紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

食舎

2011年11月02日 23時34分52秒 | Weblog
今日は食舎へ行ってきました

こちらも多治見でお勧めのお店
もともとはお肉屋さんで息子さんがお肉屋の一部をを改装して始めました
その後、とても美味しくって繁盛してお肉屋をやめて今のお店に
安くて美味しいお店です

スポーツバー的な雰囲気。だけど定食もあります(*^_^*)


いつもたのむ『角きりキャベツの中華風大盛』
今日は奮発してサーロインステーキ

もともとお肉やさんなのでお肉の質はもちろん、焼き加減も最高
牛さんありがとう

とても美味しくいただきました
いつもありがとう

りとりーと

2011年10月28日 23時56分30秒 | Weblog
今日は飼主1の友達が営んでいる『りとりーと』へ行ってきました

飼主1の同級生ご夫婦が営んでいるお店です。
とーーても美味しい
多治見でお勧めしたいお店のひとつです

あんまりバシャバシャ写真を撮るのもなんだかなぁと思って
これだけです。
マスターも奥様もとても気さくな方で、本当にくつろれるのです。
二人とも見た目は怖そうなんですがね

飼主1のうだうだ話しに付き合っていただきありがとうございました

料理嫌いですが

2011年10月23日 22時47分47秒 | Weblog
今日は先日のドラゴンズ優勝セールで20%引きでゲットした
大好きだけど高くて買えないルイ・シャドーのワインを飲む為の料理
料理するの大っ嫌いです。まだ茶碗を洗ったほうがいいという私
が、ワインを美味しく飲む為なら料理もしますよ

大府の健康の森で買ったサラダセット(手抜き)にアボカドとトマトのオーロラソースをのせたのも
健康の森で売っていた湯引きするだけの状態にしてあった『はも』(一応行きつけの居酒屋さんに聞いた(酒で湯引き)をした)
大府の『アイポーク』のステーキ、塩コショウのみ。
あまった油でえのき炒め・・・


こんなん出来ましたけど

ワインはやっぱり美味しかったです。後豚肉ちゃんも、はもちゃんも



全部ジャン


ドラゴンズ優勝セール

2011年10月19日 23時40分56秒 | Weblog
おめでとうございます
いやぁ~あまり野球には興味が無いのですが、やはり優勝となるとね・・セールがね

早速松坂屋へ
靴2足とワインが20%offだったので3本購入
ワインが20%offって無いじゃない?
3本チャンと持って帰りました

落合監督は本当に残念ですが、来年もがんばってください

本当に久々!!

2010年08月05日 00時45分30秒 | Weblog
ああ、忘れていたわけでなく、放置していました。
3周忌を終え、お父さんの車、プロボックスはパッソに変わりました。
甥も、今年大学生となり、東京へ。姪も高校へ進学しました。
そろそろ、お盆。
このごろ、お父さんの夢を見ます。最初のころは寝たきりの言葉を言わないお父さんだった
けど、今は車を運転して家族4人でご飯を食べに行く夢を見ます。

もう3年経とうというのにいまだに時々涙が出ます。いつも「お父さんがいれば・・」と
言う母に『もうお父さんはいないのだから』と言いつつ、母もかなしいのだなっと
痛切に思います

いつの間にか・・

2009年06月21日 22時00分55秒 | Weblog
知らないうちに『がん・ガン・癌スパーリンク』にリンクされていました。
いやいやびっくりしました。いつも見ていたサイトだったのですが、自分と同じ
境遇の方がいるんだなぁっと思っていたら自分のサイトにつながりました。
このサイトは本当に自己満足のために作っていたので・・・誤字は多いし、感情
むき出しだし・・・恥ずかしいです。
まぁこのことをご理解いただいて下さればなんだ問題ないので・・ハイ

今、今までこっそりアップしていたまさしく闘病記のプロバイダーがなくなるそうで、バックアップをとるのに一生懸命です。
当時のことがいろいろ書いてあり、日記って大切なんだなって思います。

お父さんのつらさや闘病の様子、私の記憶は忘れることのほうが多いようで、
改めて読み返してみると本当に闘っていたんだなっと思います。

また近々アップしますね。なにぶん夜は飲んでしまうもので・・親譲りです。

紋次郎君の話題をひとつ
実はまた歯石取りをしたのですが、本当にたまりやすいこのようで、嫌がるのを
我慢させて歯磨き、がんばっています。
一度歯茎から大量出血がありましたが、今は落ち着いて歯磨きがんばっています

いろいろありました・・・

2009年05月24日 23時03分36秒 | Weblog
久しぶりの更新です。
この間、本当に悲しい出来事が沢山、ありました。
義兄の弟さんの奥さんのお母様が女性のがんで亡くなりました。50代後半です。
お父さんががんになってしばらくしてがんになったということを聞きましたが、幸い、手術ができて一安心。って伺っていたのですが・・・残念な結果になりました。
そして、18日に義兄のお父様が亡くなりました。お父さんの肺がんがわかって
一年後にすい臓がんがわかって、ともにプロポリスを飲んでがんばっていたのです。
最初わかったとき、余命は3ヶ月っと言われていましたが、お父さんと同じように
4年近くがんばりました。
お父さんの1周期にはつらい体をおして、きてくださいました。そのとき、もう
使う抗がん剤がないっといわれ、効果があるかわからないけど、試してみましょう
っという抗がん剤を使っていて、大好きなお酒も飲めない状態でした。

それから・・・坂を転げ落ちるような状態で、5月の上旬はもう厳しい状態で、
転移した肺には肺水もたまり、腹水もたまり、そのわりに食べることができず、体はやせ、肝臓転移で足はむくみ、足も曲げることができず、ただ「だるい、だるい」
っと言っていたそうでした。
そして、18日に、いつもは眠ることができないっと言っていたじいちゃんが、眠っていたそうで、その間ばあちゃんが(義兄の母)家に帰っている間・・看護婦さんも気がつなないうちに亡くなったそうです。

つらかったことから開放され、よかったと安堵する一方。本当にがんという病気に
腹が立ちます!!
共存、、、でもお父さんも恵那じいちゃんも『もう使える抗がん剤がないので』
適当な抗がん剤を使いました・・的な状態でした。そしてお父さんは心臓にダメージ。
恵那じいちゃんはまったく効くこともなく、坂を転げるように悪化でした。
もっと、もっと使える抗がん剤があれば・・・っと思います。本当に・・。

恵那じいちゃんはげっそりやせていて、髪の毛もほぼ、ありませんでした。
でもとても、とても穏やかなお顔でした

義兄に、恵那じいちゃんの日記を見せていただきました。肝臓転移後はほとんど
読めない字で書いてありましたが、時々読める字には『まだ字がかける』『明日は
さやか(孫)が来る』等、記されていました。
そして最後・・・なくなる2日前の最後の言葉は『ありがとう、皆さん』でした。
本当に・・・本当なんです。わかっていたのかもしれませんが。。。悔しいです。


葬儀には現役をもう退けていたのにもかかわらず、沢山の弔問客がいらっしゃい
ました。
恵那じいちゃんのやさしさ、人望の厚さがわかりました。
姉からすれば義父でうとい立場です。でもこのような場はその人の人望がわかる
場でもありますよね。姉の話と違い、とても人望の厚い方だと思いました
私も姉どうよう、かなり人から聞いた話をうのみにするタイプなので、恵那じいちゃんから教えてもらいました