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紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

vitamin water

2011年10月30日 16時45分46秒 | 日常
よくスーパーや薬局で売っているとっても色が鮮やかな(ある意味グロ)
結構お値段がはる飲み物。
ぜったーーい飲まないし、飲む人っているの?
なんて思っていたら
会社の女の子が「これってすっごく美味しいですよ
私全種類飲みましたが、アサイ&ブルーベリー&ザクロが一番美味しいです
と、会議中見てみると本当に美味しそうに飲んでいるではないか
しかもまだ私のお茶500mlは残っているのに、彼女は早々に飲み干していた

美味しいのかも

早速購入











まったく美味しくなかった




お水にうすーーーくざくろの味です

とても悲しいこと

2009年11月17日 22時51分36秒 | 日常
とても悲しいことが起こりました。
実は義兄のお母様に大腸がんが見つかりました。
すでに肝臓に転移し、大腸は手術ができたものの、肝臓にできた癌は数が多く、とても大きい腫瘍もあり、肝臓は2割しか機能していない状態。現在は抗がん剤を打って肝臓の腫瘍が小さくなれば手術ができるかも(?)という状態です。

ことの始まりは、以前から悪かった足の手術をするに当たり、検査をしたところ、肝臓に何かが見つかり(1ヶ月ほど前の話)そのときは何でも無いと思っていたのですが、本人は自分の父親が肝臓がんで亡くなったので心配だっと私の母に言っていました。
それが的中し、肝臓がんが見つかり、それが転移性のものと判り、全身検査の結果、大腸がんが見つかりました。
以前から便の出が悪いっと言う話は聞いていましたがいつものことと、検査を受けずにいたそうです。

余命が11ヶ月と宣告されたそうです。

甥と姪は今年受験生ということもあり、そのことは隠しています。
母にも義兄のお母様は母と同じ年、そして同じ時期に夫を癌で闘病し、亡くなりました。義兄のお父様は今年の5月に亡くなったばかりです。
母には19日に目の検査のため、大学病院に行った後、真実を言うつもりでいるそうですが、本当にショックです。

早期発見って難しいのでしょうか??

母と一緒にラスベガス旅行

2009年10月27日 23時16分15秒 | 日常
久方ぶりの更新です。
このシルバーウィークに母と一緒にラスベガスに行ってきました
いつもブルーな母。少しでも元気になるようにっと思って、いきなり
ラスベガスです(笑
母のパスポートは特に旅行の予定はありませんでしたが、もしものためにっと
お父さんがいろいろ手配をして取得しました。
少しでもお父さんの努力が身になればっとも思ったこともあります。
1周期も無事に終えたしね。

まったく珍道中でしたが、どうでしょう??楽しかったでしょうか?
お父さんはどう思っていたのでしょうね

母が眼底出血で入院

2009年07月12日 22時40分08秒 | 日常
更新していない間に母がまたも眼底出血で手術をしました。ただいま入院中。
本当に我が家はいろいろあります。
5年のうちに右目1回、左目3回、の手術です。
6月28日に義兄のお父様の49日に行った帰り、右目に血の塊が見える・・っと
言っていたそうで、その後、失明・・。休日診療で以前手術をした病院にいきました。もちろん、担当医は眼科の先生ではなく、応急処置(っと言っても話をしただけのようです)をして月曜日に来院することになりました
結果は眼底出血。もしかすると網膜はく離で目が見えないのかも?とのことで、急遽手術をすることになりました。
予定していた入院予定より早めに入院することになり、7月8日に手術。
結果は網膜はく離はないものの、眼底出血はあり、出血部分は洗ったそうですが、どこから出血しているか、なぜ出血したのかわからないそうです。
わからない?傷のないところから出血なんてしないでしょ?
っとおもうのですが、『おいおい』調べていきましょうということになったそうです。本当に大丈夫なんでしょうか?

