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Die Mondsonde -イギリス航海日誌-

2011年春よりLondon勤務。WEのミュージカルと日々の生活を綴ります。
Twitterはmondsonde。

その名は”若き戦士” -アイルランド・ダブリン(4)-

2012-11-01 21:31:28 | イギリス国外旅行
アイルランド旅行記、最後はアイルランド独立戦争の跡地めぐり、中央郵便局とアイルランド銀行、グラスネヴィン墓地とキルメイナム刑務所です。とおもったんですけど、墓地の写真が多すぎて(!)やっぱり墓地はもう1回別記事にします。なんせ今回の旅の最大目標、マイケル・コリンズの墓前にお花を供えることですからね。。。旅の目標が刑務所と墓地なんて、どんな旅なんでしょうね!



General Michael Collins
体格が大柄だったので、The big fellah(大きいやつ)と親しみを込めて呼ばれたマイケル・コリンズ。自転車に乗っている写真が一番有名ですね(本人もこの写真が好きだったとか)。軍服きているし、独立戦争、続く内戦と闘っているので軍人のイメージ強いんですけど、実はアイルランド自由国政府での立ち位置は財務大臣だったMichael。それでも一般的にはGeneral Michael Collinsとよばれます。Collinsという名字はゲール語では Ó Coileáin となり、その意味はyoung warriorという意味だそうです。納得。Michaelは恐らく大天使ミカエルからきているのでしょうが、ミカエルもよく戦いの天使として描かれますよね。どっちも戦いに関係する名前なのか。でも、顔も結構いけてるんですよ。これが人気の秘密か(まあそうだろうな)。土方さんと似た顔してます。うふふ。そういえば、私の好きなKillianはミュージカルで彼を演じてるんですよね。演説のシーンとかかっこよかっただろうな~。


マイケル・コリンズという映画は、その描き方に賛否両論ありますが、私はとても好きです。死してなお、というか若くして死したが故に英雄となったマイケル・コリンズ。コリンズとは別の道を歩んだのちのアイルランド大統領、イーモン・デ・ヴァレラの苦悩。マイケル・コリンズに惹かれ、立場を超えて友情を結ぶイギリス側諜報員ネッド。マイケルコリンズの親友ハリー、恋人キティ、世話女房ジョー(男)。一部史実と違うところもありますけど(ハリーの死に方とか、マイケルの投獄場所とか)でも、彼の持っていたカリスマ性をリーアム・ニーソンは存分に演じていると思います。ちなみに、盟友(?)イーモン・デ・ヴァレラを演じたのは今やスネイプ先生として有名なアラン・リックマン。これが嫌みなくらいリーアムと対決するのが似合うんですよね。。。(ダイ・ハードといい、マイケル・コリンズといい、スネイプ先生に決まったときはまた嫌みな役か!と思いました(笑))恋人キティはジュリア・ロバーツ。甘いマスクのハリーを演じるのはエイダン・クイン。ネッドは個性派スティーブン・レイ。暗殺者のチョイ役はジョナサン・リース・マイヤーズ。今考えると、すごいキャスティング。ちゃんと大方はアイリッシュ系だし。


(1)中央郵便局/GPO
1916年4月24日に始まったイースター蜂起の中心舞台となった、アイルランド史上とても有名な場所。映画にも、出てきます。メインストリートのオコンネル・ストリートにあります。あまりにも普通に史跡があるので、素通りしそうになりました。危ない危ない。もちろん、今でも中央郵便局として機能していますので、切手も買えます。ちゃんとここで切手買って投函しましたよ。自分に宛てたけど(笑)はがきはトリニティの図書館のもの。郵便局の中には、アイルランド伝説の英雄、クーフリンの像も(ちっちゃいけど)。しかしね、未だに郵便局なわけですから中では普通に業務を行っているので、いくら私でも妄想に浸りにくい雰囲気。



中央郵便局の屋上に翻るアイルランドの国旗。イースター蜂起の時に革命軍(革命じゃないから革命軍じゃないんだけど)が自由アイルランドの旗を掲げたのも、まさにここ、中央郵便局の屋上でした。風がちょうど吹いて旗が綺麗。



