紋別市の西側の海岸に「オムサロ原生花園」があます。
この海岸から少し離れた所に「オムサロ遺跡」があります。茅ぶきのむかしの家が再現されたりして結構な広さの遺跡群です。ここに出向いたおり、遺跡に見とれたり、結構な数の草ぶきの家に出入りしたりと、感心して見学していました。
ただ、私たち夫婦の他には誰一人として見学している人はおりませんでした。
さて、見学を終えたあと、自分の身体を見て気付いたことはダニが数多く身体に付いているではありませんか。これほどまでにダニの多い所とはつゆ知らず、長い時間この地に居たのが悔やまれました。ダニに取りつかれた理由はこの遺跡地にめったに人が訪れず、ここぞとばかりダニに襲われたということになるのでしょう。
遺跡の大きさや、竪穴住宅の遺跡群の数を思い出せば再び出向きたいところですが、一方ダニの数を思えば再び出向けないでおります。
ダニの被害はカムイラピットは2度受けておます。おへその近くに、ダニのお尻が満杯になるまで血を吸われた事があります。厄介なのは深く皮膚に入り込むと医者に行って見てもらわないと取れないとの事です。
素人がダニを取ろうとして尻の部分だけ取ったりすると、残った頭の部分が更に身体に入りこんでしまうそうです。ダニを取ると、毒素を持っているらしく硬く食われた痕が残ったりします。
ラビ妻もダニにやられた事があり、極端にダニ嫌いです(好きな人は誰も居ませんがね)。
長男の小学生低学年の時、一つ年上の美香ちゃんを一緒に山に連れて行き、ダニにやられたことがあります。子供なので皮膚が柔らかく深く入り込み、タバコのニコチンをもらって何とかダニをとる事ができました。あの子はダニのことを今でも覚えているだろうかな。
さて、先日美深(町)に出向き(7月15日・16日)ました。そのおり「雨霧の滝」辺りの植物散策をしましたが、帰路のバスの中で私の腕にダニが着いているのを見付け、ラビ妻を驚かせました。ダニは硬く、つぶすことは爪では出来ません。何度も押さえつけている間に死ぬのでしょうが、なかなかしたたかなものです。
ダニは昆虫に分類されず、蜘蛛の類に分けると物の本に書いてあります。
さて、この日家に帰り、二日後にカムイラビットの局部のところの膨らみに異様を感じ見て見ますと、ダニが刺さっているではありませんか。驚きましたね。ジェ・ジェ・ジェです。
ここで言える事は山歩きした後ですが、ダニが衣服や身体についていないか十分見なければならぬと云うことなのです。
この海岸から少し離れた所に「オムサロ遺跡」があります。茅ぶきのむかしの家が再現されたりして結構な広さの遺跡群です。ここに出向いたおり、遺跡に見とれたり、結構な数の草ぶきの家に出入りしたりと、感心して見学していました。
ただ、私たち夫婦の他には誰一人として見学している人はおりませんでした。
さて、見学を終えたあと、自分の身体を見て気付いたことはダニが数多く身体に付いているではありませんか。これほどまでにダニの多い所とはつゆ知らず、長い時間この地に居たのが悔やまれました。ダニに取りつかれた理由はこの遺跡地にめったに人が訪れず、ここぞとばかりダニに襲われたということになるのでしょう。
遺跡の大きさや、竪穴住宅の遺跡群の数を思い出せば再び出向きたいところですが、一方ダニの数を思えば再び出向けないでおります。
ダニの被害はカムイラピットは2度受けておます。おへその近くに、ダニのお尻が満杯になるまで血を吸われた事があります。厄介なのは深く皮膚に入り込むと医者に行って見てもらわないと取れないとの事です。
素人がダニを取ろうとして尻の部分だけ取ったりすると、残った頭の部分が更に身体に入りこんでしまうそうです。ダニを取ると、毒素を持っているらしく硬く食われた痕が残ったりします。
ラビ妻もダニにやられた事があり、極端にダニ嫌いです(好きな人は誰も居ませんがね)。
長男の小学生低学年の時、一つ年上の美香ちゃんを一緒に山に連れて行き、ダニにやられたことがあります。子供なので皮膚が柔らかく深く入り込み、タバコのニコチンをもらって何とかダニをとる事ができました。あの子はダニのことを今でも覚えているだろうかな。
さて、先日美深(町)に出向き(7月15日・16日)ました。そのおり「雨霧の滝」辺りの植物散策をしましたが、帰路のバスの中で私の腕にダニが着いているのを見付け、ラビ妻を驚かせました。ダニは硬く、つぶすことは爪では出来ません。何度も押さえつけている間に死ぬのでしょうが、なかなかしたたかなものです。
ダニは昆虫に分類されず、蜘蛛の類に分けると物の本に書いてあります。
さて、この日家に帰り、二日後にカムイラビットの局部のところの膨らみに異様を感じ見て見ますと、ダニが刺さっているではありませんか。驚きましたね。ジェ・ジェ・ジェです。
ここで言える事は山歩きした後ですが、ダニが衣服や身体についていないか十分見なければならぬと云うことなのです。