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もりおか暮らし物語 盛岡ブランド日誌

盛岡ブランドは市民一人ひとりの暮らしの活動から生まる物語です。ひとりの盛岡大好き人間の盛岡自慢の情報日誌です。

泣き虫なまいき石川啄木

2006-10-29 09:05:55 | 啄木・賢治
 啄木生誕120年を記念した「おでってリージョナル劇場」第6回公演は、「泣き虫なまいき石川啄木」(井上ひさし作、藤原正教演出)はいよいよ今日が最終日。昨夜は遠くから二人のお客様が見えた。盛岡出身の俳優の立花さん(俳優座)と函館文学館館長の大島さん。
 立花さんは、俳優座のベテラン俳優。泣き虫の出演者・畑中美耶子さんは盛岡一高演劇部の仲間だ。おなじ仲間の阿部正樹さん(IBC)と一緒に観劇された。
 大島さんは、4館合同展をみるため来盛。啄木記念館の山本学芸員と一緒だった。東京暮らしが長かった立花さんにとって、久しぶりの盛岡弁は最初はとまどったが、次第に懐かしさが深まったという。役者の力量は高いと言っていた。
 今日の公演は午後1時30分開演。当日券は大人2300円。
 

啄木生誕120年のイベント

2006-10-26 07:00:17 | 啄木・賢治
 今年は、盛岡と玉山の合併、そして啄木生誕120年ということもあり、盛岡では随分と啄木関連のイベントが続いている。
 毎年渋民で行われているイベントでは、啄木祭(生誕祭・短歌大会・俳句大会)、啄木カルタ大会などがあるが、今年、合併と生誕記念で加わったものに「全国高校生短歌大会」(8月)があり、啄木関係4施設合同生誕記念展「ザ・啄木」がある。
 うち、ザ・啄木は、11月5日まで開催中。石川啄木記念館、啄木賢治青春館、盛岡てがみ館、先人記念館の4館がそれぞれテーマをもって取り組んでいる。このなかで4館の学芸員が共同でつくった図録がなかなかいい。ちょっと字が細かいのが難点だが、4館の展示を見なくともわかる(見たほうがもっとわかる)ので、企画展終了後も活用できる。
 それともうひとつ。おでってリージョナル劇場で井上ひさし作の「なき虫なまいき石川啄木」が10月28日、29日の両日、プラザおでってホールで上演される。盛岡のトップクラスの俳優たちが出演する。7月で東京でも上演され満席の盛況だった。
 28日が午後6時30分から、29日は午後1時30分からの上演。
 入場料は、前売り2000円、当日2300円。
今回が3回目の公演となるが、出演者は、前回の畑中美耶子、伊勢二朗、大森健一、千葉伴、永井志穂に加え、今回は節子役で島川加代が出演する。啄木関係の芝居はとかく暗いといわれるが、この芝居は笑えて泣けて面白い。

啄木と音楽

2006-09-30 23:46:08 | 啄木・賢治
 本日、啄木賢治青春館で啄木の「美しき思ひ出」コンサートが行われた。啄木賢治生誕記念で県市内でさまざまなイベントが繰り広げられているが、音楽ものは圧倒的に「賢治」が中心だ。
 賢治童話の「セロ弾きのゴーシュ」や有名な「星めぐりの歌」などの影響があるのだろう。私もしばらくは音楽は賢治、啄木は貧乏だったから音楽に縁はない、と思い込んでいた。ところが啄木と音楽の関係は意外に深い。啄木新婚の家には啄木夫人の節子さん愛用の琴があり、啄木記念館には渋民高等小学校代用教員時代に使ったといわれるリードオルガンと啄木一家が間借りしていた斎藤家から寄贈を受けたバイオリンがある。どの程度、啄木が音楽に親しんでいたか、判然とはしないが、「美しき思ひ出」は、実は明治40年3月20日の啄木日記にある。
 この日は渋民高等小学校の学年末最後の授業日で、卒業生の送別会が行われた。その中で、啄木は自作の「別れ」の歌を女生徒5人に合唱させ、堀田姉(教師)がオルガン、自分はバイオリンで伴奏したとある。別れの歌は荒城の月のメロディーにあわせたという。
 また、当時の岩手日報にワグナーのことも連載している。新婚時代は、節子のものだろうか、バイオリンが側にあったという。啄木は音楽にも深い興味をもっていた。
 さて、青春館のコンサートだが、まずリードオルガンで「校友歌」と「初恋」などが演奏され、バイオリンでそれらの曲も含めて数曲演奏された。オルガンは生誕110年ぶりの演奏。バイオリンも実はそうなのだが、今回、本格的な修理を施していい音を響かせた。修理は、松本弦楽器工房さん。盛岡唯一の弦楽器製作職人である。琴は演奏されなかったが、陳列されていた。啄木ゆかりの3つの楽器が揃ったのは初めてのことだ。
 演奏会は、10月7日、14日の土曜日午後2時からも行われる。
入場料は大人300円。演奏会の入場料ではなく、開催中の啄木120年展の入場料である。

