空に問う。

空に問うても果てがない

地震とはおみそれ

2015-10-18 10:02:38 | 日記
天晴でーーーーーーーーす!ホントに性根が腐ってる。

この時期にこの場所で(震源地は湯梨浜町ですけど)地震が起こるなんて・・・・・。地脈を使えるとは恐れ入った(笑)。偶然の出来事なんだけど必然。西で激震が走りましたもん・・・・。その揺り返しと言うのか。被害が最小(建物とかなくて)だったけどこの10年以内にM8クラスの直下型地震が起こってる場所・・・・。

こういう時期の地震って本当に怖い。すべてを飲み込んで壊しそう。笑えないけど。

背中の残像のはったりはそう言うことか。転勤したんじゃなくて担当が変更になっただけなんだ。まっ、Facebookの住所まんまだし・・・。でも出雲の怨霊ぶっ飛ばして鳥取に介入したらそうとう怒られそうだけど。それくらい朝廷も現政府の恐れてるのに・・・・。恨みの想念の集合体。西の悪いモノの正体はそれかも知れない。

六月に出雲からお願いした件はキャンセルされた。だから再度9月にやり直した。だっえさ、東と西で地盤が違う。霊的チャンネルが違う。様子が違う。だからさ、上を通らずに下をくぐる。干渉が弱いから、こんなものなんだろう。

想念の集合体・・・・・。まっ、一人の力ならとっくにくたばっているのか?西は早い時点で幕府を裏切った。筋金入りの裏切りものの土地だ。ここだけ昔から古式なのだね。ウエルカム獲物たちみたいだった。

まあ一人の人間に起こった激震ではない。相当数の数が憎しみを抱いてる。とてもできそうにない妄想に引っ掛けられた。県はもう予防線を張って、ニュースで第一次警告を発したし・・・・・。

一つの企業を設けさせるために大手企業は仕事しない。それをわかっていないんだよね。苦労して手に入れた利益じゃないし、たかってたかって得た利益。補助金と言えば聞こえはいいけど、こんなに悪用しているのははじめてみた。

想念とは最低でも市規模の人間の集団のこと。交通の便が悪いせいで陸の孤島。ほかの市町村はいろんなアクセスの溢れてる・・・・・。でも他の市町村民が悪いと言う。市民が口々に言うのだ。そうじゃねえだろ、気持ちが悪い。使えねえから使わないんだ。そんだけ異様な気を町全体が生き物みたいに発してるのは気色が悪いんだよ。その特異性分かっていない。そんな街の想念を抱いて生まれたようなカンちゃん。町の中心部にその社は静かに忘れられながらそこにある。古代の祭祀場もしくは鳥のべの地である古代の埋葬地。

だいたい神社は何かを塞ぐために、そこにある。それは悪い気であったり、鬼門であったり、ご神体である場合があるが、土地そのものを丸ごと鎮め祀る意味も込められている。市内が一望できる場所。そして人に忘れられた場所。商業地であるそこら辺は今はもう完全にすたれてる。聖なる土地ではない。古代からの交通の要だし、辻にある。面白いことにそこから、その市のある関係部署が見下ろせる(笑)。もちろんそのビルに行ったことがあるけど、キレイなんだけど落ち着かない。見張られてる感じがする。被害妄想と言われたらそれまでだけどね。

おいらの地元は完全無欠の幕府軍。だから城下は焼け野原になった。それでもこの地方の中心であったが故、廃藩置県の際は今はなき県の中心になった。当然幕府を裏切ってまで味方したのに、新政府はその市のあたりを味方にせずに捨てた。だからだいたいから両市は仲が悪い。こちらサイドが上目線で見てるんじゃない。下から睨み付けて見ているのだ。市民一丸となって恨んでる。だからこれは西の呪いと呼んでいい。

その想念の上に立つのが白髪でチビのスーパーダメ人間であるカンちゃんってのが滑稽だけど・・・・。なら力の源泉も分かる。恨みを晴らしたいのだ。思い切り全部。それがお隣の県にある敵に向けられている。

まあその頃の担当さんは県と言う単位を動かすのが必死で、個々をそれぞれに無視した。だからこそ実現した奇跡なんだけどね。でも、おいらも思っていた。顧みてくれていたら・・・・。確かに仕事上は困った。大きなものを動かすものには小さな積み木のヒトカケが見えない。雑に扱った。でもそれは一企業の儲けのとっても小さな話なんだと我慢した。我慢ならなかったのはカンちゃんほか西の人。偉くチャラい担当さんだと思っていた。おいらには将来のヴィジョンを語ってくれていたけど、それでも個々の案件の取り扱いはお願いした。で、いつもケンカした。