外の柱には、未だに、当時の弾痕が(小峰城か、ここは・・・。)。
イースター蜂起を記念する銅板もありました。


(2)キルメイナム刑務所/Kilmainham Gaol

http://www.heritageireland.ie/en/dublin/kilmainhamgaol/


イースター蜂起が失敗に終わり、主犯格が投獄、処刑されたのがここ、キルメイナム刑務所。中は英語のツアーでしか回れません。まあ、興味ない人はこんな刑務所なんかには行かないのが普通なので、余計なお世話かもですが、英語のツアーですし、重い歴史を背負っている場所でもありますから、アイルランド独立、特にイースター蜂起あたりは勉強してからいった方がいいかも。ツアーも15分だか30分だかおきにあるのですが、一回のツアーの人数が限られてますから、時間に制限のある時、観光シーズンは早めに行かないと思った通りの時間内では回りきれないかも。ツアー開始までの待ち時間は併設のカフェか、展示物みて過ごすか。(これしっかりみると1時間かかると思う。アイルランドの当時の刑務所、刑罰の解説から、イースター蜂起、アイルランド独立戦争まで、きちんと丁寧に説明してあります。)





刑務所内部。ここ、まさに映画で使われていましたね。なんか感動。
キルメイナム刑務所は、イースター蜂起以前から刑務所として使用されていたとのことですが、徐々に政治犯を収容するようになり、独房を備えた近代的な(・・・・)刑務所を増設したとのこと。これがその部分ですね。ちゃんと、イーモン・デ・ヴァレラがいた独房、プランケットがいた独房と、銘打ってあります。映画では、マイケル・コリンズもここキルメイナム刑務所に投獄されていたことになっていますが、実は彼は別の場所に放り込まれていたので、ここにはいませんでした。



Eamon de Valeraの独房。ちゃんと、1916年とあります。
Eamonは、イースター蜂起で重要な役割を担っていたにも関わらず、生きてこの刑務所から出れました。それは、彼がアメリカ生まれでアメリカ国籍を持っていたから。



天井が光を通し、広い空間になっているので、一見刑務所の内部とは思えない。。。
でも、これは独房を壁に沿って配置し、中の階段、通路で看守がみはることで看守の人員を削減しつつ、効率的に監視できるようにした仕組みなんだとか)



中庭。
ここにも、刑務所の入り口と同様にアイルランド国旗が翻っています。ここは、イースター蜂起で主犯格とされた14名が蜂起鎮圧後10日とたたずに銃殺刑に処された場所。旗の元にある銅板には、彼ら14名の名前と、処刑が行われた日が刻まれています。その中には、DARTの駅の名前になっているJames Connolly、Patrick&William Pearce兄弟も。James Connollyは、イースター蜂起の際に重傷を負い、この刑務所に収容されていなかったにもかかわらず、わざわざ病院からここまで連れ出し、銃殺されたのです。傷のせいで立つことさえままならなかったJamesは、他の人と異なり、椅子に座らされたと。彼の椅子が置かれた場所は、この旗に向かって右手にありますが、そこには小さな十字架が立っています。


1916年のイースター蜂起はアイルランドの歴史の一部でしかないけれど、キルメイナム刑務所に来て、その歴史の一端に触れることがてきて感慨深いです。


(3)アイルランド銀行

今でこそ銀行として使われていますが、元々はアイルランド議会の建物だったここ。
アイルランド議会といっても、イングランドに併合される前の議会です。つまり、1800年の連合条約でアイルランド議会が解散させられるまで。この条約の撤回を求めてダニエル・オコンネルが立ち上がるわけです。ここも、通常の銀行業務を執り行っている横をそそくさと奥の部屋に入るとこんな豪華絢爛な部屋にたどりつきます。


窓がないのは議論に集中するためだとか。なかったらないで閉塞感で良い議論ができないとか言われそうな。。。。


さ、次はいよいよ最後、グラスネヴィン墓地です。マイケル・コリンズのお墓にお花を添えることはできたのか!?

イングランドは遥か彼方なり -アイルランド・ダブリン(3)-

2012-10-30 19:27:03 | イギリス国外旅行
ダブリンについて最初の日はお天気良かったんですけど、次の日はなんともアイルランドらしい天気。
つまり、曇天、強風。


でも、イギリスとアイルランドを隔てるIrish Seaを見にDARTでブレイという街まで行ってきました。
DARTとは、Dublin Area Rapid Transportの略。ダブリン郊外の海岸線を結ぶ郊外電車です。DARTには、川の北側ならConnolly Station、川の南側ならTara Street StationもしくはPearce Stationから乗れます(我々は行きはTARA Stationから乗り、帰りはConnolly Stationまで行きました)。しかし、コノリー駅にしてもピアース駅にしても、どちらもアイルランド独立戦争の狼煙となったイースター蜂起の中心的人物、James Connolly、Patrick Pearceから採っていますから、どれだけこのイースター蜂起がアイルランド人にとって重要かという示唆ですよね。いちいちこれに感動してたらDARTになんか乗れないです(笑)