母はこれはお父さんの仕業だっといいます。

今入院している病院は結構有名な病院ですが、なにぶん僻地にあり、最寄の駅から
バスが出ていますが、これがまた40分以上かかり。。。名古屋市営バスで運賃は200円ですが1時間に一本で、しかもしょっちゅう停まる。
もうひとつは名鉄にのって名鉄バスに乗る。これは意外にスムーズですが、金山から最寄の駅まで360円。バスが250円、合計610円、こりゃ高い!!
結局は車が一番楽なんですが、これがまた私と母にとってわかりにくい場所でして・・・姉はいつも近道をするので、本当にわかりにくい道を走るんですよね。

しかし、お父さんが亡くなる2ヶ月前の12月に母はただいま入院中の病院に検診を受けにお父さんと行ったわけですが、そのとき、いつも運転するお父さんは助手席に座り、道を教えていたそうです。自分がいなくても行ける様に。
恐ろしいほどの方向音痴の母に怒鳴りながら教えていたそう、途中「お父さん、これは右だったっけ?」っときくと、あきれて口も利いてくれなかったそうです
このお父さん、私にもこの病院に行く道を一番わかりやすい道で教えてくれました。母ほどではないにしても、あまり運転が好きでないし、方向音痴でもある私に一番簡単な道を教えてくれました。
今回この病院に行くのは2年近くぶりなのですが、覚えていましたよ、私。
われながらびっくりしました。

お父さんはまたこの病院に行かなければならなくなるってわかっていたんだね。
と母と話していて、母は泣いていました。
今では後を振り返る考えはやめようって母に言っていますが、今回は泣いてもいいですよね。
ちなみに昨日、実家で寝ていたのですが、お父さん、3回も夢に出てきましたよ。
何かを伝えたかったのか?「俺が教えたことおぼえていたな!!」とでも言いたかったのか??

新年

2009年01月04日 20時38分58秒 | 日常
新年が明けました
そしてしばらく間が開いてしまいました
昨年はお父さんの死、そしてどういうわけか仕事が2倍に膨れ上がってしまって
なかなか時間が取れません。お父さんの記憶をとどめておきたいのですがね・・
12月は後輩2人が結婚しました。締めくくりがうれしい出来事でよかったです

今年も一家で旅行に行きました。お父さんの位牌を持って。
去年はお父さんも参加したんですよね。wii Fitをもって。時々wii Fitを立ち上げると「最近お父さんを見ませんね」なんて出てきます。寂しいですね
あの時は元気で、ぎっくり腰をした飼主1を気遣っていました。
温泉にも一度だけ入ることが出来て(お風呂に入ると体力を奪われてとてもだるくなり、咳も出てしまうので)喜んでいたことを思い出します

そんなお父さんは位牌と写真とで私たちを見ていました。一緒に来ていたのでしょうかね。
今でもこの世にいないって信じられません。入院しているのだろうっと思います

新盆

2008年08月10日 23時09分24秒 | 日常
久しく間が開いてしまいました
今日は新盆を向かえるに当たってお寺でお経をいただきました
新盆を向かえる檀家の方と一緒でしたが、とてもたくさんの方がいらっしゃいました。家族一組に一人が今年中になくなったのだな・・っと思うと悲しんでいる人はたくさんいて、それぞれ乗り越えていくのだなっと思いました。

不謹慎ですが、今まで両親を亡くされた友達が時間がたつと普段の生活にもどっているのが不思議でした。親が亡くなったのに??っと。もっともっと悲しんでもいいのではないのか?と。
今、私も半年がたち、見た目には元気です。以前の生活にもどっています。以前の生活にもどることはとても大切なことだと今は思います。
そして、たとえ平静を装っても、ふっとしたときに悲しみが訪れます。それは芸能人の訃報であったり、社内の訃報であったり、救急車を見たときなどです。
私たちは救急車が予想を超えてかなり早く来てくれたことをとても感謝しました。その経験からサイレンを聞くとどこから来るのか、出来るだけ徒歩でも横断をやめて救急車が通り過ぎるのを待ちます。早く病院、患者のところに着きますように・・・っと。自分が救急車に運ばれた後はそれほど思わなかったのに。。
(ちなみに怪我です)
そしてお父さんのことを思い出し涙が出ます。
友達はそういう思いを今でもしていると思うし、それを出さず、日常を送っていることがわかりました。ふっとした気に親を思い出しているんだな・・・元気そうに見えてもやはりつらいんだな・・っと。

私ってほんとに人の気持ちがわからない人間だなっとつくづく思いました。
反省です

救急車が通ると大体大型車は止まりますが普通乗用車は平気で走っています。歩行者もです。今では救急車をタクシー代わりに使っている本当におろかな人がいますが、急を要する患者もいることも事実です。

