むしろ・・・怖くなってるぞ。安倍さん。
本当に”勝ち過ぎた”。
煽り過ぎを反省してんのか。
これは「戦争をやれ」という意思表示とも取れるもんな。
北の高官が「我々の敵はアメリカのみだ」と公言されちゃ日韓の出る幕はなくなったし、方法はもう別を向いてる。
北朝鮮が先にあって、サウジイラン戦争に行くはずが・・・アジアの脅威を飛び越えて話が中東に向かってる。
今の米韓の日本海上の訓練はペルシャ湾岸で行う軍事の演習なんだと思うんだけど。
北朝鮮の有事無くして、集団的自衛権の行使は行えないなんだよね・・・。既成事実がまずはあって、の戦争ビジネスだったのに・・・。中東じゃインフラ含めて利益薄いんだと思うな。
おじけづいたなぁ・・・。
良心を試されてる感じだから・・・。
アメリカの正義ってもはやマーベルの映画の中でしかないんだよ。
トランプさんが電撃訪朝して終わりじゃ・・・中東戦争に自衛隊は派遣できない。
だからもう一回解散総選挙あるんじゃないのかなぁ・・・。曇りがちなのはトランプ氏とアメリカ政府が少し後退したからではないんだろうか・・・。結局は弱いモノイジメにしかならないんだよね。ISみたいに国家を乗っ取ったテロリスト国家ではないから、戦争と考えたらすぐに終結する。
けど、これを経ての中東戦争ならばいいけれど、日本人にはアジアの脅威しか問題意識がないもんで誰も納得しないだろう。
鬼の基本は鬼畜米英。アメリカと仲良し国家を築きたい安倍陣営をとことん嫌うと思うんだよね。性格的じゃなくて性質上相まみれない・・・。
鬼は鬼の使命を全うする。決してこれは曲げられない・・・。そういうルール上の問題であって、霊的には絶対的なモノだからだ。半分神となってる吉田松陰の御霊では鬼の本領も発揮できないだろうしね。統制が取れない鬼の軍団は、宿敵である米英に対して攻撃を開始するだろう。そこらへんは解釈を大きく曲げる日本の右翼的な思考も通じない世界なんだよね。
鬼として招魂された以上は属性は殺戮の悪で、鬼でしかないんだよ。今更全部を無効にして神格化することも不可能だし・・・。
そういう時間はかなりあったけど、神道界は教義すら想定しなかった。教義なき宗教で、国家の庇護下に戻りたいなんて甘いよね。日本の神は現世ご利益とは無縁だし、神道界は何を以って信者を7.700万人と見ているのか根拠も示していない。
農耕による神事と違って、政治的に思想的に神道に発展要素がなかったからいつの間にか神話の神々は統合されてしまったんだから、今更、発展性のない神道が生き残る道はないにも等しいと思う。だってパワースポット化はブームだから流行りはすぐに廃れてしまう・・・。その土地の持つパワーはその地でのみ発せられるもので継続できないからね・・・移り住むなら別だけど。
思想的な宗教観に関したら、同じようにバイブルを元にしてる三大一神教の足者には及ばない。一人の人間が紡ぎ出す壮大な物語と、日本神話みたいに章ごとに区切ったそれぞれの神や天皇では得手不得手があり過ぎるんだよ。いまだに表の神道ではなされていないが、大国主命に死後の救済を与えて葬祭に直接的な関与を示さないと宗教としての瑕疵が多すぎるんだよね。
神は不死なのに、不死な神が、寿命を持つ人を救う意味がない。仏さんは未来仏であってもちゃんと寿命があるからいつか死ぬ。死ぬことが決定づけられているからこそ慈悲が生じるわけだよね。死なない存在でしかない神が、自分自身の中にない「不安」に対して疑問に思う機会や恐怖心を抱く可能性がないと思んで、その時点で、神に慈悲性は存在していないことになる。
まあ神とは基本、乱暴で狂暴なんですよ。明治12年に靖国神社を神社化する際にも、大国主命に黄泉神として死後の救済にあたる役目を付加することは検討されたんだけど、政府の中心であった伊勢神道はこの提案を却下してる。まあ政府機関内の神殿に天照大神と合祀することを拒絶したんですよ。