Tara Street駅
ゲール語の表示だけみてると、ここで来た電車に乗ったらティル・ナ・ノーグ(アイルランド伝承上の妖精の住むところ)へ行けそうな雰囲気。それはナルニアか。


しかし、この日は運悪く(?)日曜だったかBank Holidayだったかなんかで、なかなか電車が来ない。駅のホームは寒風吹きすさぶので、みんなホームに上がらず、階段で待っているか、柱の陰で待っているかでした。おかげでDARTはすいていたんですけど。



DARTはこんな電車。
乗り心地はまあまあ。通勤電車っぽく、30分以上乗るにはちょっと席が固いかも。ブレイに行くときは進行方向向かって左が海になるのでそっち側の車窓が素敵。本当は、DARTでダブリンから北のマラハイド城の方へいこうかと思っていたのですけど、マラハイド城が2012年は修復中ということで、南へ。せっかくダブリンの郊外まで行くのだから、ちょっとピクニックでも、と海岸ぞいを歩くことを予想してブレイの街まで行くことにしたのですが・・・・



Bray Stationのあったモザイク画。1920年代の様子、ということで、それってマイケル・コリンズの時代だよね~!!と1人興奮する私を白い目で見る妹。いいじゃないか。
Brayは終点から一個手前。



見よ、モザイク画の四隅にはちゃんとケルトの渦巻き模様が。抜かりはないのです。
流石アイリッシュ。



遠くにみえるのがブレイ・ヘッド。遠いなあ!


なんと、ブレイの駅に降りてからブレイヘッドまでは優に1km、2kmはあるんです(笑)
ええーきいてないよ。遠いよ。でも歩く。DARTで一緒になったお姉さんと、帰りの電車確かめておかないとね!といって、2時間後くらいの帰りの電車を確認してから出発。ブレイヘッドまでは、海岸線をひたすら歩きます。


が、これがきっと晴天且つ波低しだったらまた違うのでしょうけれど、本日天気曇天なれども波も高しだったのでね・・・・。


つまり、強風、強風、そして寒い!!ブレイヘッドまでは写真の通り砂浜を左手に歩くのですけれど、砂っていうか小石がバンバン風に飛ばされてくるのです。痛い痛い!そして寒い!最初は何事かと思いましたが(だって砂粒にしては大き目のものがばしばし飛んでくるし)、あまりに痛いのでマフラーを顔を覆うように巻く羽目に・・・。



荒れ狂うIrish Sea。


ブレイヘッドは、ぐるっと岬のようになっているので、海岸線沿いをクリフ・ウォークといって歩けるようですが、この日は断念。あまりに風が強くて・・・。クリフ・ウォークなんてわざわざ名前が付いているところを歩いたら落ちそうなんですもん。このブレイヘッドからは晴れていると遠くイングランド(というかウェールズ?)が望めるようですが、当然こんな天気では望めるはずもなく。マイケル・コリンズは、英愛条約を結ぶためにアイルランド側の交渉団の一員としてこの海を渡ったのかと、想いだけは遠くイングランドに馳せてみたりして(どこへいっても、何をしてもアイルランドにいるときは心がマイケル・コリンズから離れることはありません。どんだけ好きなんだ自分。というかこういう妄想系は得意科目。)。かの条約にサインしたあと、I may have just signed my political death-warrantと、自分の政治家生命の死刑宣告をしたようなものだとつぶやいた英国政治家に対し、彼は「I may have signed my actual death warrant 私は(政治家生命ではなく)自分の死刑宣告書そのものにサインしたようなものだ」と答えています。彼は、その9ヵ月後に銃弾によって斃れるわけですが。ロンドンからダブリンに帰ってくる彼の船上の気持ちやいかに、だったのでしょう。。。
そんな重苦しい気持ちと正比例するかのようなアイルランドの空。雨が降らなかっただけ、ありがたかったです。



