子さんの軽快なトークが楽しみ。およそ150点という多くの認証商品が抽選であたる。ほとんど全員があたる。
 三つ目は、田口友善さんの「ブランドソングメドレー」新曲披露もありそうだ。

 そして番外は、1月27日発行の「盛岡ノート」(立原道造)の朗読(抜粋)。刊行委員会代表の池田克典さん(市助役)が自ら行う。

 フォーラムは午後4時まで。入場無料。

自転車のまち盛岡

2006-10-19 07:02:19 | その他
 我が家には家族人口を上回る自転車がある。6人世帯で3世代が同居し、それぞれのライフスタイルに合わせて自転車を使っているが、サイクリング用と通勤用などと用途別のものも欲しくなると、人口を上回る自転車が存在するようになる。
 盛岡の街は、市役所から半径4キロメートルにほとんどの街の機能が集約し急坂もない。路面が凍結する冬以外は、自転車が活躍しやすい街だ。商店街の放置自転車、無法駐輪が話題になるのも、自転車が便利だからだ。
 しかし、本格的な自転車の街と言えないのは何故だろう。観光客用のレンタサイクルも不調だという。昨日、友人から学生たちが自転車の街になるための方策を研究中という話を聞いた。道路が狭い、車が多すぎる、駐輪帯がない、自転車専用レーンがない、通年の自転車活用ができない、などといくつかの理由が考えられるがこれが原因だという決め手もない。
 大通りで駐車帯を駐輪帯に活用するという動きもある。快適自転車環境への第1歩だ。自転車の多い我が家も自転車のことを真剣に考えてみよう。
 

風の又三郎

2006-10-12 07:58:47 | その他
10月の連休は、風雨が強く、啄木・賢治をテーマにした岩手芸術祭開幕フェスティバル(7日)で、スタッフの一人が「風の又三郎がやってきた」とつぶやいた。
同日の岩手公園100周年フォーラムも荒天のため参加者は少なかった。
 9日は一転の晴れ、小岩井農場の「めぐみフェア」も無事開催され、大勢の参加者で賑わった。岩手山にはうっすらと初冠雪。
 この日は、晴天に誘われて、トレッキングに出かけた。はじめ、奥産道から三つ石山か、網張から犬倉方面を歩こう、という計画だったが、雲の流れが速く、網張り近辺は雲も多かったので、鞍掛山に変更した。1年に2度はこの山に登る。1時間15分ほどで登りきる山なので、シーズンのはじめとシーズンのおわりにと決めてある。前日までの雨の影響は少なく、登山道は快適だった。登山客も老若男女、少なくない。ここがはじめてという初老の夫婦2組と会った。県外の客だ。連休を利用していろいろな山を登っているとのこと。
 頂上からの帰りは、あまり利用しない裏の道を歩いた。一気に急坂を下りると、あとはだらだらの下りとなる。どんぐりが、沢山おちている。広葉樹林の紅葉はまだだが、いかにも熊が出そうな道だ。
 歩いていると突然、どーどーザーザー、と水の流れ?と思えるような音が聞こえてきた。なんだろうと思って耳を澄まし、あたりを見渡すと、それは風の音だった。森の中は風を遮っているが、確かに山の頂上は風が強かった。森の木のてっぺんが風に揺られて沢山の音を出している。そうか、これが「宮沢賢治の原風景か」と納得した。鞍掛山も岩手山も小岩井農場も、そして盛岡城跡公園(岩手公園)も賢治の世界の原風景だ。盛岡や盛岡周辺には、沢山の魅力がある。しかし、私たちは、その魅力に対し、おうおうにして鈍感である。時々、敏感でありたいと思う。
 

結城座短信2「盛岡暮らし」

2006-07-26 21:41:32 | その他
 結城座の写し絵公演「注文の多い料理店」の本番(28日~30日)が近い。
22日から盛岡に滞在している役者たちの稽古にも熱が入る。26日は記者向けの公開練習が行われた。公開には盛岡市長も見えて激励した。記者に取材してみた。「面白かった」という感想のほかに、エキゾチックだったという声もあった。写し絵と糸あやつりの人形のジョイントを見るのは初めて、というのは当たり前だ。結城座にとっても写し絵主体の本格的な公演は初めてだ。
 さて、スタッフたちは、稽古が終わると、それぞれが「盛岡探し」に出かける。
初日が冷麺、2日目がじゃじゃ麺。ホールのスタッフらに「どこが旨いかと尋ねる」「○△庵のそばがいい」「ホヤも美味しいよ」「三陸の牡蠣も」・・・。「ぶちょうほ饅頭」の差し入れや、演出家自らが「おだんご」を買ってきてふるまう。1週間も滞在すると、なんとなく盛岡のことがわかる。
 冷麺をヒットさせたキーワードに舞台スタッフもいる、と言う説を紹介したら、納得された。昔も今も、コンサートの芝居の公演があると、舞台スタッフは朝早く劇場に入り、深夜のバラシが終わるまで劇場にいる。劇場を出て、何か食べようとすると、かつての盛岡で開いている店は寿司屋か焼く肉屋がせいぜいだった。
 お腹が空くスタッフは、焼く肉屋でビールと焼肉というコースに向かう。すると不思議な光景を眼にする。肉も食わず「麺」だけを食べている客がいるのだ。おそるおそる地元の協力者に聞く。「冷麺です。盛岡では飲んだ後、ラーメンではなく冷麺というコースが少なくないんです」という声が返ってくる。おそるおそる「冷麺」を食べてみると、これは東京の冷麺とは大きく異なる。意外にいける。翌日も公演があったり、出発が遅かったりすると、他のスタッフや出演者たちに教える。タレントや役者たちは、語るのが商売だからテレビ・ラジオや雑誌に盛岡の冷麺のことを伝える。最初、盛岡の平壌冷麺が、盛岡の冷麺になり、今は盛岡冷麺が固有名詞となっている。
 結城座のスタッフは、新しい盛岡名物に出会うことができるだろうか。

