日本国憲法は戦後マッカーサーによって取り纏められた。戦争の放棄や色んな事に問題も有るのだろうが最近は国民が自分の憲法を持っていないだろうか?例えば給食費に関しても払う払わないではなく払っていて可笑しい事を学校にでも役所にでも話し合いをする事が民主主義の憲法と言うか道徳ではないでしょうか?何でも自分の自由に道徳や憲法の解釈まで決められると秩序が無くなる。何でも有りの社会になり信号が赤で右矢印が青で出ていると対向車に右折しようと動かない様に勢いよく直進してくる馬鹿が居る。道路交通法では赤が止まれで黄色は注意だが道徳的には私の時代は黄色で止まる準備をして止まれと教習所で教えられた。止まる準備が間に合わない場合は速やかに前方が開けているなら進めである。マスコミも何でも有りの様でバカチョンとか?めくら?つんぼ?は不適切な言葉と謝罪する。その割にはフリップの間違えや地名のイントネーションが違っていたり何でも有りの社会を率先している。オサマビンラディンが殺されて日本に当てはめると庶民に信頼されて政治屋の行動が可笑しい時に大々的に物を言う人物は殺されてしまうのだろうか?言論の自由は表面的な言葉であり実際は報道規制が有り有りな社会ではないだろうか?アラブ諸国だって言論の自由が規制されてインターネットで社会を変えてしまった。ブログにしても同様に好きな事を書いても捕まる事は無いのだろうが当てになるかどうかは解らない。解らないのに規制するサイバー警察が殺すとか?爆発させるとか?クーデターを起こすとか?危険因子の過激な言論には迷惑する機関が被害届を出していなくても逮捕する事が有る。世界情勢が変わりテロの恐怖も無くなりのんびり生きている国で有りたいと思うが少なくても私達の社会にテロ集団がオウム真理教みたいに出たとしても殺す事は無いと思われる。もしかしたら殺されるかも知れないけどネ!休みだからと何をしても文句は言えないが総理大臣が車いすの自分の親を率いて上海焼きそばを食べに行ける総理大臣が居る事で暗殺やテロの心配が無いのだろう。私は、そうは思わない。危機管理の無さが露呈しているし今は国の一大事にわざわざ休みに上海焼きそばを食いに行く神経を疑う。本当に、こんなパフォーマンスが大好きな脳天気な総理大臣で大丈夫なんだろうか?福島では一時帰宅の練習をしている。避難所では休みも無く安堵感も無い日々を送らせているのに本当に本当に国民の代表として呆れる。もう、良いから早く子分を引き連れて辞めてくれ。お願いするよ。。憲法でお飾りと言われる天皇陛下や皇后大使に政治が悪い時や国民が苦しんでいて目を覆いたく成る時に意見を宮内庁から国民や政治屋に向けて小言ぐらいは国王として権威有る意見として取り入れたら良いと考えています。勝手に1ミリシーベルトを20ミリシーバルトに憲法ではないが相談もなく変えてしまう。見殺し論は書きたくないが本当に子供も妊婦もこれからの人生の人々から生きる権利を奪ってしまっている餓鬼政権は無くなって欲しいです。本当に、、、お、ね、が、い。
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