ブレイヘッドから望むダブリンの方角。
ぐるーっと湾になっているので、ダブリンそのものは見えません。でも、この波頭というか全てが白くなっている海で強風具合がおわかりいただけるかと。本当に、ブレイヘッドの先端にいるときは飛ばされそうでした。多分、マフラーなんか手放したら一瞬で吹き飛ばされて空の彼方だったと思います。


いや、とにかく寒かった。コートが潮のにおいで一杯になりました(でも海好き。)。アイルランドは寒い、風が強い、暗いというのを身を持って体験しました。それでも、DARTで近郊まで行くって楽しいです!季節を選んだほうがいいと思いますが(GWではまだ早い)、おススメです。何もブレイまで行かなくても、ダン・レアリーとかでもいいですしね。。。じゃあなんでブレイまでいったんだ、と言う感じですが、だってとことんIrish Seaを味わいたかったんですもん。あまりの風の強さにクリフ・ウォークは断念しましたが。。。。

まずはレプラホーンに会いに -アイルランド・ダブリン(2)-

2012-10-28 20:52:50 | イギリス国外旅行
ダブリン空港から市内までは、色々手段があるようですが、基本バス。no.16Aかno.40の一般の路線バス。これがまた見つけにくいんですよね、空港で。でも、安く街の中心部、オコンネル・ストリートまで連れて行ってくれるので便利です。所要時間20分くらい。


オコンネル・ストリート(O'Connnel Street)は、アイルランドの英雄、Daniel O'Connnellから取られている、ダブリン一の目抜き通り。この通り沿いに、1916年のイースター蜂起の舞台となった中央郵便局もあります。


それと、バス案内所とインフォメーションセンターも。今回の旅はダートもルアス(ダブリンのトラム)もバスも使いこなす予定(無謀)だったので、このバス案内所で3日間バス・ダート・ルアス乗り放題チケットを購入(23ユーロ/3days short hop。これ、結構使えました。でもダート乗らないのならもったいないかも。しかも、ダブリンのバスは次の停留所の案内のアナウンスも表示もないから、初心者はやめておいた方がいいかも。だいたい墓地とか刑務所とかいかなければ全て徒歩圏内だし(そんなところばっかり行った我らはどうなのよ)。



オコンネル・ストリートにあるDaniel O'Connellの像。高くて見えない。。。


さて、では、まずはアイルランドの妖精とケルト的なものを求めて!

(1) トリニティ・カレッジ/Old Library(8.5ユーロ) 
http://www.tcd.ie/
アイルランド最古の大学。正式名称はThe College of the Holy and Undivided Trinity of Queen Elizabeth near Dublin
ながっ!


大学の中庭。


ここの図書館には、有名なケルズの書が収められており、見ることができます。入館までにすごく並ぶので(切符売ってるお姉さんが一人しかいないから)、朝一番でいくか、オンラインで先にチケット買っておいて行く方がいいかも(上記HPのVisitors→Book of Kells→Online Bookingから)。図書館のロングルームは、思わず息を飲む美しさでした。ウィーンの図書館(der Prunksaal)もそれはそれは見事ですが、こちらも、上から下までびっちり革表紙の本が木製の書架に詰まっていて、所々に梯子が立て掛けてあって、胸像が置いてあるという、まさに我々が想像する西洋の図書館そのもの。図書館っていい。。。


ロングルームに入る直前には、ユーロの裏のデザインにもなっているアイルランドの竪琴もおいてありましたよ。


ちなみに、ケルズの書は、世界で一番美しい本なのだとか。アイルランドのケルズというところで9世紀に作られたとされる、キリスト教の福音書を手書きで記した、美しく、豪華な本です(最初は、ケルトの複数形でケルズなのかと思ったよ)。なので、中身はあまりケルトと関係ないのですが、装飾本なので、ケルズの書の中で使われている装飾文字にケルト的な要素を十分に見ることができます。ひとつの文字が如何に複雑に装飾されているか、ケルト的な渦巻き模様や組紐のような模様、鳥、猫、魚といった動物が、多種多様の鉱石から採られた色鮮やかなインクが現代なおその豪華さと伝えています。これ、一本線書き間違えたら全部やり直しだったのかしら。気が遠くなる。。。


