紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

たった一人が欠けただけでも

2008年03月17日 23時56分42秒 | 日常
家族にはゆがみがでてしまうのだな・・
香典返しで姉妹けんかをしてしまった。姉はすべてなんでも自分で仕切って決めてしまう。葬儀のときからそうだった。私に意見を求めながらも結局は自分で決めてしまう。だったら聞くなよっと。先週の土曜日もそうだった。
父、母は私がいつでも家にこれるように姉には近くに家を買わせた。父は遠慮して
私が家事をすると決まって「自分の家に帰ってきているのに何を遠慮しているんだ!」っと怒ったっけ。そのときは逆にいやだった。義兄になんとなく遠慮しなくてはいけない気持ちになって・・・
しかし姉妹けんかをすると私はいつも「じゃあもう帰る!!」っと言ってしまう。それは普通に子供が駄々をこねてもう帰る!!って言っているつもりだったのだが、今回は違った。
母は姉妹けんかを見るのがつらいのだろうっと思っていたのだが違い、私が「もう帰る!!」って言ってしまうともうこの家に帰ってこれないと言うのだ。さっぱり
わからない。日ごろ姉妹平等っといいながら姉には何も言わない。私は父ががんだとわかったとき、私だけ最後の報告だった。それが悔しく、そしてお父さんとのくいのない日々を過ごすために毎週末帰ってきていた。
両親は姉妹平等っといいながら姉ばかり頼り、私には頼ってくれなかった。とても
つらかったけど、長女にはかなわないっと我慢してきた。
が、今回、姉が吹っかけたけんかに私が日ごろの姉の態度を怒ったら、母はまるで私に「遠慮しろ」っというような態度だった。私にはいつでも帰ってきてほしいし、帰りたいときに帰ってこればいいんだよ。と母。姉はお母さんが死んでも気軽に着てほしいからっと涙をこぼす。甥姪もそれを楽しみにしているんだよっと。子供のいない私は最後は一人なんだからっと。
馬鹿にしているんか!!!!!私の考えが間違っているのかも知れないけど、そんなことはわかっている別に頼る気持ちもない。ただ、お父さんとの短い時間を過ごしたかった。弱っている母を助けたかった、少しでも頼ってほしかった。今すんでいる場所になじめないことはわかっているけど、二人して自分を正当化してなに?
と思った。葬儀で事実上の跡取りは姉だってこと、近所の人の態度でわかっていたよ。母がなんと言おうとね。私のこと、一人くらいしか知らなかった。ずっと暮らしてきた町なのに、義兄のほうが有名だった。

現実を突きつけられた。自分でも考えなくてはって思っていた矢先だった。

そんな私をお父さんはわかってくれていたのだろう。決して「いつでもかえってこればいいんだから・・・こうしろ」とは言わなかった。逆に堂々としろと。

お父さんの死をもって、自分のおかれている立場がとてもよくわかった
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