遠くからみる盛岡

2006-07-19 13:04:41 | その他
 6月下旬からの出張の連続が一段落した。やっとブログの世界にカムバックできそうだ。
 長期にわたって盛岡を離れていると、懐かしさで盛岡好きを再認識できるだろうかと思っていたが、意外に冷静に盛岡を見つめることが出来た。
 いい点は、圧倒的に「水と空気」の美味しさだろうか。盛岡駅を降りたときに、すーと胸に染み込む盛岡の空気は格別だ。
 物足らないと思うのは、自然や都市景観ではなく、盛岡人の奥ゆかしさというか消極性だろうか。他県、とりわけ東京から関西にかけての方と多く接したが、発想力と行動力は見習う必要がありそうだ。「やらない理屈付け」をするより「どうすれば面白くなるか」というベクトルにシフトすることも必要なようだ。
 では、他県の方からみる盛岡はどうだろうか。
 名古屋で、4日間、東北南部から四国の方まで20数人一緒に過ごした。何人かの人に盛岡の印象を聞いてみた。行った事のある人は「落ち着いたきれいな町、でも元気がない感じ」。行ったことのない人は「全くイメージがわかない町、でも盛岡冷麺とわんこそばは聞いたことがある」まだまだ、盛岡の宣伝は足りないようだ。

ふるさとの訛りなつかし・・・

2006-07-09 09:19:51 | その他
 盛岡デー・イン東京の演劇公演は、予想以上の来場者数で賑わっている。会場は、新宿区神楽坂の岩戸町。100人定員のホールだが、少々舞台を広げているので90人くらいが適正規模。4回ステージで280人くらいを目標としているが、これまで3回のステージが終わって250人の観客が訪れている。
 今回の公演は、啄木にちなむ作品が2本。東京の盛岡人も、東京人、関西人もみた。70年代の演劇界のスター、女優の新井純さんも見えた。感想を聞いてみた。「言葉はわかりましたか」「もちろんです。盛岡の言葉って、やさしいのね」。神戸から来たホール関係者にも聞いた。「ニュアンスはわかりました」とのこと。単語はわからないところはあるが、意味は伝わったということだろう。通りすがりの近所の方も観劇した。帰り際「とてもよかった」と受付ににっこり笑って去っていった。芝居を見にきた在京の盛岡人はどうだったんだろう。ある人は、盛岡弁が出てきたとたん涙が出てきたという。
 「ふるさとの訛りなつかし神楽坂
  芝居の中に
  そを聴きにいく」
 さて、劇場から歩いて3分ほどのところに「相馬屋」という文房具店がある。啄木はここの原稿用紙を使っていた。最後の棲家、小石川とも遠くない。相馬屋にはいまだに当時をイメージする原稿用紙がある。ここに啄木も立ち寄ったのか、と思うと感慨深い。100枚で525円。勿論、購入した。
 