(2) 国立レプラホーン博物館(10ユーロ)
http://www.leprechaunmuseum.ie/
国立の博物館・・・・・。
さあ、レプラホーンに会いにきましたよ。アイルランドの妖精、レプラホーンに会うには、なんと10ユーロも払わなければいけないんです(笑)せつないなあ。ツアーでしか見れないので、注意。ツアーはバリバリのアイリッシュ訛りでおこなわれるのでこれまた注意。中はレプラホーンだったら人間の世界はこう感じる、といった体験型ミュージアムだったり、アイルランドの妖精の伝承について、また、レプラホーンの伝承について説明してくれたりするのですけれど、正直いって10ユーロは高かったな・・・。一番おもしろかったのは、実はレプラホーンの服とかレプラホーンの目撃談、とかが展示してあるツアーが始まる前の待ち合いみたいな部屋だったという(笑)。もっと妖精全般についてでもいいのになあ、と思いましたが、まあ子供向きなのかも。


レプラホーンとは、緑の服を着て、夜中に靴をつくる、アイルランドの小さな妖精。富をため込んでおり、レプラホーンからその富のありかを聞き出せたものは一生暮らすに困らないとか。


(3)国立考古学・歴史博物館
http://www.museum.ie/en/intro/archaeology-and-ethnography-museum.aspx

トリニティカレッジの近くにある考古学博物館。ここでは、ケルト的な装飾品の数々が見れました。雨の中閉館ぎりぎりに飛び込んだんですけど、金細工、石に彫られた文様など、いくつもの出土品・装飾品を見ることができました。ブローチとかイヤリングとかサンディスクとか。十字架に彫られた渦巻き模様、あのケルト独特の蔦のような、幾何学的模様。タラのブローチ。私、LotRの旅の仲間のブローチはこういうものの方がよかったんだけどなあ。あの葉っぱのやつより。とにかく、装飾品に目のない私。


タラのブローチはうまく写真にとれませんでした。でも、おんなじようなブローチを。これでマント留めてたらかっこいいだろうな!

ケルト的なものといえば、この考古学博物館の後で近くのケルト音楽専門店に行ってCeltic MusicのCDを買っていました。妹が。私は、バグパイプも好きですけど(開放音なのかなんなのか、いくつかの音で許せないくらい音が外れているのが苦手だけど)、フィドルの方が好きかなあ。その昔、長野オリンピックでのペアスケート(あの頃はシングルよりペアとダンスのが好きだった。)でエルツォワ・ブシュコフペアがフリーで滑ったLord of the Danceの音楽に魂持ってかれた、というのもあります。失敗もあってぱっとしませんでしたが、Worriorsの使い方よかったんだよなあ!ペアでは永遠の天使、エレーナ・ベレズナヤを応援していた私でしたが、これは息飲んだなぁ。


おまけ。
(4)ジェイムソン蒸留所
http://www.tours.jamesonwhiskey.com/age_verification.aspx

アイリッシュコーヒー飲んだだけ。



(5)ダブリンのパブ/Old Storehouse

土曜の昼間っからすごい人(笑)そして当然全員飲んでる。。。
このお店で食べたクラムチャウダーがすっごくおいしかった!なんでだろう、Irish Seaはさんだだけなのに。アイルランドに住んでた人の話によると、やっぱり貝が美味しいんだとか。貝の違いだけなのかなあ・・・・。

アイルランドといえば・・・? -アイルランド・ダブリン(1)-

2012-10-27 00:05:50 | イギリス国外旅行
しばらく、旅気分で、旅の記録をアップします。


コッツウォルズの次は、ちょっとお隣に飛びまして、アイルランド。アイルランドへは、今年のGWに妹が遊びに来てくれたときに一緒に行ってきたのでそのときの記録&記憶です。人生初アイルランド!人生初ダブリン!


GWといったら日本だと全然あったかいですけど、こちらは4月の終わりなんてまだ「ほぼ冬」。ということで、私はコートに手袋、マフラーにブーツの完全防備でした(笑)。冗談じゃなく寒風吹きすさぶダブリンだったので、今ここで写真Upしても季節的に違和感ないかな、なんて思います。なので、写真ものっけちゃう。でも、でも、寒くてこそのアイルランドという感じもします。なんか日が燦々と降り注ぐアイルランドなんて、ジャックの愛したアイルランドじゃないわ!(ここでのジャックは高村薫さんの「リヴィエラを撃て」のジャック)



なんちゃって快晴のダブリン、テンプル・バー周辺。快晴でも寒いんです。テンプル・バー周辺は飲み屋とかお土産ものやとかがいっぱい(I Love Dublinとか書いたTシャツとか)なので、なんとなく、横須賀のドブ板通りみたい。