ザ・啄木展その2

2006-09-03 07:14:02 | 啄木・賢治
 啄木展は、3箇所足を運んだ。もりおか啄木賢治青春館、てがみ館、啄木記念館の順に回った。先人記念館は後日伺う予定だ。
 啄木のことをまとめて知る機会はそう多くない。啄木記念館にいけばあらかたはわかるし、青春館の常設展でも基礎知識をなぞることはできる。しかし、今回は4館の特別企画展で行うということで、啄木をじっくりと見ることができる。
 予想外によかったのが、てがみ館だ。いつもの展示は、細かい字と背景の説明が少ない展示が多く、ちょっと敬遠していたが、今回はビジュアル的な見応えもあるし、説明もわかりやすい。
 啄木記念館の展示も意外だった。専門性の高い施設だが、今回のターゲットはやはり研究者よりも、一般観客に置いている。「啄木をめぐる女性たち」というテーマを、わかりやすく紹介している。啄木を巡る女性たちの肖像が大きく引き伸ばされ、啄木と女性たちの交遊が説明文と写真でわかりやすく展示されている。
 青春館は、啄木の声の再現や、せんべいを焼く匂いが漂うなど、文学展にしては大胆な構成になっている。誰も気がつかない様子だが、舟越保武氏の啄木像とガス燈の佇まいが、明治の盛岡のハイカラさを醸し出していた。
 入場券は、4館共通券を買うのがいいだろう。各館の受付で800円で販売している。

ザ・啄木展、24日から

2006-08-24 07:34:36 | 啄木・賢治
 全国高校生短歌大会(短歌甲子園)が18日から20日まで開催され、盛岡第三高校が初の王者に輝いた。次の時代の啄木がここから誕生し、日本の短歌界に新しい息吹を吹き込んでもらいたいものだ。
 さて、今日からザ・啄木展がはじまる。
 詳細は、http://www.city.morioka.iwate.jp/dtl/webevents.nsf/($all)/57FBEE93A380F3D8492571C5001CC1BA?OpenDocument

この啄木展は生誕120年を記念したもので、啄木記念館、啄木賢治青春館、先人記念館、てがみ館の4館が合同で企画した。
 青春館では、明治の盛岡が再現され、啄木の声も再現されるという。楽しみだ。

結城座短信4

2006-07-31 07:39:19 | 啄木・賢治
 3日間の公演が無事終了。当日券の客の伸びで、最後の2日間は満員だった。
 東京から、Y新聞の編集委員も取材で訪れた。公演終了後、結城座の当主、演出家や盛岡の演劇関係者数名で懇親会を開いた。冷麺やじゃじゃ麺から離れて、海の幸をとのリクエストで、三陸のウニ、ホヤ、カキを食べた。盛岡は海の幸も美味しいことが実感できた。
 たびたび盛岡を訪れている演出家は、秋の盛岡城の美しさを誇らしげに説明した。今日は、早池峰神楽、明日は盛岡さんさの初体験だ。

結城座短信3

2006-07-30 10:21:30 | 啄木・賢治
 初日、2日目と客足が伸びてきた。パブリシティ効果のせいだろうか。岩手日報で公開稽古の様子が1面カラーに掲載され弾みがついた。IBCニュースエコー、読売新聞、盛岡タイムスでも紹介された。この機に、声がけすると手売りが伸び、チケットを預かっている団体も見に来る。
 しかし、子どもの反応がいい。就学前のお子さんだろうか、舞台の流れに応じて、声をあげて反応する。大人たちは、人形の細かな動きと写し絵の幻想世界に酔う。小学校5年生の子どもが「注文の多い料理店を読んだことがあるが、舞台で見ると別の感じをもった」というアンケートも寄せられた。舞台は観客もまた創造者であるとも感じた。
 昨日は、アフタートークも行われた。客からの質問では「人形のこと」「宮沢賢治のこと」「絵のこと」などが寄せられた。
 

啄木好きと賢治好き

2006-07-28 06:50:03 | 啄木・賢治
 啄木さんも賢治さんも盛岡が大切にしなければならない先人だ。啄木賢治青春館があるように、盛岡ではなんでもないように啄木賢治を語るが、旧玉山では圧倒的に啄木だし、花巻は賢治一色だ。
 昨日、ある研究会(啄木賢治とは関係ない)の終了後の懇親会で、盛岡の人は賢治が好きなのよね、と言われた。言葉に詰まった。作品には惹かれ、影響を受けているが、人物をまるごと好きかといわれると躊躇する。すると、先日、シアターイワトで「泣き虫なまいき石川啄木」を観劇した人が「私は啄木が好き」と言った。芝居が面白かった、そして優しい盛岡言葉がよかった、と言う。
 嬉しかった。
 私も、若くして没した啄木のことを思うと切なく思う。賢治だって若くして没した。「私たちは馬齢を重ねている」と誰かが言い、「いやいやこれからですよ」と誰かが応えた。
 しかし、盛岡の人がいるということで、啄木も賢治も話題にのぼる。ありがたいことだ。

