ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

言い尽くせぬこと

2013-08-03 | 日記
山口の事件の犯人の川柳について、「これはうまい俳句か」とか聞かれることがある。

「俳句かどうか」という質問に関しては、季語がないので「無季語の自由俳句である」とも言えるし、今日のニュースでは本人が「川柳」と言っていたので、それなら季語のない川柳といえるであろう。
犯人はこの川柳を、家の窓に外から見えるように貼っていたということだから、外に向けてのアピールであろう。ただ解釈の仕方が、読む側と作者側で、これほど大きく違うものもないだろう、と思える句なので、アピールしていた内容が、村の人にきちんと伝わっていたとは思えない。

最初、この句を読んだとき、放火事件の後だったから、当然「つけび」というのは「放火」、「田舎者」というのは「犯人自身」のこと、かと思った人が多いであろう。警察もそういう意味かと問うたらしい。しかし、作者本人は「つけび」とは「自分に向けられた悪口」「よろこぶ田舎者」とは「悪口を言って喜んでいる村の住人」という意味だと言っているらしい。

加害者と被害者との大きな認識の相違が、この句に表されているように思える。

犯人の男は、口下手だったという。しかし川柳は好きだったというから、表現したいことはたくさんあったに違いない。もし近くに川柳教室があって、そこに自作の川柳をたくさん持ち込んで仲間や先生に見てもらって、句の解釈に関して、「この句は実はこういう意味なんだ」と自己表明できていたら、優れた先生なら、きっと「そういう意味なら別の作り方がある」と教えてくれただろう。
もっと的確に自分を表現できる方法が見つかるまで自分を掘り下げていく方向を示唆してくれたであろう。
言いたい心の中のものと、それを外に表す際のぴったりとした言葉が見つかるまで、あれやこれやと皆で語り合う場として、句の勉強というのはやはり一人ではできないことを思った。そして優れた先生は、自分が持ち込んだ句に対してなにかすっきりしない場合、先生の手直しで、「そうそう、自分は本当はそう言いたかったのだけど、うまい言葉が見つからなかった」と思えるような新しい言葉をプレゼントしてくれる人だと思っている。