姉弟でありながら、天津神、国津神として分けられて、太陽神と黄泉の神として区分され、高天の原と地下世界に住む場所も隔てられた。それもこれも人間的なエゴによる。
嫌ったんだよね・・・死の穢れ、血の穢れ・・・なのに今では伊勢と靖国は手を繋いでる。これって神道的に見ると異常な和合なんだけどね。
今の神道界のトップは天照大神なんだけど、明治の頃の神道は造化三神『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)』+天照大神を祀るのが主流だった。それが今は造化三神は祀らない。この三神は独り神(性別なし)で出現と同時に姿を隠した神様である。造化三神は古事記にしか登場しない神だから、正史とされた日本書紀がベースになっていないことも大問題であるんだが・・・、日本も昔は古事記を歴史的な事実だと小学校で教えていたんだよ。信じられないでしょうけれど・・・。
右翼的な思想を背景にする裏付けは古事記神話なんですね。正史である日本書紀ではない。江戸時代まで古事記は偽書とされてきた。日本書紀よりもより荒々しく残酷物語だもんな。
本居宣長が古事記を重用し、儒教的で仏教的である神道を否定したんだけど、本居の弟子である平田篤胤がよりファンタジー化して、新解釈として「大国主命」に死後の救済の神であると言い始める。古いモノを否定して新しいモノを支持する幕末のバカ志士どもが熱狂したのも頷ける。ただし長州の本物の志士らは儒教的な考え方を全否定していない。なぜならば吉田らがバイブルとして考えたのは朝鮮朱子学であるからだ。朱子学とは儒教の教えを教義化したもの。
別の判断があったからこそ、朝鮮朱子学や後に自らの手で廃止に追いやる陰陽道、道教の神と融合させ新しい解釈の「招魂」という神道でない信仰と儀式化を図った。それが靖国神社。招魂社の考え方では神ではなくて鬼なんだよね。だから靖国神社や護国神社は靖国社、護国社として改めるべきだと思うんだよね。曲がりなりにも神道とはかけ離れた思想が元になって生まれた新々宗教だからだ。神社に無理矢理カテゴライズしたために、その後も数奇な運命を辿ることにある。
明治政府は東京招魂社を神社として改める際に固く招魂術(招魂祭)を禁じているのだが、むしろ堂々とやってる。
そういう事実を曖昧にしたままで神道を語ってはいけないと思うんだ。たぶん伊勢は靖国に死の穢れを押し付けたことに対する負い目があり、靖国神社としては英霊は神霊なのだと主張し続けたい信条がある。
たぶん。。。靖国が神社化されずにいたら戦後は無宗教の慰霊施設に出来たはずなんだ。そのためには明治12年に伊勢は出雲の神と合祀されることを受け入れなければならなくなるけど、神道のみでは成り立たないのが神道なのである。宗教とは葬祭儀礼的な儀式を含むものだから、神道は神道だけでは成り立たないんだ。今は神道的な葬儀もあるけど、あれは仏教を真似たものでしかないからね。実際に神道の古代の葬祭儀式である殯は実際に現代社会では行えない。古代の神道では肉体の死は、魂の死ではなかった。肉体の死とは生の過程でしかなかった。魂は不滅され、霊性は生き続けるとされてきた。肉体の死を以って死後を確定したのは仏教なんだよね。それまで日本人の魂は不滅で、肉体を持たない(死んでる状態)状態でも生きていると仮定されてきた。
天皇陛下自体は神聖を宿した神の化身だから、親戚である皇族方が亡くなっても殯中も弔問には訪れないでしょう。神とは人間の死を完全に嫌う存在であることを物語ってる証拠なんだよね。天皇になるための儀式である大嘗祭は、天皇が天照大神とまぐわう儀式だからね。エッチをするかは別にしても概念上は神さまと寝る儀式なんだ。上品に言えば一体化かな?だから天照大神は女神でないといけないとされたようである。太古では男神という説もあるし、長らく伊勢の大神として伊勢神宮が祀神として祀った神と天照大神は違うという説もあるんだよ。