結城座短信1

2006-07-23 09:18:29 | 啄木・賢治
 糸あやつり人形芝居「結城座」の歴史は古い。創設が1635年と伝えられているから370年の歴史を誇ることになる。その座の芸のひとつに「写し絵」がある。9代目結城孫三郎の父、両川亭船遊は、当時舶来品だった幻灯機(「風呂」と呼ぶ)を応用した写し絵を考案した。スライド劇と言えばいいのだろうか。だが、このスライドは、手に持って動かす。1台だけではんく、時には数台一緒に。当主・十二代目結城孫三郎は、糸あやつりの人形をあやつるように、絵をあやつると言っている。その写し絵を主体とした芝居「注文の多い料理店」(人形も勿論でる)を盛岡で立ち上げる。
 えっ、盛岡で?宮沢賢治の作品だからだ、・・・勿論、そのとおりだが、もうひとつの理由がある。
 結城座は、戦時中、盛岡に疎開していたのだ。
 江戸時代からずうーと東京が本拠地の結城座にとって、疎開先となる「田舎」はない。巡業先の知り合いが頼りだった。仙台にしようか、盛岡にしようか、選んだ先が盛岡だった。ブランド戦略は「選ばれるまち」になることだ。結城座は盛岡を選んだ。「芸に理解がある」「親切だ」「軍需工場がなく安全そうだ」理由はさまざまだったろう。当主(一糸、後の十代目孫三郎、雪斎)が宮沢賢治に惹かれていたということもあるのだろう。
 一年近い租界であったが、結城座一家にとって、盛岡は忘れがたいまちになった。
 戦後、結城座と盛岡のつきあいは、平成3年に復活した。戦時中、結城座のために尽力した、故盛内政志さん(元岩手県芸術文化協会長、市勢功労者)の縁で、盛岡劇場第一回の鑑賞事業に招聘した。以来、盛岡劇場やプラザおでってで数度にわたる公演を行い、盛岡と結城座の新しい人脈も増えてきている。
 十代目をひきつけて、結局は実現できなかった宮沢賢治の作品の舞台化は、やはり盛岡から始まらなければならなかった。「注文の多い料理店」の発刊の地も盛岡だ。
 公演は、プラザおでって3階おでってホールで。
     7月28日(金)午後6時30分~ 
       29日(土)午後1時30分~        
       30日(日)午後1時30分~
 前売り・予約 大人2500円 小中学校1500円 親子ペア3500円
 当日券    前売りの300円増
 全席自由席・日時指定。
 チケットは、プラザおでってほか市内プレイガイドで取り扱い中。また電話でも 予約受付(019-604-3300)可。
      
      
 

相馬屋の原稿用紙

2006-07-22 15:14:41 | 啄木・賢治
 前にも、神楽坂の相馬屋の原稿用紙のことは少しふれたが、ここではもう少しし詳しく紹介しよう。
 私が、神楽坂を訪ねたのは7月の6日から9日まで。週末の神楽坂は終日、阿波踊りのお囃子が流れていた。(誰かが、神楽坂の住民に普及させ、今や、神楽坂夏の風物詩になっているらしい)
 さて、相馬屋の場所だが、神楽坂と岩戸町を結ぶ交差点近くにある。外見は普通の文房具店だ。啄木日記に相馬屋のことが書いてある。千九百十二年日記1月30日である。この年明治45年4月13日に啄木はなくなるので、余命はあと70日あまりだ。前日29日に朝日新聞社から見舞金や新年の肴料があわせて37円あまりが届けられていた。節子夫人は質屋から着物を出した。
 30日の日記にはこう記している「夕食が済んでから・・・・くるまにのって神楽坂の相馬屋まで原稿紙を買ひに出かけた。・・・・本、紙、帳面、車代すべてでちょうど4円50銭だけつかった。いつも金がない日を送ってゐる者がタマに金を得て、なるべく使ふまいとする心、それからまたそれを裏切る心、私はかなしかった。」
 その時、買った原稿用紙は使われたのだろうか。日記の最後は2月20日だった。
 なお、相馬屋の原稿用紙は啄木以外にも夏目漱石、北原白秋ら多くの文人に活用された。セピア、グリーン、アカの3種類がある。