けど、担当さんが説得に応じずヴィジョンを具現化するチャンスが訪れる。だから彼は最大限の力をもって取り組んだ。それが功を制したから期間限定だったけど儲けることが出来たのだ。そしておいららは儲けることが出来る状況下にあるにも関わらず弾きだされた。どんな理由や力が働くとこうなるのか、実は今も分からない。そしてそれなりに地元の役場に不信を植え付けた。それはとても根深く。

でもどんなに担当さんが頑張っても真実は変らない。期限付きの恩典。しかしこれはその大手企業の企みだけではない。国が裏取引に応じたのだ。それを話してくれたときの担当さんは辛い顔をした。「どんなに俺が頑張っても、『ここ』までです」

少なくとも腹立たしさで想念をぶつけるのは逆恨みだ。ご褒美をもらったつもりでいるけど、永久は約束に含まれていないぞ。この時代に頑張りだけでなんとかなると思うのは考えが甘い。で、あるプロガーの意見だけど、一所懸命やってるつもりで報われないのはその上にある真剣に努力をあげることが出来ないからだと・・・・・。ふざけんな。お前の信じるものも偽物だ。言葉のトリックを使う奴は偽物だ。真剣に努力するとは、一所懸命努力することと同じ。レトリック遊びしてるだけ。それに霊能者で指導的な立場ならせめてこういう場合は、一生懸命ではなくて一所懸命を使え。

この国の国民とは農民の事だ。よその国は王様は国民を飢えさせないことを約束して王となり国を治める。だから国民は従ってきた。この国は上前を撥ねることで成り立ってる。怨霊信仰があったからこそ天皇制は残された。記紀神話とはそういう内容だから、微笑ましいエピソードがないのだ。ほかには宗教家もまつろわぬ民の一員だ。歌舞伎役者や狂言師を加護したのが天皇家や時の為政者だったから残されただけ。士農工商に含まれていないんだぞ。おそらく国家公務員であった陰陽寮を除いては・・・・。明治政府が廃止したけど。統治するのに邪魔だった。天空の変化さえも神の啓示としたせいだろう。まあ大元の陰陽道は土庄で引き継がれてるから・・・・。それはもっと古い時代の中世の話ですけどね。天体を見て国民が凶事をもし占えたら統治は不可だから。簡単ではダメなのだ。作法がないと、祭式がないと、それは叶えられないものとされた。最初の祓い屋って陰陽師だと思いますけど。安倍清明の逸話なんて手品の種で説明がつきそうだけど言葉巧みに人心を動かすことが出来たのは天ぶの才だろう。目に見えないウイルスを目に見えない鬼にして祓う。目に見える災害を目に見えない力で祓う。素晴らしいぃぃぃ。

猫に額ほどの痩せた土地でも一所懸命努力して汗水流して働いたんだ。だから生まれた言葉。ただし、こう言う人間だからこそ、言霊なんか簡単に言う。これを駆使して操れるのはおそらく日本でも数人だろうし、歴史上でも少ないだろう。嫌いと言えば嫌いと伝わるだけ。言われた方はおろおろするけど相手が嫌いならせいせいするだけ。

おいらには努力の上に真剣などないと思う。それ誰が望んでいるんですか?って聞きたくなる。仕えてるはずのものと発言が異なっているぞ。レトリックと使うのは陰陽道。あなたがしてるのは修験道。お祓い専門が人の人生弄ぶような言葉遊びをしちゃいけない。勉強会一回で参加費用10万円也・・・・。10万円だせる人だけ幸せにすればいいじゃん。あげればいいじゃん。運気でもやる気でも。でもね、その論法だと誰も救えないです。困ってる人は10万円ありません。だから困っている。努力しても報われない人を悪霊のせいにして祓い除ける簡単な方法があります。それさえなくなれば「もう大丈夫」といってとことん話を訊いてあげること。矛盾点を突いて、心を開かせること。根気がないから真剣なんて誰もなかなか到達しえない言葉を使ってる気がした。まあ信じてる人はたくさんいるから、それなりには力があるんだろうけど、それは不動明王の力であって個人の資質ではないぞ。念じるだけで神仏も召喚しないで祓ったり、人をハッピーに変えたりしてみろ。きっと出来ないから。

