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紅葉の笠間城~秋旅ふたたび

2021-11-30 | おでかけ
おはようございます。
週末にリア攻めした笠間城は、紅葉も美しく、良い城でした。
本日は、登城記に、どうぞ、おつきあいくださいませ。

コースは、車で千人溜り駐車場まで行き、
そこから歩いて天守曲輪跡まで往復し、のんびり眺めても1時間ほど。
軽い山登りなので、靴を登山シューズに替え、ストックを持ち正解でした。


(本丸、玄関門へ向かう石垣)


さて「続日本100名城」の茨城県、笠間城。

『日本の名城 都道府県別ベスト10』によれば、茨城県トップの評価です。
(13世紀)笠間氏によって佐白山に築かれた、広大な山城を
蒲生氏や浅野氏が近世城郭に改修、とも書かれていました。


(本丸「ちとせまつ」周りには土塁が残る)


近世・江戸時代、笠間藩は、笠間城を本拠地に、
代々、譜代大名が藩主を務めています。
水戸藩のお隣なだけに、幕府の重要な地だったからでしょう。

その歴代藩主のうち、唯一の外様が浅野家。
20年ほど笠間を治めた後、赤穂藩へ移りました。
それから数十年後には、あの松の廊下事件を起こしてしまうわけで・・・



その後、最後の藩主は越後・長岡藩の支藩として入った牧野家でした。

幕末、本藩の長岡は、奥羽列藩同盟に加わり、壮烈な戦いで知られます。
一方のこちら笠間藩は、本藩とは異なり、官軍に味方しました。
その結果、今の笠間城址、笠間の街が残っているのでしょう。

時代をさかのぼれば、そもそも、笠間城を築いた、笠間氏が滅んだのは、
豊臣秀吉の小田原征伐の折り、北条家に味方したからで・・・
北条家びいきの我が家としては申し訳ないようでした。





ともあれ、笠間城は明治まで現役の城だったため、
現代までに補修などはあったにせよ、
石垣や石段は、オリジナルと思われます。

紅葉のシーズンに、遺構を探しながらの登城は、
本当に楽しいものでした。

心残りなのは、笠間城の八幡台櫓が現存し、
市内の真浄寺に移築されていることに気づかなかったこと。

普段だったら、もろもろ資料をチェックしてから出かけるのですが、
なんせ、こここのところ、バタバタで・・・
せっかくだから、眺めておきたかったなぁ・・・


(この後ろに八幡台櫓があったと思われる)


あ、でも、もし、しっかりリサーチしていたら、
茨城一の心霊スポットなんていうネット記事にも気づいてしまったかも・・・

帰宅してから、これを知り、旅の前に知らなくて良かったぁ・・・と
ホッとしていますw


(左の屋根は佐志能神社。裏手は絶壁、鎖場になっているようです)


わたしは、城や戦跡巡りでは、お数珠を必ず持ち、
折々に「般若心経」も唱えるようにしています。
今回も、天守曲輪に鎮座する佐志能神社↑にお参りしています。

畏敬、鎮魂の想いは、忘れずに歩きたいものです。
もっとも、歴史を知れば、意識しなくても、
自然に、そうなると思いますが・・・



本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

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本記事は、以下を参考にしましたが、間違いや勘違いもあるかもしれません。
どうぞ、素人のことと、お許し下さいませ。

●パンフレット かさま歴史交流館「笠間城跡めぐり案内」
●中居均編『日本の名城 都道府県別ベスト10』新人物往来社

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