こんなことが表化したら重大な問題になるよね。男神であったからこそ天皇は娘である大和姫を天照大神の元へ送った(嫁がせた)んじゃないかと思うんだ。女性の太陽神って・・少し変だよね。むしろ造化三神のように独り神であるならば筋が通るのだけど・・・。
たぶん明治時代にいろいろと改変してるんだよ・・・神道も。だから神社神道と宮中神道と、各神道と古神道は別のモノだとして考える必要性はあるんだよね。今の伊勢神宮は下宮も女神、内宮も女神ってバージニティ性は高いけど、神の基本である夫婦神ではないんだよね。日本の女系系を正当に引き継ぐ神社でもないだから、ここでも矛盾が生じてる。
出雲は出雲で本居か平田が推奨する古事記思想を元にして、主祀神を素戔嗚尊から大国主命に変更している。たぶん素戔嗚尊は同神とされる仏教のインドの神である牛頭天王と深く習合していたから、それこそ引きはがしが難しかったんだと思うんだ。だからこそ入れ替えた。大国主命は大黒様だけど、大黒様の縁起はそれこそエンギがいいからね。
だから信じてモノの真偽が不確かなモノでしかないのが神道なのである。右翼さんも造化三神が祀られていたことを知らないんじゃないのかなぁ・・・。規定されたことを信じるのもどうかと思うけど。
確かに神道は戦争に利用されるけど、教育勅語とかは別である。あれは儒教や道教の教えであって、仏教の”法”から得られた訓ではない。だからあんなくだらない文章を日本オリジナルの道徳的な手本として重用する今のバカな政治家たちはうんとバカなんだと思う。それって侵略戦争の再美美化でしかないんだよね。だから戦前の戦争を美化する稲田さんとか安倍さんは総理や大臣になるべき人物ではないんだよ。日本的には不釣り合いなんだよね・・・。なのにこれを高く評価する支配層の人たちも多いのも事実。戦争を経済と見たら、あんな莫大な富を生むビジネスはないもんね。それがただ残酷で悲惨であることが邪魔くさいから裏から絶大な支援をしているんだよね。要するに金儲けだ。
ぴちょん君で有名なエアコンのダイキンも元は理研と同じで日本の息のかかった機関の一つであった、ダイキンは大砲の弾や弾丸を作っていた。今はどうか分からないけど空調においては世界ナンバーワンの企業である。朝鮮戦争の時は火炎放射器だっけ(バズーカー砲のどちらか)で大儲けした軍需企業である。まあ旧財閥系とかはほぼ軍産複合体であるがね。
ただ侵略戦争や教育勅語を称賛したり、美化化することはおいらみたいな綺麗事主義者には無理だから、やっぱりダメだと思う。これから安倍政権が少しでも不審なことを続けたら、21日の秋葉原の日章旗映像が流れ続けるんだろうが、あれをちゃんと選挙前日に報道しない日本のマスコミはどこもかしこもクズだと思う。産経などは秋葉原の写真を使用せずに、立憲の写真を掲載した上で自民党をひたすら応援していた。まあもうフジは観ないし、信用もしないんでいいけど、日本は事実をありのまま放送しないからダメだと思う。あの映像の異様さを観てしまうと確かに自民党支持率は下がったと思うけど、それでも自民党に投票してしまう、国民の愚かさを知りたかったなぁ。それくらいに社会が異常なほど右傾化して、それを許せる下地が出来ているのかの判断基準になったと思うけど、どのマスコミも政権と背後にあるアメリカ的なモノに尻尾を振った。
ますますテレビも新聞も信用できない時代になった。例えばネットにはフェイクニュースも多いけど、読売新聞がネットの7割はフェイクニュースだと言う記事を選挙期間中に報道したのにはびっくりした。