せめて真剣を、もっともっと努力してみるの方がいい。おいらも手を抜いて生きてきた。こんなもんだと思っていた。だけど真剣に努力はしたんだよ。真剣って100%の上でしょ?完璧な人間でもあるまいし、皆が皆修行僧で上に上がりたいとは思っていないぞ。俗世はもっとも汚い感じで言うけれど、俗世こそ極楽だって知っているから、祀ろわぬものが干渉してくるんだと思う。死人の数の方が生者よりも多いはずなのに、逆転しないのはなぜなんだ。時々漏れ伝わる裏の世界のことを極楽と呼ぶなら信じない。もう大悪党がいて善人がいて、それが同じ場所へいくのは不公平だと思っているから、人は神を作り宗教を作った。時代に合わせて変化させた。ただそれだけのこと。

地獄へ送られるような人間だったおいらが彷徨った場所は暗闇だったけどただただ心地よくて暖かかった。おいらも悪党も善人も知んでも同じ場所って不公平だと思う。思ったからこそ神仏を信じないときもあった。まずは仏を見限った。そして壊れた・・・・・。で、今は世界中の神や仏を尊くて高位な霊性を持つモノであると認識してる。それが元人間でもいいし、宇宙創成からの思念体であってもいい。ただ「ある」ことを知っていればずいぶんと心強いだけだ。本物はワンタッチで人を地獄にも天国にも送れると思う。

発した言葉にそれこそ責任がないから、真剣さ(説得力)に掛けるんだと思うぞ。書道家の武田双雲さんみたいに書を極めた人の言葉の方がずっしりと重いぞ。でも心を軽くするぞ。霊能者を気取るならば警告しろ。近づくなと。力が特権なんだとみずからで晒すな。霊能者がペテンにかけてもいいのは人を幸福にするときだけだ。もっと真剣に、もっと努力して、ああやっぱりあなたの真剣さが足りませんって魂の面接官かって言うの。おいら真剣に取り組むと逆に人はダメになると思うからおすすめしない。真剣にやっても人生が報われないと知ると人は静かに命を絶つ。そういう絶った人を知っているから。抗弁を垂れるならキレイごとは要っちゃいけない。それが人の資質を物語る・・・・。

・・・・ああ、横道に。。だって言い訳のない人生もまた味気ないと思います。後悔してなんぼ。

まあ、集団ヒステリーのオカルト版みたいな現象が起こっているんでしょう。とにかく人にバカにされるのを嫌う。嫌うは誰でも同じだけど嫌い方が尋常じゃない。少なくともおいらを追い込んだ数名はその代表格だった。だから依怙贔屓も尋常じゃない。社外が異例と思うほどには。

このまま地震が納まるといい。原発もあるしね。

そのその原発地を選択したのは日本じゃない。アメリカの指定。その頃にはもう地質調査や活断層の影響も知られていたんだって。何するか分からないと思われた日本人にはちゃんと首輪をつけていた。あんがい日本の聖地のそばに原発があったりするのもそういう側面があるからね。神道の代表的な祝詞の『天津祝詞』ですが、そのパワーを恐れてマッカーサーなどそれこそ真剣に削除を強制したんだって。日本のTATARIに恐れていたのだから。祟りは英語でもまんまTATARIなのですよ。まあ震源地の数十キロ先には原発があって、日本有数の神がいる。

で、カンちゃんの本体はすごく小さくて消えそうで遠くにいるのに、はったりのイメージでは背中を合わせてる。裏の方でこの人の表にいるんなら、それこそ死んでしまいたい。

裏切った後ろめたさやその後権力が宿る土地にならなかった怒りが、西の想念の源ですかね。深層心理で人類は繋がってると訊くし・・・・。いい加減ものの本質を見ればいい。その後ろ盾がなきゃ君らは信じなかったはず。憎むなら国と言うシステムを憎むべきである。ラスボスを知らずに攻撃するのは八つ当たりと同じです。

そうぞ心静かにして鎮まり給え。だからそれは一企業を少しだけ設けさせるようなちっぽけな物語ではないんだから。それとカンちゃん、ざまあみろと言いたい気分なんだろうけど、おいらもうそっち方面に何の興味もございませんぞ。あんたがどうなろうと知ったこっちゃない。そう例えば背中合わせだとしてもそこには一枚薄い層がある。結果として結界だ。ご愁傷様です。・・・・まだご苦労さんかな?

