岐阜城を見物の後長良川河畔の宿「十八楼」に入り、夕方から鵜匠の説明を聞いた後、屋形船に乗船して、宴会をしながら鵜飼が始まるのを待ちます。
7時15分花火が上がり鵜飼が開始されます。
最初は松明を掲げた鵜飼舟が屋形船と併走する形で鵜飼の様子を見られます。
鵜飼は漁師が鵜を遣い魚を捕える漁法で、およそ1300年ほど前から行われていました。伝統漁法を今に伝える鵜匠は世襲で受け継がれ、長良川には現在6人います。正式な職名は宮内庁式部職鵜匠といい、長良川の鵜飼用具一式122点は、国の重要有形民俗文化財に、長良川鵜飼漁法は岐阜市重要無形民俗文化財に指定されています。
織田信長や徳川家康など時の権力者たちの保護を受け、俳聖・松尾芭蕉も「おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」という有名な一句を残しています。
鵜飼の圧巻「総がらみ」は、6艘の鵜舟が横一列になり、浅瀬に鮎を追い込み巻き狩りをする漁法のことで、「ホウホウ」とかけ声をかける鵜匠と、鵜、そして鵜舟が一体となって鮎を追い、鵜飼はクライマックスを迎えます。
鵜匠の親子、代々世襲との事この少年は小学校4年生、衣装の頭巾は松明の炎で髪の毛が焼けぬ様、この写真では見にくいのですが前垂れも炎が襟の間から火が入らぬ様、又黒尽くめは鵜を驚かさないため、足には川底で滑らぬ様又、水の抵抗を少なくするため半分位の大きさの草鞋を履いていました。
漁場へと向かう
全て EOS20D+EFS17-85mmF4-5.6IS USM
7時15分花火が上がり鵜飼が開始されます。
最初は松明を掲げた鵜飼舟が屋形船と併走する形で鵜飼の様子を見られます。
鵜飼は漁師が鵜を遣い魚を捕える漁法で、およそ1300年ほど前から行われていました。伝統漁法を今に伝える鵜匠は世襲で受け継がれ、長良川には現在6人います。正式な職名は宮内庁式部職鵜匠といい、長良川の鵜飼用具一式122点は、国の重要有形民俗文化財に、長良川鵜飼漁法は岐阜市重要無形民俗文化財に指定されています。
織田信長や徳川家康など時の権力者たちの保護を受け、俳聖・松尾芭蕉も「おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」という有名な一句を残しています。
鵜飼の圧巻「総がらみ」は、6艘の鵜舟が横一列になり、浅瀬に鮎を追い込み巻き狩りをする漁法のことで、「ホウホウ」とかけ声をかける鵜匠と、鵜、そして鵜舟が一体となって鮎を追い、鵜飼はクライマックスを迎えます。
鵜匠の親子、代々世襲との事この少年は小学校4年生、衣装の頭巾は松明の炎で髪の毛が焼けぬ様、この写真では見にくいのですが前垂れも炎が襟の間から火が入らぬ様、又黒尽くめは鵜を驚かさないため、足には川底で滑らぬ様又、水の抵抗を少なくするため半分位の大きさの草鞋を履いていました。
漁場へと向かう
全て EOS20D+EFS17-85mmF4-5.6IS USM
有難うございます。
3枚目は唯一ノンストロボで物になった一枚なのです。
流石お目が高い。m(__)m
テレビなどでは、何度もありますが、暗い中、たいまつの火のもと盛り上がるでしょうね。
暗い中、それも船の中からの撮影、難しそうですね。
鵜匠が皇室に属す公務員である事が大きな問題になった頃を思い出します。
何を堅いことをなんて思いながらニュースを見ていた時が思い出されました。
しかし、面白いですよね。
さすが小泉さんも、民間にとは言いませんでしたね。(笑)
僕は説明を聞くまで公務員とは知りませんでした。
今から30年ぐらい前、出張で福岡に行った時、筑後川の原鶴温泉で鵜飼を見ました。
長良川の鵜飼は初めてです。
鵜飼に使う鵜は海鵜だそうで、茨城県の福島よりの所から捕まえてくるそうです。
コメント頂き有難うございます。
「十八楼」僕の泊まった部屋は和風でしたが、長良川に面していて気持ちのいい旅館でした。
食事は船の上で弁当でしたが、まあまあと言うところかな?朝食は上の下ぐらいか。
鵜飼は宿からスリッパで目の前で乗船する感じです。
小さなお子さんでも大丈夫だと思いますよ。
それから船の上で焼きたての鮎が出ましたがこれは美味でした。
鵜飼の流れを説明すると、先ず鵜匠の説明がありそれから乗船(貸切と乗り合いと有るらしい。僕らは貸切でしたが)船出して上流に向かいトイレ船のところの岸に投錨し弁当を食べながら鵜飼が始まるのを待つ。
日が暮れて7時15分花火が打ち上げられそれを合図に迂回が始まる。
①鵜飼の船と見物船と並行して鵜飼を見ながら川を下る。
②下の方で岸に投錨。
鵜飼の圧巻「総がらみ」は、6艘の鵜舟が横一列になり、浅瀬に鮎を追い込み巻き狩りをするのを見物します。
説明が下手で申し訳ありません。
お分かりになりましたでしょうか?