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表題の本の中から
「テツノスケに教わったんや」より
大西氏が育てたラグビーの化身:小笠原博氏。自衛隊でラグビーを
はじめ21歳で近鉄へ途中入社。その後当時としては異例の24CAPを
獲得する。その中の試合には、オールブラックスジュニア戦や伝説と
なっている秩父宮のイングランド戦があります。
余談ですが「信は力なり」→今や伏見工の合言葉となっていますが、
これは大西氏が好んだ言葉で、教え子の山口氏が今の時代に伝承してます
さてこの大西氏から全副の信頼を得ていたのが、ロックの小笠原氏
脱水症状で病院運びされても、抜け出して試合に参加したと言うつわもの
氏曰く「俺のは鉄之助のラグビーや、世間では近鉄の小笠原やけどな」
エピソードを一つ、当時のジャパンは国内で強化試合を行っていたそうです
(この制度良いと思います。今でも国内の強化の一環として復活を期待)
1970年2月22日、ジャパンは卒業生を含むオール早稲田と対戦した
試合前夜、小笠原氏はジャパン監督の大西氏に呼ばれ
「おい、オガ。明日は近鉄のラグビーでいってくれ」
フォワードをまとめる小笠原氏が思わず言い返した
「いいんですか」
早稲田ラグビーの理論的支柱である大西氏は答えた
「構わん。近鉄で行け」
フォワードを前面に押し出した肉弾戦それが「近鉄」である
フォワードリーダーの小笠原氏は、翌日試合直前に円陣を組んで一言
「殺せ」
展開したらうるさい早稲田の軽量フォワードを「縦、縦」で粉砕した
「あの時やな、大西鉄之助に心からついていこうと思ったのは。
近鉄でいってくれは、簡単やろ。でも他の監督は言えない。
勝つためのラグビー。そのための課題の与え方。違うんやって」
口下手な氏から熱い言葉がほとばしったそうです。
監督と選手との信頼関係は、外国人監督を迎え新しい局面を迎えます
太田GMの役割がよりクローズアップしてきます。頑張って下さい
補足:今年から始まるパシフィック5ネーションまであと100日です
コメントありがとうございます
’70年台はまだラグビーを知らない時代
でした(部活バレーボールだったので)
凄い人だったようですね
懐かしい日記にコメントありがとうございます
こんな個性的な選手の登場に期待したいですね