梅澤恵美子の久々の新作は、県犬養三千代、光明子という
藤原の女性を通して奈良時代の真相に迫っています。
文武天皇の乳母として後宮に大きな影響力持っていた県犬養三千代は、
最初美努王に嫁するものの、694年に美努王が大宰帥として筑紫に赴任した後、
美努王を捨てて不比等の室となり、藤原氏の覇権の確立を援けたので、
うだつの上がらない夫を捨て、政界のキレ者と再婚し、
娘を天皇の嫁にしたりして、夫と伴に権力を牛耳った野心家といった
イメージが一般的ではないでしょうか?
また娘である光明子も、ゴリ押しで聖武天皇の夫人になって、
頼りない夫である聖武天皇を巧く操り、
藤原の権力拡大に努めた藤原一族の象徴のような
女傑といった印象ではないでしょうか?
しかし、彼女等は本当に藤原氏の横暴の一角を担っていたのでしょうか?
法隆寺に安置され国宝となっている「橘夫人厨子」は、
県犬養三千代の念持仏であったと伝えられていますし、
光明子も東大寺、国分寺の設立を夫に進言したり、
貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、
医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行っており、
仏教に篤く帰依し、善行を積んでいます。
これらが長屋王を始めとする藤原氏が蹴落とした政敵からの
祟りへの恐れからの行動なのではなく、
藤原一族に取り込まれながらも、
藤原だけのための政治のやり方に反発した
心優しき悲劇の女性である県犬養三千代も光明子の
贖罪の気持ちの表れだと論じています。
奈良時代の見方が変わる、面白い一冊でした
藤原の女性を通して奈良時代の真相に迫っています。
文武天皇の乳母として後宮に大きな影響力持っていた県犬養三千代は、
最初美努王に嫁するものの、694年に美努王が大宰帥として筑紫に赴任した後、
美努王を捨てて不比等の室となり、藤原氏の覇権の確立を援けたので、
うだつの上がらない夫を捨て、政界のキレ者と再婚し、
娘を天皇の嫁にしたりして、夫と伴に権力を牛耳った野心家といった
イメージが一般的ではないでしょうか?
また娘である光明子も、ゴリ押しで聖武天皇の夫人になって、
頼りない夫である聖武天皇を巧く操り、
藤原の権力拡大に努めた藤原一族の象徴のような
女傑といった印象ではないでしょうか?
しかし、彼女等は本当に藤原氏の横暴の一角を担っていたのでしょうか?
法隆寺に安置され国宝となっている「橘夫人厨子」は、
県犬養三千代の念持仏であったと伝えられていますし、
光明子も東大寺、国分寺の設立を夫に進言したり、
貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、
医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行っており、
仏教に篤く帰依し、善行を積んでいます。
これらが長屋王を始めとする藤原氏が蹴落とした政敵からの
祟りへの恐れからの行動なのではなく、
藤原一族に取り込まれながらも、
藤原だけのための政治のやり方に反発した
心優しき悲劇の女性である県犬養三千代も光明子の
贖罪の気持ちの表れだと論じています。
奈良時代の見方が変わる、面白い一冊でした
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