昨日は、母校である西脇中学校の「トライやるウィーク」ボランティア講師として演奏に行きました。
25年経ってようやく呼んで頂いた❗️
いつか、いつか、母校で演奏したいって、ずっと思っていたから。。。
本当に嬉しかったんです😂
そして演奏と共に、皆さんに伝えたい思いがありました。
約半世紀前の、私を通して、中2の皆さんへ。。。。
西中時代の私はテニスに明け暮れた3年間でした。
テニスが大好きで、年中真っ黒❗️
西中テニス部のNo.1チームとなった私は、市内大会で優勝、北番大会優勝、東播大会優勝、そして県で団体3位になり、個人では全国大会予選まで登りつめました。
スカウトも何校か来ていて、父の進める私学の高校に進学することが既に決まりつつあった中3の夏。
ここまで順調だった私の人生が、180度変わる出来事が起こりました。
私の大好きだった父が白血病で亡くなってしまったのです。
病名がわかってから1か月という短い間に、あっという間に亡くなってしまいました。
39歳という若さで。
父は同じ市内の中学で教師をしており、テニス部の顧問でした。
私に
「高校に進んで、硬式テニスに代えて、世界を目指せ❗️」
という言葉を残して、、、、。
結局、私は希望する高校に行く事が出来ず、地元の高校に進みました。
悔しさをバネに、父とのテニスの絆を心の糧に、また3年間テニスに打ち込み、東播大会優勝し、インターハイで負けて、
私のテニス人生はここで終わりを告げました。
そんな私の横に、いつも音楽が、ピアノが離れずありました。
テニスの合間にレッスンに通う私でしたが、そんな私にピアノの先生から音大に行く事を勧められていました。
母を助ける為に、ボールばかり追いかけないで、音大にいけ!と。
その当時、全く耳を傾け無かった私ですが、結局、短大でピアノレッスンして頂いた教授に出会い、音楽の道へと引っ張って頂き、今の私があります。
希望する進路には行けなかったけれど、
西中で鍛えられたスポーツ根性が私の根底に根付いています。
そして、テニスが無ければ、またテニス部の仲間がいなければ、父の死を乗り越える事は出来なかった。
卒業した後も何十年と1月3日テニス部新年会は続いていて、変わらぬ友情で繋がっています。
14歳の君達に伝えたい!
与えられた環境の中で、今、出来る事を精一杯頑張る事で、人生はまた開けて行くということを。
出来ない事を誰かのせいにせず、今を一生懸命生きることが大切です。
嫌だと思う事や、何でこんな事しなきゃいけないの⁉️って思う事も、無駄な事など一つも無い。
今、経験している事、その全てが未来の自分を創り出す事になるのです。
一生懸命になれるものを見つけましょう❗️
それが、自分探し。
夢を持って、夢を忘れず、
どんな自分になりたいかを想像しながら、
楽しい青春時代を過ごして欲しい。
そして、14歳の私へ。。。。
父を亡くしたあの当時、自分はなんて不幸なんだろうって思ったけど、でも、たくさんの人に支えられている事を実感していたし、父の死を無駄にしたくなかったから、どう生きるかを、生きるって事を真剣に考えた。
良く、頑張ったよね。
母を支えて、精一杯頑張ってた。
今思っても、あの頃の私、本当に頑張り屋だった。
回り道もいっぱいしたけど、それは決して回り道じゃなく、全てが今の私を作り出す為に必要な事だった。
悲しい事や辛い事
苦しい事も嫌な事も、、、
14歳の君達に出会い、自分の14歳を振り返り、
人生の面白さを味わえる年齢になった事を実感しました。
人生捨てたもんじゃないよ❗️
全ての出会いに感謝して、
道は必ず開けて行くと信じて、
まだある未来の自分を築き上げる為に、今、起こる全ての事を受け入れて、
笑って、明るく、楽しんでやろう‼️