アイルランドはDublin空港までは、Gatwick空港(もちろんHeathrowからもあるみたいですが)から約1時間20分。隣の国なのに遠いですね。アントワープ(飛行時間55分)のがよっぽど近いわ。忘れていたけど、アイルランドはユーロです。ポンド持っていても何の役にも立ちません。同じ硬貨でも発行国によってデザインが違うユーロ硬貨の裏は、アイルランドはアイルランドの竪琴です。これも忘れがちだけど、アイルランドとイギリスはEU加盟国だけど両国ともシェンゲン協定には参加していないので、アイルランドの入国のスタンプはEUの多くの国のスタンプとは異なります。ただ、アイルランドとイギリスの間では独自の二国間協定があるので、アイルランド⇔イギリス間の旅はほぼ国内線扱いなので楽勝(つまり、あのロンドンの空港での地獄のような入国審査はなし)


アイルランド。


実は、その悲しい歴史も、美しい伝承も荒涼とした風景もとても好きで、大学で間違ったらアイルランド史を専攻したかったくらい好きなので(それでは食べていけないと思ったのでやめましたが)いつかは行きたい、行きたいと思ってました。きっかけは、多分3つ。ひとつは、リーアム・ニーソン主演の「マイケル・コリンズ」という映画。ふたつめは上にあげた、高村薫さんの「リヴィエラを撃て」。みっつめは昔のポップアイドルグループ、「Boyzone」。どれもこれも1995-2000の間にどっぷりはまったものです。当然、1番最初に友達とイギリスに旅行に来たとき(1999年)には、本屋でナルニアとともにマイケル・コリンズの本を買いあさり(変な人)、リヴィエラを撃てで出てきた教会とマーケットに足を運び(ますます変な人)、再生できないことも知らずにBoyzoneのDVDかなんかもいそいそと買って帰ったわけです(今、ロンドンで再生できてるから結果オーライ)。


つまり、私のアイルランドへの愛(というと大げさですが)は、ギネスとかウィスキーとかに対して発揮されるものではなく、重く垂れ込める雲と、希望を奪うかのように吹付ける風、荒涼としてところどころ岩がでている丘陵地帯、ケルト十字に独立の硝煙、暗い石畳の道を自転車で行きかうコートを着て鳥打帽をかぶった人々、というひっじょーに偏った部分に対して発揮されるのです。 やりたいことは、「お墓参り」。マイケル・コリンズのお墓に花を供える、これが第一目標。ああ、やっぱり変な人。ホントはBoyzoneのStephenのお墓参りもしたかったけど、結局分からず。



といいつつ、しっかりギネスも飲みました(キャプションのスペル間違った。。。)。おいしかった。ギネス・ストアハウスは行かなかったけど。エールが好きな人は、ダブリンで飲むギネスとロンドンで飲むギネスと日本で飲むギネスは全然味が違うとか言いますけれど、どうなんでしょ?


一方、妹もアイルランド大好きですが、理由が全然違いまして、O.R.メリングの「妖精王物語」シリーズ(シリーズ?)から、妖精の国アイルランドが好きなようです。レプラコーンとか、リャナンシーとかケットシーとか。なんか全然トーンが違うわ。彼女の第一目標は妖精にあうこと。そりゃ二泊三日じゃ無理だろ。第二目標はとにかくケルト的なものに触れること。こちらなら達成できそう。



ちゃっかりアイリッシュコーヒーも飲みました。ちゃんとジェイムソン蒸留所で。でも蒸留所の中には入らないで併設のカフェで飲んだだけだけど。土砂降りの中飲んだアイリッシュコーヒーは、本当に体を暖めるにはぴったり。。。アイリッシュコーヒーの正しい飲み方ですね!


つまり、二人の最大公約数はないわけで、最小公倍数を検討して取捨選択するのです。候補地は以下の通り。
・中央郵便局(イースター蜂起の現場)
・キルメイナム刑務所(!イースター蜂起の主犯格が投獄)
・グラスネヴィン墓地(マイケル・コリンズはじめ、アイルランド主要人物の眠る地)
・トリニティカレッジ(ケルトの書)
・国立レプラホーン博物館(妖精博物館?)
・タラの丘(まさにアイルランド伝承の地)
・国立考古学・歴史博物館(タラのブローチ)
・Irish seaを見る

このうち、タラの丘は、それだけで一日がかりになってしまうことから、今回は断念。
見たいもののテイストが全く違うので大丈夫か、と思われた私と妹のアイルランド旅行はまんま「珍道中」でした(笑)


