先日、映画を観に行った。席につき、買ってきたコロッケ弁当を一口食べたところで、係員がやってきて、「場内は飲食禁止です」。仕方なく、廊下のソファで食べようとしたら、そこも駄目だ、ロビーで食べてくれという。追い立てられるようにしてロビーへ行ったが、数個しかないベンチには人がぎっしり。だから、しゃがんで食べた。近頃、こういう劇場が増えた。残念である。
子どもの頃、両親に連れられ映画館に行くと、父は途中で買ったほっかほっかの肉まん、母と私は売店のサンドイッチ、甘いのしイカ、酢昆布などを、映画を見ながら食べたものだ。帰りには、不二家などのレストランでハンバーグやカレーライスなどを食べ、帰宅すると、映画の話をしながら、両親はビールにおつまみ、私は菓子パンと、ほとんど食べ続けだった。
武田花 『イカ干しは日向の匂い』 門川春樹事務所 2008年
この後に続く文章に、かつての田舎の映画館の様子がつづられてあって、そこには地方の特産品の瓶詰めとかも売っていて、館内はお酒を飲んで酔っ払っている老人もいれば、拍手をする人もいて、だから筆者もびくびくしてせんべいを食べる必要もなく、バリバリ食べられた、と書いてある。
食べつつ、飲みつつ、股旅物三本立てややくざ映画を見ていると、黒いカーテン越しに漂うトイレの匂いさえ気分を盛り上げる効果となって、しみじみした気分になったそうである。
ところで、最近、普通の映画だが、ちょっと際どいシーンの多いある映画館に行って、ある異臭を嗅ぐ機会を得たのだが、あれも映画の効果臭として仕組まれているのか、と一緒に観た友人に話したら、それはない!と言われた。
それはともかく、武田泰淳と百合子一家の映画鑑賞の時間は、濃い時間だったのだと羨ましくなる。夫は根っから理系人間なので、映画の趣味が合わないせいもあり、同じ映画を観ることは少ないし、見てもあまり感想がない人間のようだ。大体は「フーン」と言ってそれでおしまい。感心した映画の場合は「ウーム」と言うが。まったく理解できない場合には、終わった後で、「あれはいったいどういう話だったのか」と聞いてくることもある。たとえば「かもめ食堂」など。
「フーン」とか「ウーム」を言語化するために映画を観るタイプではない人もたくさんいて、そういうタイプの人には、武田花が子ども時代に味わった映画館のような、何やってもほとんど好き放題の映画館だったら、嬉しいだろうなあと思う。
私は映画館ではチョコレートさえ食べられれば満足なので、チョコぐらいさっと口に含んでしまえばどこでも食べられるから、今の厳しい映画館の規則にそれほど不満はない。しかし、商業主義でありながら、規則ずくめのシネマコンプレックスのような娯楽施設は、もうそろそろ飽きてきたかな。今行くのはほとんど小さい映画館ばかり。しかしそこもきれいになると、規則がうるさくなる。
映画館がきれいになればなるほど、汚されたくないという気持ちは分かるが、映画館不況時代を乗り越えるためには、もう少し、昔のいい加減な雰囲気に戻すことも考えても良いのではないか。
渡辺純一先生の「愛の流刑地」を観に行った友人が、いつかこんな話をしていた。
前の席に、昔の女学生風おばあちゃん二人連れが座っていて、そのシーンになると、恥ずかしいのか、キャッキャッ笑い転げ、友人は 映画に集中できなかったそうだ。そして上映が終わった頃、近くにいた男性が、「いい加減にしてくださいよ!」と怒ったそうである。映画より面白い、いい話だなあ。
またある友人の話では、横浜のとある映画館は昔ながらの名残をのこしていて、おにぎりをもって3本見る人や、上映中にブリブリという生理現象をはばからず放出する人、くつしたを脱いでの足首まわし体操他、屈伸なども自由自在だそうである。
真面目な映画館、商業主義に走る映画館、いい加減な映画館、さて不況時代に生き残るのはどれでしょうか。
子どもの頃、両親に連れられ映画館に行くと、父は途中で買ったほっかほっかの肉まん、母と私は売店のサンドイッチ、甘いのしイカ、酢昆布などを、映画を見ながら食べたものだ。帰りには、不二家などのレストランでハンバーグやカレーライスなどを食べ、帰宅すると、映画の話をしながら、両親はビールにおつまみ、私は菓子パンと、ほとんど食べ続けだった。
武田花 『イカ干しは日向の匂い』 門川春樹事務所 2008年
この後に続く文章に、かつての田舎の映画館の様子がつづられてあって、そこには地方の特産品の瓶詰めとかも売っていて、館内はお酒を飲んで酔っ払っている老人もいれば、拍手をする人もいて、だから筆者もびくびくしてせんべいを食べる必要もなく、バリバリ食べられた、と書いてある。
食べつつ、飲みつつ、股旅物三本立てややくざ映画を見ていると、黒いカーテン越しに漂うトイレの匂いさえ気分を盛り上げる効果となって、しみじみした気分になったそうである。
ところで、最近、普通の映画だが、ちょっと際どいシーンの多いある映画館に行って、ある異臭を嗅ぐ機会を得たのだが、あれも映画の効果臭として仕組まれているのか、と一緒に観た友人に話したら、それはない!と言われた。
それはともかく、武田泰淳と百合子一家の映画鑑賞の時間は、濃い時間だったのだと羨ましくなる。夫は根っから理系人間なので、映画の趣味が合わないせいもあり、同じ映画を観ることは少ないし、見てもあまり感想がない人間のようだ。大体は「フーン」と言ってそれでおしまい。感心した映画の場合は「ウーム」と言うが。まったく理解できない場合には、終わった後で、「あれはいったいどういう話だったのか」と聞いてくることもある。たとえば「かもめ食堂」など。
「フーン」とか「ウーム」を言語化するために映画を観るタイプではない人もたくさんいて、そういうタイプの人には、武田花が子ども時代に味わった映画館のような、何やってもほとんど好き放題の映画館だったら、嬉しいだろうなあと思う。
私は映画館ではチョコレートさえ食べられれば満足なので、チョコぐらいさっと口に含んでしまえばどこでも食べられるから、今の厳しい映画館の規則にそれほど不満はない。しかし、商業主義でありながら、規則ずくめのシネマコンプレックスのような娯楽施設は、もうそろそろ飽きてきたかな。今行くのはほとんど小さい映画館ばかり。しかしそこもきれいになると、規則がうるさくなる。
映画館がきれいになればなるほど、汚されたくないという気持ちは分かるが、映画館不況時代を乗り越えるためには、もう少し、昔のいい加減な雰囲気に戻すことも考えても良いのではないか。
渡辺純一先生の「愛の流刑地」を観に行った友人が、いつかこんな話をしていた。
前の席に、昔の女学生風おばあちゃん二人連れが座っていて、そのシーンになると、恥ずかしいのか、キャッキャッ笑い転げ、友人は 映画に集中できなかったそうだ。そして上映が終わった頃、近くにいた男性が、「いい加減にしてくださいよ!」と怒ったそうである。映画より面白い、いい話だなあ。
またある友人の話では、横浜のとある映画館は昔ながらの名残をのこしていて、おにぎりをもって3本見る人や、上映中にブリブリという生理現象をはばからず放出する人、くつしたを脱いでの足首まわし体操他、屈伸なども自由自在だそうである。
真面目な映画館、商業主義に走る映画館、いい加減な映画館、さて不況時代に生き残るのはどれでしょうか。