年末に、小浜の山川登美子の生家に行ってから、短歌づいてきました。
昨日も吟行に出かけたのですが、でてくるのは短歌ばかり。
俳句をする前に、そういえば一時短歌をさかんに作っていた時期もあることを思い出しました。
短歌と俳句とでは、かなり思考回路というか発想法が違うような気がします。
俳句は5・7・5のきわめて短い詩形なので、季語に依存する度合いがはかりしれないことを思い知らされました。
そしてその季語の深みと広がりを知るためには、過去の和歌から得るものがほとんどであることが分かってきました。歌枕ですね。
日本語の世界の深さにずるずるはまっていきます。
昨日も吟行に出かけたのですが、でてくるのは短歌ばかり。
俳句をする前に、そういえば一時短歌をさかんに作っていた時期もあることを思い出しました。
短歌と俳句とでは、かなり思考回路というか発想法が違うような気がします。
俳句は5・7・5のきわめて短い詩形なので、季語に依存する度合いがはかりしれないことを思い知らされました。
そしてその季語の深みと広がりを知るためには、過去の和歌から得るものがほとんどであることが分かってきました。歌枕ですね。
日本語の世界の深さにずるずるはまっていきます。