問題は山積してるでしょ?でもね、ここは家族の方が大事です。それは分かって欲しいな。神とは族を護るものなのだからね。

その土地で生まれた人はその土地の神に許されて産声をあげると言います。今は氏神に総称されていますが、正確には生まれてくることをお許しになる神は産土神(うぶすなかみ)と言います。現在、総称とされる氏神の氏とはある一族をさします。その土地を納めていた武将とか領主古くは貴族・豪族とか。一般市民には一部の承認を除いて屋号があっても苗字はありませんでした。だから氏神さんは一族の繁栄や一族を脅かす怨霊を祭り鎮めるために建立された社であって、今はそこに住まう住民の神となりました。

おいら達の場合、七五三には氏神神社と名を決めてくだすった神社の両方でお祀りして貰っていたようです。しかし本当は新しい産土の神になりえるものがおりました。ご神体は海からの漂流物・・・・。そう〇〇の八幡さんです。この神社の建立の発起人には数名の親戚が含まれていました。一度補修した際の板の裏にその面々の名前が墨で書かれていたようです。でも昭和の中ごろには忘れてしまった。まあ八幡さんには宮司がおらず、氏神さんと名付けた神社の太夫(父らはこう呼ぶ)が変わりばんこで例祭などを執り行っていたそうです。でも日ごろの大切なお願い、例えば豊漁祈願などは手っ取り早く八幡さんにお願いした。でも肝心な時は忘れてしまうんです。父の生家から50m離れていない場所に八幡さんはあって、許されておいら達は生まれてきたのだから。死してもなお祈り続ける祖母の想いも気づきもしないで。地元にあるこの地方の三宮(先祖が宮司してました)の神社を都合よく忘れていたように、墓参りにいくたびに視野の中にあった神社をようやく思い出せたのも、今年の誕生日の日でした。だから父とお詣りに行きました。建立に親戚が関わっていたことをてんで都合よく忘れ、豊漁の祈願や海の安全だけを日々祈った場所であるにも関わらず、漁師を辞めるとまったく訪れることもなくなった・・・・・・。 

普通はそんなもんで祟られることはないんですが、祖母がかけた願はその当時にしては恐れ多いものだったんでしょうし、血を呪いながら少しづつ壊れ始めてた祖母が何を祈ったのかは想像がつく。富国強兵。子を産め。国を守るために戦う兵隊を産め。多産はもてはやされ国の宝とされた。その出産ごとに血を呪い始める祖母の姿。そして隠された母。

突然のカミングアウトで驚いたけど、母が結婚してしばらくしてから「なんで〇〇に嫁にやるん、あそこはね・・・・・」とか後ろ指さされていた家系だった。その頃はまだ祖父は健在で漁師内を束ねる相談役みたいな存在だったと言うのだから、チンピラ〇〇〇の類いだったんだろう。学がないからと漁業組合の組合長を辞退したと訊き伝ってはいるが、本当のところは尊敬できる父ではなく、その辺の顔役で恐ろしい人間だったんだろうなぁ。昔は役人と顔役はWINWINの関係だった。今とは違う時代の話・・・・・。でもさ、母。実家から実家まで200mも離れていないでしょう。情報ミスですよね。母家族の・・・・・・・。肩で風切る着流し姿がまた格好よい時代の事だ。父と叔母なら尊敬しただろう。おいらにはドン的な怖さを内に秘めた姿しか思い浮かばないけど。とにかく儲けては家を建てては兄弟に譲るような人だったようです。まあ、くれてやったって感じでしょうかね。きっと深く探ればおいらが尊敬に値しないような逸話や寓話ばっかりなんだろうなぁ。とにかく『家』そのものに深くご執心だったみたいです。だから家族ぐるみで親戚ぐるみで、傷ついて疲れ果てた壊れものの祖母を恥部と見做して隠してしまった。

だから、今もまだ祖母は浮かばれないんだろう。その声はもはや届くはずもないのに、姉に囁いているようだけどね。もう先祖と言え立派な悪霊怨霊ですね。何度母に乗り移り父の世話をさせたけど満足しない。この人はきっと満足しない。恨み相手は父ではなく、すでにみんな死んでるから。死んでること自体を未だにわかろうとしていないのかな?過干渉で過保護で育てた父のことをこの上なく今も愛し続けてる。