お父さんは皆様のご協力で貴重な4日間を(意識がなかったとしても)過ごす事が出来ました。緊急自動車が近くに来たら出来るだけ道をあけていただきたいとお願いしたいです。よろしくお願いいたします

大好きな姪のコンサート

2008年06月29日 22時42分11秒 | 日常
姪はお父さんが育てたような子供です。
私たちのときは、お金の事等あり、子育てより家計のほうを優先して、確かにそれほど子供のころの思い出はありません
姪は、自営をやめ、赤ちゃんのころからずっとそばにいました
そんな姪が、金管バンドっという金楽器をつかったクラブに入り、演奏を運動会で行ったときは、涙を流して喜んでいました
実の子供である私たちの時には運動会なんて見にも来なかったのにね。

そんな姪が、お父さんが亡くなってから始めての大きなコンサートを行いました。
イオン大高でのコンサート、ホールは吹き抜けで、音がまるで天まで届いているような感じでした、
最初のころは音もまともに出なかったのに、今では心地よいハーモニーを奏でています。
お父さんも泣いて聞いているでしょう。
思いっきり拍手しているでしょう。「手を振るとさやか(姪)に怒られるから」
っときっと柱の影で聞いているんだろうな・・・
生きていたら絶対はってでも行っていたコンサート、無事に終了したよ

きっと天国できいていたよね


たった一人が欠けただけでも

2008年03月17日 23時56分42秒 | 日常
家族にはゆがみがでてしまうのだな・・
香典返しで姉妹けんかをしてしまった。姉はすべてなんでも自分で仕切って決めてしまう。葬儀のときからそうだった。私に意見を求めながらも結局は自分で決めてしまう。だったら聞くなよっと。先週の土曜日もそうだった。
父、母は私がいつでも家にこれるように姉には近くに家を買わせた。父は遠慮して
私が家事をすると決まって「自分の家に帰ってきているのに何を遠慮しているんだ!」っと怒ったっけ。そのときは逆にいやだった。義兄になんとなく遠慮しなくてはいけない気持ちになって・・・
しかし姉妹けんかをすると私はいつも「じゃあもう帰る!!」っと言ってしまう。それは普通に子供が駄々をこねてもう帰る!!って言っているつもりだったのだが、今回は違った。
母は姉妹けんかを見るのがつらいのだろうっと思っていたのだが違い、私が「もう帰る!!」って言ってしまうともうこの家に帰ってこれないと言うのだ。さっぱり
わからない。日ごろ姉妹平等っといいながら姉には何も言わない。私は父ががんだとわかったとき、私だけ最後の報告だった。それが悔しく、そしてお父さんとのくいのない日々を過ごすために毎週末帰ってきていた。
両親は姉妹平等っといいながら姉ばかり頼り、私には頼ってくれなかった。とても
つらかったけど、長女にはかなわないっと我慢してきた。
が、今回、姉が吹っかけたけんかに私が日ごろの姉の態度を怒ったら、母はまるで私に「遠慮しろ」っというような態度だった。私にはいつでも帰ってきてほしいし、帰りたいときに帰ってこればいいんだよ。と母。姉はお母さんが死んでも気軽に着てほしいからっと涙をこぼす。甥姪もそれを楽しみにしているんだよっと。子供のいない私は最後は一人なんだからっと。
馬鹿にしているんか!!!!!私の考えが間違っているのかも知れないけど、そんなことはわかっている別に頼る気持ちもない。ただ、お父さんとの短い時間を過ごしたかった。弱っている母を助けたかった、少しでも頼ってほしかった。今すんでいる場所になじめないことはわかっているけど、二人して自分を正当化してなに?
と思った。葬儀で事実上の跡取りは姉だってこと、近所の人の態度でわかっていたよ。母がなんと言おうとね。私のこと、一人くらいしか知らなかった。ずっと暮らしてきた町なのに、義兄のほうが有名だった。

現実を突きつけられた。自分でも考えなくてはって思っていた矢先だった。

そんな私をお父さんはわかってくれていたのだろう。決して「いつでもかえってこればいいんだから・・・こうしろ」とは言わなかった。逆に堂々としろと。

お父さんの死をもって、自分のおかれている立場がとてもよくわかった