日章旗を振るのはマラソンや駅伝、天皇陛下の幸行くらいしかお目にかからないが、安倍応援団は大きな日章旗を掲げて行進していたからね・・・・。あれを公の場所でさせる自民党の傲慢さが嫌で嫌で仕方がない。自民党内の中道やリベラルの人は離党して欲しいと思う。これは右翼保守、革新保守、普通の保守とか分けてくれないと、奥底に潜んでいるものがまったく視えないんだ。
あの歓喜の中で興奮してる麻生や安部が総理であることが・・・ただただ悲しかった。ああいう集会は同士間の間のみで行っていただきたい。あれは目の毒だ。
まあ・・・不気味な会社に勤めていたから、あんな異変が起こり続けたんだと今では思うけど、当時の神棚には崇敬する神社の神札しか祀っていなかった。んで、ちょっと真剣に神道にハマっていたので天照大神と氏神の三神を祀ることにしたが、それからがどうも事が一切好転することもなく、悪い方へ回り出したなぁ。宮型が悪いとか、いろいろ変えてみたり、いろいろ調べてやったけど、神社本庁が推奨する通りの設置の仕方をすればするほどどんどん悪くなった・・・。
神社で祈願するごとに事態はどんどん悪くなって追い込まれてく。だけど自分が悪いのだと自分を責めて戒めて苦しめたけど、混乱するばかり。それは神道をある程度古いものだと誤認していたせいだった。調べれば調べるほどに家の中に神の住まいがあることは違和感でしかないんだなぁ・・・。
新党を信仰するとは自分自身を騙し続けることだった。今はその矛盾の意味も分かるけど、神棚据えてからおかしくなった人は祀らない方がいいよ。捨てろと言ってもゴミとして処分しろと言うことではない。ちゃんと神社で処分して貰えばいい。ケチっちゃダメだよ・・・。祟られる理由をこさえるのがいちばんに悪いこと。
さあて、天照は下げるか。
本当に”勝ち過ぎた”。
煽り過ぎを反省してんのか。
これは「戦争をやれ」という意思表示とも取れるもんな。
北の高官が「我々の敵はアメリカのみだ」と公言されちゃ日韓の出る幕はなくなったし、方法はもう別を向いてる。
北朝鮮が先にあって、サウジイラン戦争に行くはずが・・・アジアの脅威を飛び越えて話が中東に向かってる。
今の米韓の日本海上の訓練はペルシャ湾岸で行う軍事の演習なんだと思うんだけど。
北朝鮮の有事無くして、集団的自衛権の行使は行えないなんだよね・・・。既成事実がまずはあって、の戦争ビジネスだったのに・・・。中東じゃインフラ含めて利益薄いんだと思うな。
おじけづいたなぁ・・・。
良心を試されてる感じだから・・・。
アメリカの正義ってもはやマーベルの映画の中でしかないんだよ。
トランプさんが電撃訪朝して終わりじゃ・・・中東戦争に自衛隊は派遣できない。
だからもう一回解散総選挙あるんじゃないのかなぁ・・・。曇りがちなのはトランプ氏とアメリカ政府が少し後退したからではないんだろうか・・・。結局は弱いモノイジメにしかならないんだよね。ISみたいに国家を乗っ取ったテロリスト国家ではないから、戦争と考えたらすぐに終結する。
けど、これを経ての中東戦争ならばいいけれど、日本人にはアジアの脅威しか問題意識がないもんで誰も納得しないだろう。
鬼の基本は鬼畜米英。アメリカと仲良し国家を築きたい安倍陣営をとことん嫌うと思うんだよね。性格的じゃなくて性質上相まみれない・・・。
鬼は鬼の使命を全うする。決してこれは曲げられない・・・。そういうルール上の問題であって、霊的には絶対的なモノだからだ。半分神となってる吉田松陰の御霊では鬼の本領も発揮できないだろうしね。統制が取れない鬼の軍団は、宿敵である米英に対して攻撃を開始するだろう。そこらへんは解釈を大きく曲げる日本の右翼的な思考も通じない世界なんだよね。