空港から市内までバスに乗ろうとして券売機にコインつまらせるわ(ごめんなさい!次回からバスの運転手さんから買うことにします)
ホテルに行ったらダブルブッキングで違うホテル紹介されてどん詰まりまでいったテンプル・バーをまた最初まで戻らされるわ(アップグレードしてもらったけど。ついでに朝食付きプランにしてもらったけど)
墓地に行こうとしてバスにのったはいいけど停留所の案内もなんもなくてお墓が見えてから慌てて降りるわ(つまりいきすぎ)
アイリッシュ英語分かんないわ(バス停表示のゲール語も頓珍漢に理解)
ダートにのってわざわざIrish Sea見に行って突風に吹き飛ばされそうになるわ(ものすごい寒かった)
とにかく5月はまだ冬扱いで閉まるのが何もかも早くてやることなくなるわ。。。。


でも、楽しかったです。妹とする旅行はどこでも楽しい。ということで、次回、「レプラホーンには会えたのか?」に続きます。



公用語がゲール語と英語なので、ダブル表記。

オーストリアのお土産

2012-04-10 23:58:45 | イギリス国外旅行
先日、BBC4で3週連続Sex and Sensibility: The Allure of Art Nouveauという番組をやっていたのですが、3週目のウィーンは、グスタフ・クリムト、オットー・ヴァグナー、エゴン・シーレそして最後にこのアドルフ・ロースのロースハウスを取り上げていました。ほんとはこれでもかってくらいにオットー・ヴァグナー取り上げてくれると嬉しかったのですが、1時間では短すぎました(まだiPlayerで見れますね)。


番組にでてきたナッシュマルクトから見上げるマヨルカハウス、ヴァグナーのカールスプラッツ、ゼセッシオン館を見ていて、今年こそはウィーン行くべしと思っていた矢先、先週末のイースター休暇でドイツ・オーストリアに遊びに行く同僚にドイツのガイドブックを貸してあげたら、お礼にこれ、いただきました。




オーストリア国旗と同じ、赤と白のリボンで包装された小さな木箱にはいっているのは、もちろん。。。




ザッハトルテです。
ザッハトルテがお好きな方はトルテの上のチョコレートをみればどこのかすぐおわかりかと思いますが、これはHotel Sacherのザッハトルテです。トルテの上のチョコレートが○なのがHotel Sacherの、△なのがDEMELのザッハトルテです。ザッハーさんが生み出したザッハトルテ、デメルで買ってもザッハトルテ。


んー、久しぶりに食べました!ざりざりするこのフォンダンの部分とアプリコットジャムがたまりません。実はホテルザッハーは敷居が高くて、ウィーンの友達の家に居候していた時も、ドイツから足繁く(?)通っていた頃もほとんど行けませんでした。私が行きつけにしていたカフェにもザッハトルテそういえばありましたが、学生だったので、Melange飲むのが精いっぱいでした。そういえば、あの頃は時間だけはあったので、よく住んでた町から夜行列車(しかも2等)でウィーンまで行ってました。今思い返すとよくやったなあ、と思いますが(笑)当時は何とも思ってもなかったですねえ。ウィーン行きの夜行列車(大体23:15発くらい)が発車するMannheimまで約40分、それからウィーン西駅まで7、8時間。だから、今でも電車の旅なんてちっとも苦になりません。


ほんとは、同僚はミュンヘンで一泊するというので、開いていたらDallmayerでコーヒーを買ってきて、とお願いしていたのですけど、やっぱりイースターでお休みだったそうで(笑)、お土産がザッハトルテになった次第。私はウィーンのJulius Meinlのコーヒーの愛飲者ですけど、Dallmayerも飲みやすくて好きなのです(どちらもドイツに行った時に大体半年分調達・・・)。


この高級食料品店のJulius MeinlとDEMELがあるコールマルクト通りにはMANZという素敵な本屋さんがありますが、これも、アドルフ・ロースのデザインです。


ちなみに、私のDEMELでの一番のお気に入りはこれ、菫の砂糖漬けです。これ、日本に売ってないんですよね。箱のデザインも素敵なので、リユースできるのがうれしいのですけど、この丸い箱の形がイギリスで売っている丸い形の紅茶パックにぴったりサイズなんです(笑)なので、オフィスに紅茶パック入れとして常備しています。ウィーンに行かれる際にはぜひ、どうぞ。