古伊万里江戸後期物、その日の気分で俳句も

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
あとたわいもない俳句も。

色絵輪花中鉢

2009年01月31日 15時58分12秒 | 古伊万里=鉢もの
おそらく、天保時代くらいの錦手の深鉢だと思います。

内側の絵付けが、だいぶ手が混んでいますよね。
たべものを入れるには、いく分あくどいほどの凝った絵付けになっています。
しかし、なかなか力強いデザインだと思います。




藍柿や藍九谷のファンは逃げ出すかも知れませんが、私の好みのデザインです。(笑)
アフリカの芸術や、オーストラリアの原住民の芸術に近いかも知れません。

明治になると、この原始的ともいえる野太い力強さが、無くなってしまうのが、不思議でなりません。




そのわりには外側の文様は、以外にアッサリしていて、内側がメインの絵付けになっています。
これは、生まれは、盃洗でしょうか?




  直径、約23cm高さ約11cm

        文政~天保期






赤壁賦の図銅鑼形皿

2009年01月24日 16時57分25秒 | 古伊万里=染付中皿
18世紀に大流行した赤壁賦紋のドラ形大皿です。

蘇軾(そしょく)という詩人が詠んだ詩であり、
赤壁賦(せきへきふ)は、ご存知の方も多いと思いますが、『前赤壁賦』と『後赤壁賦』があります。

『前赤壁賦』
宋の元豊5年(1082)秋7月16日夜、
蘇東坡が月明に乗じて舟遊びして、
三国の英雄曹操や周瑜の風流を偲び、
自分がはかない流人の身の上であることを嘆き、
無限な生命の前では古人も我も何等選ぶところが無い、
儚いものであり、萬物同一であることを悟り、
明月と江上の清風とを楽しみ
憂いを忘れたと言う内容だそうです。

『後赤壁賦』
蘇東坡は赤壁賦を作って3ケ月後、
冬の赤壁に遊んだ際、再び詠みました。
冬の月夜、水量が少ない江石が露出し
凄惨な景色を詠じました。
月夜の美観と懐古の情感が織り成す、
叙情的な雰囲気に包まれ然も格調高く詠んであるそうです。

夏の満水期と冬の渇水期で、
12~3m水位が違う年もあると聞きますので、
あまりの情景の違いに驚いて、
詠わずにいられなかったという説があります。

前赤壁賦、後赤壁賦は、三国時代に思いを馳せていますが、
ご存知かと思いますが、蘇軾が実際に行ったのは、
赤壁ではなく、赤鼻といわれる場所だったそうですね。

湖北省の蒲圻(現在は赤壁市と改名)の西にあり、
後漢末期の208年、
曹操と、孫権・劉備の連合軍が実際に闘った場所が
「武赤壁(戦いのあった赤壁)」
蘇軾が作った「赤壁の賦」は、
当時「赤鼻」と呼ばれていたといわれる、
黄州(湖北省黄岡県)赤壁「文赤壁(詩文の赤壁)」だそうです。




ちょっと、マンガチックな図がなんとも言えず、愛嬌があり
日本のマンガの原点を思わせるデッサンと思ってしまいます。

これは、以前のハートの窓絵の龍図と時代は、きわめて近く、宝暦~安永期はあると思われます。
ですから、これも240年くらい前の作品となりますよね。




この皿裏の文様が、宝暦頃に流行った独特の文様ですから、時代の目安になると思います。




大皿ばかりで、すこし飽きたかもしれませんが、ブログ主の趣味ですので、ご勘弁くださいませ。(笑)

  直径約30cm高さ約3.6cm



龍紋大深皿

2009年01月16日 20時51分58秒 | 古伊万里=染付中皿
ちょっと見には、幕末くらいに見えるかもしれませんが、
時代は、そこそこあって、宝暦~天明期くらいの大深皿と思います。
ですから、200年以上まえの作品となります。




清朝磁器の龍をモデルにして描いてあります。
龍図って、日本人より外国人に人気があるそうですね。

ぼくも、たまに買いますが、あんまり得意な絵柄でないので、
いつもは、段ボールの中の住民になっています。(笑)





窓絵の中は、わかりづらかも知れませんが、松竹梅と牡丹が描いてあり、
古伊万里定番の図柄ですが、
ちょっと真中のハート型の窓が気にって買いました。(笑)






直径約30cm高さ約4,5cm

        時代は、宝暦~天明期のころ



志田焼・山水紋大皿

2009年01月10日 19時35分32秒 | 志田焼
本日は、床屋さんへ行ってきました。

椅子が五つくらいあるのですが、小学生から20代、30代くらいの人で混んでおりました。

特にわたしは、彼らと精神的に、なんら違和感なく待っておりました。

しばらく待っておりまして、いざ自分の番が来ましたので、鏡の前に立ちますと・・

自分の姿をみて、愕然としました。

いまだ、自分の気持ちは、30歳そこそこなんですが、

本当にいい加減オジサンなんです。(笑)

人間って、あっと言う間に、歳をとるんですね。。

浦島太郎の話は、本当だと気が付きました。。。(笑)






これは、志田の山水文様のお皿です。
絵付けをみると、山水文様は、山水図専用の職人さんがいた事がわかると思います。
ピカソの絵と同じで、簡単に描けそうでいて、どうしてどうして、画けるものではないでしょう。
バランス、手馴れたやわらかな筆跡や軽やかな運び、もっと、評価されてしかるべではないでしょうか。




おそらく毎日、毎日、山水文様ばかり描いていたのではないでしょうか。
志田では、図変わりが評価されますが、こういう山水文様も注目して欲しいと思います。



直径約29cm高さ約3cm
   
              江戸後期のころ