鬼として招魂された以上は属性は殺戮の悪で、鬼でしかないんだよ。今更全部を無効にして神格化することも不可能だし・・・。
そういう時間はかなりあったけど、神道界は教義すら想定しなかった。教義なき宗教で、国家の庇護下に戻りたいなんて甘いよね。日本の神は現世ご利益とは無縁だし、神道界は何を以って信者を7.700万人と見ているのか根拠も示していない。
農耕による神事と違って、政治的に思想的に神道に発展要素がなかったからいつの間にか神話の神々は統合されてしまったんだから、今更、発展性のない神道が生き残る道はないにも等しいと思う。だってパワースポット化はブームだから流行りはすぐに廃れてしまう・・・。その土地の持つパワーはその地でのみ発せられるもので継続できないからね・・・移り住むなら別だけど。
思想的な宗教観に関したら、同じようにバイブルを元にしてる三大一神教の足者には及ばない。一人の人間が紡ぎ出す壮大な物語と、日本神話みたいに章ごとに区切ったそれぞれの神や天皇では得手不得手があり過ぎるんだよ。いまだに表の神道ではなされていないが、大国主命に死後の救済を与えて葬祭に直接的な関与を示さないと宗教としての瑕疵が多すぎるんだよね。
神は不死なのに、不死な神が、寿命を持つ人を救う意味がない。仏さんは未来仏であってもちゃんと寿命があるからいつか死ぬ。死ぬことが決定づけられているからこそ慈悲が生じるわけだよね。死なない存在でしかない神が、自分自身の中にない「不安」に対して疑問に思う機会や恐怖心を抱く可能性がないと思んで、その時点で、神に慈悲性は存在していないことになる。
まあ神とは基本、乱暴で狂暴なんですよ。明治12年に靖国神社を神社化する際にも、大国主命に黄泉神として死後の救済にあたる役目を付加することは検討されたんだけど、政府の中心であった伊勢神道はこの提案を却下してる。まあ政府機関内の神殿に天照大神と合祀することを拒絶したんですよ。
姉弟でありながら、天津神、国津神として分けられて、太陽神と黄泉の神として区分され、高天の原と地下世界に住む場所も隔てられた。それもこれも人間的なエゴによる。
嫌ったんだよね・・・死の穢れ、血の穢れ・・・なのに今では伊勢と靖国は手を繋いでる。これって神道的に見ると異常な和合なんだけどね。
今の神道界のトップは天照大神なんだけど、明治の頃の神道は造化三神『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)』+天照大神を祀るのが主流だった。それが今は造化三神は祀らない。この三神は独り神(性別なし)で出現と同時に姿を隠した神様である。造化三神は古事記にしか登場しない神だから、正史とされた日本書紀がベースになっていないことも大問題であるんだが・・・、日本も昔は古事記を歴史的な事実だと小学校で教えていたんだよ。信じられないでしょうけれど・・・。
右翼的な思想を背景にする裏付けは古事記神話なんですね。正史である日本書紀ではない。江戸時代まで古事記は偽書とされてきた。日本書紀よりもより荒々しく残酷物語だもんな。
本居宣長が古事記を重用し、儒教的で仏教的である神道を否定したんだけど、本居の弟子である平田篤胤がよりファンタジー化して、新解釈として「大国主命」に死後の救済の神であると言い始める。古いモノを否定して新しいモノを支持する幕末のバカ志士どもが熱狂したのも頷ける。ただし長州の本物の志士らは儒教的な考え方を全否定していない。なぜならば吉田らがバイブルとして考えたのは朝鮮朱子学であるからだ。朱子学とは儒教の教えを教義化したもの。