まあ、愛するだけならばいいんですがね。それ以上に恐ろしいことを産土の神に祈ったんですね。父を連れ立ってそこを訪ねてしまうなんて・・・・。忘れているのは忘れるだけの理由があるってことを知りました。もう行かないけどね。生まれたことを許してもらってありがとうございますとしたお礼詣りだったのですから。祖母の存在を知らせてくれたのも、また神さんでした(笑)。

まあ想念とは総意ではない。総意を騙っているよですが、カンちゃん、総意ではないんですよ。あくまで想念。それは怨霊にはなりにくいんですよ。しかしパワフルではある。地震が起こって喜んだ顔が見えてくるけど、今度こそ跳ね返るものは小さくはない。二か所ほど大きなチェックポイントを通過しているから、もれなく成りすましのカン違いは筋が通らないのでありませんよ。今度こそ紛れもなく総意の代表者でなろうとするカンちゃんに跳ね返ります。どうやら自分の寿命を縮めてまでも晴らしたい恨みだったんですね。でも最初からハズされていたでしょう。20数年前に選ばれなかったのは警告だったしチャンスだった。どう見ても「他の道を歩け」だと思いますけどね。固執して固着して執着した。まるで呪うために生まれたように・・・・。でもそんな役目を神さんは振ったりはしてないと思いますよ。そう言うものになりえたのは怨霊になりえたのは本来、我が血を呪うおいらのような愚かな人間にふられるものだったのだから。あなたは神社の倅として生まれてきた時点で、祝うことを定められていた。だからね。おいらとあなたの立場はあるときに逆転してしまった。だてに辞めた会社が次々と潰れていないぞ(笑)。

だからもしおいらが意識して、カンちゃんの背中を近くに見てるのは、なりえたかもしれないモンスターの、それが背中だったからですかね。ずいぶんしょぼくれてまた一段と頭を垂れています。報道よりは早いだろうから、かなりのショックでしょうが、ママの縁故を使ってステップアップしとけばよかったのに。どうして好きじゃないのに好きなフリして仕事しているんだろうと不思議に思う。好きなことをするのが仕事ではなくて、嫌いなことでもしないといけないのが仕事なんだ。おいらは嫌いなことをそれでも仕事として出来なかったからドロップアウトしたんですよ。その業種に必要な資質に欠けているくせに、”好きだから”って言う理由でみんなに迷惑をかけてきたんなら、本当に生きる厄災みたいな男だ。自然災害みたいな人間だ。ただ仕方ないほどの超自然力でもないから、生きる呪物、生ける事故物件です。

優良物件と選民思想を間違えた、やっぱり愚か者だ。

おいらは期待と裏切りを間違えた、粗相者だ。

似て非なる非なる非なるもの同士。どっかで間違えて混線したね。でもさようなら。おいらにはおいらでまだまだたくさんやることがあってもうたかがカンちゃんの呪い程度に怯える心はありません。祖母を供養して、おいらの中の神さんをいつか神上がりさせること。それを託されて生きていきます。どんなことがあってももう他人です。触れあう袖もありません。他生の縁もありません。

でももし祝った結果が呪いとなるならば可哀想な力でもあるな。そうならならいのはやっぱりどこか邪でそれが神モドキだからじゃないんですかね。使える神も天職みたいに思ってるその仕事も全部が真逆なんてね。笑えない喜劇です。

だから呪いだと思っても何もしない方がいいと言うんですよ。そんな憎しみを誰も抱えて生きていないよ。笑って笑って幸せになりたいから頑張ってる人たちばっかりですよ。それを見下す権利はカンちゃんにも誰にないです。

人を呪う人には金輪際なりません。

だってそのおいらは正しくないし醜かったし、何よりも嫌いだから。嫌いなことが苦手で初めて良かったと思います。

さようなら、愛した営業所。

さようなら、17年間愛してやまなかった仕事たち。

とても近くて、とても遠いところで背中合わせだったカンちゃん。もうカンちゃんは気づいてもいないね。でもまだ見えてる。

今度はおいらから断たないとね。結局負けたような気がするな。

もしも想いが伝わることがあるのならば、それでも許すからさ。この土地を祝ってやってください。


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