もりおか歴史散歩

2006-05-05 08:27:24 | その他
 ふっと、肴町の本屋に立ち寄った。郷土本コーナーに「もりおか歴史散歩」(平成18年4月20日、東北堂)という新刊が積んであった。どこかで見たような書名である。平成元年5月に岩手日報社から発行された「もりおか思い出散歩」(盛内政志著)を思い出した。早速、購入し家で読み比べた。
 「思い出散歩」は岩手日報の紙上で昭和54年から63年まで「もりおか今昔」として連載されたもので、盛岡市制100周年記念として発行された。盛内氏は「あとがき」の中でこう述べている。「私は学者でなく、一介の民間人であるから、正史については、ほとんど知るところがない。従って、私の書くものには偉い人物や、立派な建物はあまり登場しない。庶民が親しんだ横丁やお地蔵さんの話、私たちの目を楽しませてくれた風景などが主である。その意味で、これは、私の”歴史散歩”といえるかもしれない」
 「歴史散歩」は、東北堂発行のミニコミ紙「アップル」の創刊号(平成14年10月)以来「MORIOKA歴史散歩」として42回連載されたもので、読者からの反響が大きく出版することとなったものだ。編集を担当された細矢定雄氏は「あとがき」の中で、「MORIKA散歩を執筆しながら、盛岡には歴史風土の薫り高い文化遺産がとても多いことを知らされました。住みやすさで一位(※時事通信全国調査で盛岡市は全国の政令指定都市と都道府県庁所在都市の中で、16・17年度2年連続住みやすさ総合第1位)になった背景には、経済的な暮らしやすさの他に、盛岡ならではの文化的魅力が多いのだと思います」
 「思い出散歩」は105項目、「歴史散歩」は35項目にわたって記述されている。歴史散歩の方が少ないように見えるが、こちらは1項目におよそ3つの内容が含まれているので、ボリュームはほぼ同じだ。しかし、内容があまり重複しないのには驚いた。思い出散歩と歴史散歩の重複項目はわずか8項目なのである。「アップル」の連載が続けば重複項目は増えるに違いないが、なんと「盛岡の魅力的な物語」は多いことだろう。
 盛岡ブランドの「もりおか暮らし物語」が実感できる2冊だ。
 「歴史散歩」は定価700円で求めやすい価格だ。発刊されたばかりなので書店で手に入る。
 「思い出散歩」は定価1300円。発行元の岩手日報社にあるのだろうか。それとも古本屋がいいのか。

盛岡城ガイドツアー(岩手公園の秘密)

2006-05-04 07:23:11 | その他
 岩手公園開園100年記念のガイドツアー。岩手公園の秘密を教えましょう、と文化地層研究会が企画し、盛岡市が共催した。文化地層研のメンバーや市職員の有志がガイドを担当。150人の市民が集まった。天気がよかったとはいえ、すごい。
 さて、荒れていた盛岡城跡を整備し、岩手公園として開園したのが明治39年9月15日。日露戦争戦勝記念と記録にあるが、藩政時代の盛岡城の城主・南部家の若き当主南部利祥公が24歳の若さで日露戦争で戦死している。公園化には旧藩士・原敬も尽力している。鎮魂の意味も感じる。
 ツアーに参加して思った。なぜ、岩手公園という名前だったのだろうか。朝敵という汚名を着せられ、盛岡城公園という名前にするのをはばかったのか。今年、開園100年にあたり、岩手公園という名前の変更について協議が始まるという。市民も「盛岡城」という名前をなにかしらの形で復活することを望む声が多いという。100年という歴史は長い。しかし、市民のこの城跡に対する思いは深い。
 台座だけとなっている利祥公の銅像、二の丸からかすかに望める岩手山を見て当時の市民のことを思った。
 そういえば、生誕120年を迎えた啄木は公園の完成をみることなく、明治39年、盛岡を去り、生誕110年の賢治は、岩手公園で美しい盛岡の街を堪能し、青春を謳歌した。

ひさしぶりに

2006-02-12 09:05:04 | その他
 このところ忙しくて、ブログの更新を怠っていました。
 昨夜、某有名作家やアナウンサーとご一緒になり、言葉と出身地の話で盛り上がりました。言葉とは方言のことです。私は、父が転勤族だったこともあり、中学生まで県内4箇所を転々としました。やはり、最初にとまどうのが言葉です。仲良くなるためとはいえ、当地の言葉を無理に使うことに抵抗がありました。
 盛岡言葉はきれいです。市民がだれかれとなく、自由に盛岡言葉を使えれば素晴らしいと思います。そうした学会やサークルもあり、盛岡言葉の継承はすすんでいます。しかし、転勤族や盛岡に職を得た県外出身者が、自然に盛岡言葉に親しむにはどうしたらいいのでしょうか。関西出身者は鼻濁音の発音が苦手ですので、無理に盛岡言葉を使おうとするとかなり大変です。今の、若い世代、特に子どものアクセントもあやしくなっています。無理強いではなく、自然に盛岡言葉に親しむ方策はないものでしょうか。
 昨夜、家に電話があったそうです。トロリン村で雪明りがありましたとのこと。家の者が見に行ってきました。とても、幻想的できれいだったそうです。
「え?トロリン村って?」
高松一丁目の町内会活動で作った、高松貯水池の南斜面を活用した広場です。
頑張っている町内会です。
 自分の家の周りだけでもやってみようか、と思いました。幸い、雪はたっぷりです。

雪あかりの作りかた

2006-02-03 07:59:48 | その他
 雪あかりは家庭でも町内でも簡単につくれます。
バケツに雪を入れて(雪に少し水を入れて固まりやすいように)、小さな鉢か太い缶詰缶を雪の中に入れます。そして、そのままひっくりかえすと雪あかりスタンド(小さな雪のかまくら)ができます。その中に、紙コップに入れたロウソクをいれると完成です。