久しぶりの更新です。
この間、本当に悲しい出来事が沢山、ありました。
義兄の弟さんの奥さんのお母様が女性のがんで亡くなりました。50代後半です。
お父さんががんになってしばらくしてがんになったということを聞きましたが、幸い、手術ができて一安心。って伺っていたのですが・・・残念な結果になりました。
そして、18日に義兄のお父様が亡くなりました。お父さんの肺がんがわかって
一年後にすい臓がんがわかって、ともにプロポリスを飲んでがんばっていたのです。
最初わかったとき、余命は3ヶ月っと言われていましたが、お父さんと同じように
4年近くがんばりました。
お父さんの1周期にはつらい体をおして、きてくださいました。そのとき、もう
使う抗がん剤がないっといわれ、効果があるかわからないけど、試してみましょう
っという抗がん剤を使っていて、大好きなお酒も飲めない状態でした。
それから・・・坂を転げ落ちるような状態で、5月の上旬はもう厳しい状態で、
転移した肺には肺水もたまり、腹水もたまり、そのわりに食べることができず、体はやせ、肝臓転移で足はむくみ、足も曲げることができず、ただ「だるい、だるい」
っと言っていたそうでした。
そして、18日に、いつもは眠ることができないっと言っていたじいちゃんが、眠っていたそうで、その間ばあちゃんが(義兄の母)家に帰っている間・・看護婦さんも気がつなないうちに亡くなったそうです。
つらかったことから開放され、よかったと安堵する一方。本当にがんという病気に
腹が立ちます!!
共存、、、でもお父さんも恵那じいちゃんも『もう使える抗がん剤がないので』
適当な抗がん剤を使いました・・的な状態でした。そしてお父さんは心臓にダメージ。
恵那じいちゃんはまったく効くこともなく、坂を転げるように悪化でした。
もっと、もっと使える抗がん剤があれば・・・っと思います。本当に・・。
恵那じいちゃんはげっそりやせていて、髪の毛もほぼ、ありませんでした。
でもとても、とても穏やかなお顔でした
義兄に、恵那じいちゃんの日記を見せていただきました。肝臓転移後はほとんど
読めない字で書いてありましたが、時々読める字には『まだ字がかける』『明日は
さやか(孫)が来る』等、記されていました。
そして最後・・・なくなる2日前の最後の言葉は『ありがとう、皆さん』でした。
本当に・・・本当なんです。わかっていたのかもしれませんが。。。悔しいです。
葬儀には現役をもう退けていたのにもかかわらず、沢山の弔問客がいらっしゃい
ました。
恵那じいちゃんのやさしさ、人望の厚さがわかりました。
姉からすれば義父でうとい立場です。でもこのような場はその人の人望がわかる
場でもありますよね。姉の話と違い、とても人望の厚い方だと思いました
私も姉どうよう、かなり人から聞いた話をうのみにするタイプなので、恵那じいちゃんから教えてもらいました
この間、本当に悲しい出来事が沢山、ありました。
義兄の弟さんの奥さんのお母様が女性のがんで亡くなりました。50代後半です。
お父さんががんになってしばらくしてがんになったということを聞きましたが、幸い、手術ができて一安心。って伺っていたのですが・・・残念な結果になりました。
そして、18日に義兄のお父様が亡くなりました。お父さんの肺がんがわかって
一年後にすい臓がんがわかって、ともにプロポリスを飲んでがんばっていたのです。
最初わかったとき、余命は3ヶ月っと言われていましたが、お父さんと同じように
4年近くがんばりました。
お父さんの1周期にはつらい体をおして、きてくださいました。そのとき、もう
使う抗がん剤がないっといわれ、効果があるかわからないけど、試してみましょう
っという抗がん剤を使っていて、大好きなお酒も飲めない状態でした。
それから・・・坂を転げ落ちるような状態で、5月の上旬はもう厳しい状態で、
転移した肺には肺水もたまり、腹水もたまり、そのわりに食べることができず、体はやせ、肝臓転移で足はむくみ、足も曲げることができず、ただ「だるい、だるい」
っと言っていたそうでした。
そして、18日に、いつもは眠ることができないっと言っていたじいちゃんが、眠っていたそうで、その間ばあちゃんが(義兄の母)家に帰っている間・・看護婦さんも気がつなないうちに亡くなったそうです。
つらかったことから開放され、よかったと安堵する一方。本当にがんという病気に
腹が立ちます!!
共存、、、でもお父さんも恵那じいちゃんも『もう使える抗がん剤がないので』
適当な抗がん剤を使いました・・的な状態でした。そしてお父さんは心臓にダメージ。
恵那じいちゃんはまったく効くこともなく、坂を転げるように悪化でした。
もっと、もっと使える抗がん剤があれば・・・っと思います。本当に・・。
恵那じいちゃんはげっそりやせていて、髪の毛もほぼ、ありませんでした。
でもとても、とても穏やかなお顔でした
義兄に、恵那じいちゃんの日記を見せていただきました。肝臓転移後はほとんど
読めない字で書いてありましたが、時々読める字には『まだ字がかける』『明日は
さやか(孫)が来る』等、記されていました。
そして最後・・・なくなる2日前の最後の言葉は『ありがとう、皆さん』でした。
本当に・・・本当なんです。わかっていたのかもしれませんが。。。悔しいです。
葬儀には現役をもう退けていたのにもかかわらず、沢山の弔問客がいらっしゃい
ました。
恵那じいちゃんのやさしさ、人望の厚さがわかりました。
姉からすれば義父でうとい立場です。でもこのような場はその人の人望がわかる
場でもありますよね。姉の話と違い、とても人望の厚い方だと思いました
私も姉どうよう、かなり人から聞いた話をうのみにするタイプなので、恵那じいちゃんから教えてもらいました