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真田家ゆかりの城へ~秋☆旅・群馬

2020-10-19 | おでかけ
久しぶりのお泊まりの旅は、群馬県。

夫の「続・日本100名城」スタンプ集め(リア攻め)と、
「城ポチ」こと、「ニッポン城めぐりアプリ」の城攻めも
旅の目的です♫

「続日本100名城」である、岩櫃城、沼田城、名胡桃城は
真田家ゆかりの城・・・
大河ドラマ「真田丸」以来、登城を楽しみにしておりました。


(有名な、このアングルは、JR郷原駅側から撮影できます)


岩櫃城は・・・

以前、「英雄たちの選択」(NHK BSプレミアム)で、
もしも、武田勝頼が岩櫃城を頼っていたら?
武田家は存続していたのではないか、というお話がありました。

織田信長に攻められ、崩壊寸前の武田軍、
体制立て直しのための方策として、岩櫃、岩殿、新府の三つから
どこかの城に入るという、選択ができたというのです。

武田勝頼は、甲州・武田家の最後の当主。
偉大なる父・信玄の影で何かと厳しい評価を受けがちですが、
実は、有能な武将だったのではないかという・・・

この番組を通し、また、以前、山梨の新府城へ出かけて以来、
武田勝頼のイメージが急激に良くなっております。
実は、アタクシ、ハマッ子ながら、母方の祖父は甲州人・・・w



現実には、勝頼は、真田家の岩櫃城を選ばず、
小山田家の岩殿城を頼り、その途中で、小山田信茂の裏切りにあい、
結局、自害して果てました。

番組では、真田家が勝頼を迎える準備をしていたであろうことが
城の縄張りから、うかがえるとも紹介され・・・
俄然、岩櫃城に興味津々でした。

登城のきつい山城だとはわかっていたので、
ストック、シューズなども用意し、楽しみにしておりました。



ところが、雨ですもん、しかも台風接近。
案内所で「本丸跡までなら、10分ほどですよ」と言われたものの・・・
ヘタレなアタクシは断念。夫もアタクシを「口実」に止めていますw

あちこちに「クマ出没注意」の看板があるのも、萎えさせました。
スタッフさんは、「このあたりには出たことがないですよ」とは
おっしゃっていましたが・・・

あの方、あの案内所↓に、お一人で怖くないのかしら・・・




ついで、沼田城

真田信幸が、天正18(1590)年に、初代城主となります。
関ヶ原の戦いでは、信之(信幸改め)は東軍につき、
西軍方となった、父・昌幸、弟・信繁と敵味方に分かれて戦いました。

戦に先立ち、昌幸が孫に会おうと、沼田城に立ち寄ると、
信之の正室・小松姫は、緋縅の鎧をつけ、大手門に立ち、
「たとえ父や弟でも今は敵!」と、二人の入城を拒否したと伝わります。

小松姫(稲姫)の父上は、本多忠勝。
徳川四天王の一人、生涯、戦で傷ひとつ追わなかったツワモノですからw



ただし、この後、表向きには、二人を追い返した小松姫ですが、
その後、こっそりと我が子を祖父と対面させたのだとか・・・


現在の沼田城は、沼田公園となっています。
わずかながら、石垣や堀などが残り、城の名残がありました・・・

でも、雨だもん。
早々に退散したアタクシです。



そして、最後の名胡桃城・・・

パンフには「戦国時代を終わらせるきっかけ」の城と書かれています。

・・・というのも、沼田・名胡桃は、真田家のみならず、
北条家も領有を主張、争いが絶えませんでした。

関白・豊臣秀吉は、私闘を禁じる惣無事令を元に、裁定をくだしました。
いわく、沼田城側は北条家、名胡桃城側は真田家の所領とする・・・と。
(1589<天正17>年)

ところが、北条家方の沼田城代・猪俣邦憲は、これを破り、
名胡桃城攻略してしまうのです。
秀吉は激怒、これが北条・小田原攻めへとつながります。



この結果、北条は滅び、豊臣秀吉の天下統一がなされるのです。
名胡桃城は、北条を滅ぼすきっかけとなったのですから、
確かに、戦国時代を終わらせたとも言えます・・・

が・・・アタクシは、北条びいき。
釈然としません・・・

どちらにせよ、秀吉は北条家を潰すつもりだったはずで・・・
何かの陰謀に、はめられたのだとしか思えません。

・・・と、モロモロの想い入れがある城なのに・・・
名胡桃城では、雨もひどく、眠気もマックスでして・・・
「お一人でどうぞ」と夫を送り出して、車で爆睡。

挙げ句の果てに、
夫が戻ってくると寝ぼけて、「ここ、どこ?」と尋ねたそうで・・・w

ああ、今になって、リア攻めしなかったことが悔やまれます・・・


残念無念・・・


◆本記事は、現地の案内板、いただいたパンフ類を参考にしておりますが
素人のこと、間違いや勘違いもあることと存じます。
どうぞ、お許しを・・・

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