別の判断があったからこそ、朝鮮朱子学や後に自らの手で廃止に追いやる陰陽道、道教の神と融合させ新しい解釈の「招魂」という神道でない信仰と儀式化を図った。それが靖国神社。招魂社の考え方では神ではなくて鬼なんだよね。だから靖国神社や護国神社は靖国社、護国社として改めるべきだと思うんだよね。曲がりなりにも神道とはかけ離れた思想が元になって生まれた新々宗教だからだ。神社に無理矢理カテゴライズしたために、その後も数奇な運命を辿ることにある。
明治政府は東京招魂社を神社として改める際に固く招魂術(招魂祭)を禁じているのだが、むしろ堂々とやってる。
そういう事実を曖昧にしたままで神道を語ってはいけないと思うんだ。たぶん伊勢は靖国に死の穢れを押し付けたことに対する負い目があり、靖国神社としては英霊は神霊なのだと主張し続けたい信条がある。
たぶん。。。靖国が神社化されずにいたら戦後は無宗教の慰霊施設に出来たはずなんだ。そのためには明治12年に伊勢は出雲の神と合祀されることを受け入れなければならなくなるけど、神道のみでは成り立たないのが神道なのである。宗教とは葬祭儀礼的な儀式を含むものだから、神道は神道だけでは成り立たないんだ。今は神道的な葬儀もあるけど、あれは仏教を真似たものでしかないからね。実際に神道の古代の葬祭儀式である殯は実際に現代社会では行えない。古代の神道では肉体の死は、魂の死ではなかった。肉体の死とは生の過程でしかなかった。魂は不滅され、霊性は生き続けるとされてきた。肉体の死を以って死後を確定したのは仏教なんだよね。それまで日本人の魂は不滅で、肉体を持たない(死んでる状態)状態でも生きていると仮定されてきた。
天皇陛下自体は神聖を宿した神の化身だから、親戚である皇族方が亡くなっても殯中も弔問には訪れないでしょう。神とは人間の死を完全に嫌う存在であることを物語ってる証拠なんだよね。天皇になるための儀式である大嘗祭は、天皇が天照大神とまぐわう儀式だからね。エッチをするかは別にしても概念上は神さまと寝る儀式なんだ。上品に言えば一体化かな?だから天照大神は女神でないといけないとされたようである。太古では男神という説もあるし、長らく伊勢の大神として伊勢神宮が祀神として祀った神と天照大神は違うという説もあるんだよ。
こんなことが表化したら重大な問題になるよね。男神であったからこそ天皇は娘である大和姫を天照大神の元へ送った(嫁がせた)んじゃないかと思うんだ。女性の太陽神って・・少し変だよね。むしろ造化三神のように独り神であるならば筋が通るのだけど・・・。
たぶん明治時代にいろいろと改変してるんだよ・・・神道も。だから神社神道と宮中神道と、各神道と古神道は別のモノだとして考える必要性はあるんだよね。今の伊勢神宮は下宮も女神、内宮も女神ってバージニティ性は高いけど、神の基本である夫婦神ではないんだよね。日本の女系系を正当に引き継ぐ神社でもないだから、ここでも矛盾が生じてる。
出雲は出雲で本居か平田が推奨する古事記思想を元にして、主祀神を素戔嗚尊から大国主命に変更している。たぶん素戔嗚尊は同神とされる仏教のインドの神である牛頭天王と深く習合していたから、それこそ引きはがしが難しかったんだと思うんだ。だからこそ入れ替えた。大国主命は大黒様だけど、大黒様の縁起はそれこそエンギがいいからね。
だから信じてモノの真偽が不確かなモノでしかないのが神道なのである。右翼さんも造化三神が祀られていたことを知らないんじゃないのかなぁ・・・。規定されたことを信じるのもどうかと思うけど。
確かに神道は戦争に利用されるけど、教育勅語とかは別である。あれは儒教や道教の教えであって、仏教の”法”から得られた訓ではない。だからあんなくだらない文章を日本オリジナルの道徳的な手本として重用する今のバカな政治家たちはうんとバカなんだと思う。それって侵略戦争の再美美化でしかないんだよね。だから戦前の戦争を美化する稲田さんとか安倍さんは総理や大臣になるべき人物ではないんだよ。日本的には不釣り合いなんだよね・・・。なのにこれを高く評価する支配層の人たちも多いのも事実。戦争を経済と見たら、あんな莫大な富を生むビジネスはないもんね。それがただ残酷で悲惨であることが邪魔くさいから裏から絶大な支援をしているんだよね。要するに金儲けだ。
