
甲子園口にある「ギャラリーわびすけ」にて、
震災の記憶展を見ました。
1995年1月17日に起きた「阪神・淡路大震災」
から今年で20年目を迎えました。
この震災で6434人の方が亡くなられました。


わが街、甲子園口駅北側のビル倒壊写真。
この瓦礫の下から数日後、奇跡的に子どもが
救出されたのを映像で見たことがあります。
阪神高速道路の橋脚が倒壊したり、
体育館に避難した多くの人々、
公衆電話に人の列が出来たりと
西宮市内の被災写真の数々に
当時を思い出して胸が痛みます。

幸いにも淡路の実家も、西宮の自宅も倒壊を
免れました。
電気はその日のうちに使用できたのですが、
ガス、水の復旧が遅れたので、実家へ
お風呂に入りたくて帰ったほどでした。
息子の同級生がお水を届けてくれたり、
親戚の人や元職場の同僚が食料を
持ってきてくださったり、人々のやさしさが
嬉しかったですね。
この用紙の出番がないことを祈りつつ…
午前5時46分 黙祷!
あまり思い出したくない事もありますが
「絆」という壊れにくいものを学ぶ事ができました。
伊丹市もタイヘンな被害が出ましたね!
あっという間に20年が経ち、震災を知らない
世代も多くなりました。
つらい事はふり返りたくないけれど、風化させては
いけないと思います。
あの時寄り添って生きていた家族も、今では遠くに
離れて住んでおりますが、心の中では、いつも絆で
結ばれていると信じています。
昨夜、テレビで命がけで戦った消防士の方々のドラマを観ました。
あの日は助ける方も助けられる方も命がけだったんだと改めて知
ることができました。
我が息子もパジャマの上に防寒着を着て即職場に向かったそうです。
同僚みんな我が事より与えられた職務を優先したそうです。
ドラマ観ながら20年前を思い出していました。
二度と繰り返してほしくないです。
あの日は家から外へ出て、駅前方面から黒煙が
上がっているのを暫し呆然と見つめていました。
まだ何が起こっているのか分からなくて…
夕方になって神戸の惨状を知り、怖くて震えました。
国道は救助に向かう車のサイレンが鳴り止まず、
ボランティアの人の列も長く続いていました。
誰もが必死に戦っていました!
あれから20年、人々はどのような思いで
この日を迎えたのでしょうか。