ぴちょん君で有名なエアコンのダイキンも元は理研と同じで日本の息のかかった機関の一つであった、ダイキンは大砲の弾や弾丸を作っていた。今はどうか分からないけど空調においては世界ナンバーワンの企業である。朝鮮戦争の時は火炎放射器だっけ(バズーカー砲のどちらか)で大儲けした軍需企業である。まあ旧財閥系とかはほぼ軍産複合体であるがね。
ただ侵略戦争や教育勅語を称賛したり、美化化することはおいらみたいな綺麗事主義者には無理だから、やっぱりダメだと思う。これから安倍政権が少しでも不審なことを続けたら、21日の秋葉原の日章旗映像が流れ続けるんだろうが、あれをちゃんと選挙前日に報道しない日本のマスコミはどこもかしこもクズだと思う。産経などは秋葉原の写真を使用せずに、立憲の写真を掲載した上で自民党をひたすら応援していた。まあもうフジは観ないし、信用もしないんでいいけど、日本は事実をありのまま放送しないからダメだと思う。あの映像の異様さを観てしまうと確かに自民党支持率は下がったと思うけど、それでも自民党に投票してしまう、国民の愚かさを知りたかったなぁ。それくらいに社会が異常なほど右傾化して、それを許せる下地が出来ているのかの判断基準になったと思うけど、どのマスコミも政権と背後にあるアメリカ的なモノに尻尾を振った。
ますますテレビも新聞も信用できない時代になった。例えばネットにはフェイクニュースも多いけど、読売新聞がネットの7割はフェイクニュースだと言う記事を選挙期間中に報道したのにはびっくりした。
日章旗を振るのはマラソンや駅伝、天皇陛下の幸行くらいしかお目にかからないが、安倍応援団は大きな日章旗を掲げて行進していたからね・・・・。あれを公の場所でさせる自民党の傲慢さが嫌で嫌で仕方がない。自民党内の中道やリベラルの人は離党して欲しいと思う。これは右翼保守、革新保守、普通の保守とか分けてくれないと、奥底に潜んでいるものがまったく視えないんだ。
あの歓喜の中で興奮してる麻生や安部が総理であることが・・・ただただ悲しかった。ああいう集会は同士間の間のみで行っていただきたい。あれは目の毒だ。
まあ・・・不気味な会社に勤めていたから、あんな異変が起こり続けたんだと今では思うけど、当時の神棚には崇敬する神社の神札しか祀っていなかった。んで、ちょっと真剣に神道にハマっていたので天照大神と氏神の三神を祀ることにしたが、それからがどうも事が一切好転することもなく、悪い方へ回り出したなぁ。宮型が悪いとか、いろいろ変えてみたり、いろいろ調べてやったけど、神社本庁が推奨する通りの設置の仕方をすればするほどどんどん悪くなった・・・。
神社で祈願するごとに事態はどんどん悪くなって追い込まれてく。だけど自分が悪いのだと自分を責めて戒めて苦しめたけど、混乱するばかり。それは神道をある程度古いものだと誤認していたせいだった。調べれば調べるほどに家の中に神の住まいがあることは違和感でしかないんだなぁ・・・。
新党を信仰するとは自分自身を騙し続けることだった。今はその矛盾の意味も分かるけど、神棚据えてからおかしくなった人は祀らない方がいいよ。捨てろと言ってもゴミとして処分しろと言うことではない。ちゃんと神社で処分して貰えばいい。ケチっちゃダメだよ・・・。祟られる理由をこさえるのがいちばんに悪いこと。
さあて、天照は下げるか。
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